アラブ中世にあらわれた奇跡の救世王サラディン。
彼の一生における死闘の数々においても最大のハイライト。
それが第3次十字軍との決戦です。
私たち地球上の生命に必ずある“ケンカをいとわない”“他人を好きなように利用したい”“自分に都合の悪いものはなくなればいい”という心理。
サラディンのアラブはそんな者たちによる大いなる野心にさらされていたのです。
ところが、サラディンはここで思いもよらぬ策を打ち出します。
それは“許し”です。
十字軍とは
中世ヨーロッパの人々がとても大事にしたのがキリスト教です。
そして、当時のローマ教皇が
「聖地エルサレム(今のイスラエルの首都。キリストが処刑された場所)を奪還しよう」
とよびかけ、ヨーロッパ中からたくさんの人々が集まりあって立ち向かいました。
当時、キリストが亡くなって千年以上。
すでにその聖地一帯にはイスラム教を信仰するアラブ人などがかなり長い伝統を守り続け、暮らしております。
花の第3次十字軍
中世ヨーロッパ世界においてこれ以上はないかもしれないという「オールスター軍団」。
●フランス史上初と言われる現実的名君「尊厳王」フィリップ2世
●ドイツのレジェンド、神聖ローマの勇猛果敢な「赤ひげ皇帝(バルバロッサ)」フリードリヒ1世
しかし、これらに対するサラディンのすごさは、広くやわらかい価値観です。
アラブの名君サラディン、あの激闘を語る
現実としてアラブではいろんな国や宗派がわかれておりました。さらに、それぞれの立場や身分におけるほとんどが自分と身の回りのことしか考えておりません。そういうレベルを超えないとこれはとても勝てないな、と
しかし、相手側十字軍はやっぱりスーパースター軍団でした。
しかもアラブ側はひどすぎる目(「キリスト教を信じてないから」という理由での略奪・破壊・殺人)をいっぱい受けましたが許しました。
(※1)ザンギー朝1代目。かつて敗戦の折サラディンの父ユースフにかくまってもらいました。ユースフ一家があるトラブルに巻き込まれ逃げてきた時はその時の恩義に報いて一家をかくまいました。
(※2)アラブの猛将シール・クーフ。敵味方に分かれていたユースフと水面下で手を結び、ダマスカスの無血開城を成しとげたことがあります。
人がいっぱい死んでますよ。
十字軍と休戦協定を結んだ時はキリスト教における聖地の尊重と、キリスト教徒たちの巡礼に干渉しないことを約束しました。
相手側はアラブ側である同じ立場の人間を皆殺しましたよ。
……宿敵リチャード1世が陣中病気になった時は見舞いの品を贈りましたね。
最後におっしゃりたいことは。
きょうのまとめ
偉大な大王はとっても謙虚(彼には実際そういう傾向を強くうかがえます)。
生まれつきマイノリティでありながら、素養を身に着けるということにはかなり恵まれておりました。
こんな両極端をあわせもった生い立ちが彼ならではの「寛容」精神に大きく影響しているのはまちがいありません。
一見夢のような絵空事でも実はそれがあまりに多くの現実の積み重ね。
ただ残念なことに、十字軍を追い返した翌年、この英雄はその生涯を燃やしつくしたように病気で亡くなります。
この圧倒的カリスマの死にアラブはまた新たな動乱をきざします。
① 当時のアラブに攻め込んできた第3次十字軍は史上まれにみるヨーロッパ・スーパースター軍団
② サラディンは第3次十字軍を撃退した
③ サラディンはアラブ側が十字軍にとんでもなくひどい目にあわされているのに、十字軍側を大いに許し、認め合った
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そこから王様にまでなれました。マイノリティなので、その分自分と全然価値観がちがう人たちのことも合わせて見れるようじゃないと、とても成り立ちません。あとあとになってみると意外なアドバンテージでしたね