明治・大正の時代において二度の内閣総理大臣や、天皇直属の官職である元老を務め、現代に続く日本の政治の基礎を築いた政治家
西園寺公望。
西園寺家は鎌倉時代から続く清華家のひとつに数えられ、由緒ある公家のなかでも特に高位とされる家系です。
仁孝・孝明天皇に公卿として仕えた西園寺師季の養子として家系を引き継ぎ、政界のトップに上り詰めた公望は、その誇り高さに恥じない活躍をしたといえます。
そしてそれほど高名な家系となれば、公望のあと、子孫たちがどのように家督を引き継いでいったかも気になるところ。
今回は西園寺公望の子孫の活躍に辿ってみましょう!
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西園寺公望の子孫は?
戦国・江戸時代などの武士を見ていると正室・側室という言葉がよく出てくるように、日本の武士や公家は本妻のほかに愛人が複数人いることが珍しくありませんでした。
西園寺公望のふたりの愛人
西園寺公望の生きた明治・大正にもその文化はまだ残っており、彼は正妻をもたず、ふたりの愛人のあいだにそれぞれ娘を儲けています。
ひとりは愛人・小林菊子との子で、西園寺新子。
もうひとりは愛人・中西房子との子、西園寺園子です。
特に新子に関しては公望も教育熱心だったといい、公望が外国人を招いてパーティを開くと、新子はホスト役を買って出るほどの語学力をもっていました。
ただ、いくら可愛がろうとも、女性は家督を相続することはできませんよね。
そこで公望は家系を存続させるため、元長州藩主・毛利元徳の八男・毛利八郎を新子の夫として、婿養子に迎えます。
こうして八郎が家督と公爵の爵位を引き継ぐことになったのです。
総理大臣秘書・宮内省御用掛を務めた西園寺八郎
養子として西園寺の家督を継ぐことになった八郎は、職業面も養父の跡を引き継ぎ、総理大臣秘書や宮内省御用掛など、国会や皇室の要職を務めています。
総理大臣秘書としては、公望の首相時代のライバルである桂太郎についており、なんだか複雑な感じ…。
とはいっても桂と公望は政治上で対立していただけで、飲み友達としては仲が良かったという話もあります。
八郎が秘書についたことにも意外に寛容的だったのかも?
宮内省御用掛としては、少年期の昭和天皇の護衛係として重宝されていました。
八郎は剣道にめっぽう強く、皇太子が暴動に巻き込まれそうになったときには、仕込み杖を使って襲撃しに来た面々を撃退したといいます。
さすが元藩主の息子、武士の血がしっかりと流れていますね!
妻・新子の死後は国会内のいざこざで公望と疎遠になってしまった時期はあったようですが、それも晩年になるに連れ解消。
無事家督を相続するにいたりました。
子沢山だった西園寺八郎
八郎は公望とは違い子沢山で、合計6人の子どもに恵まれています。
・次男・西園寺二郎
・三男・西園寺不二男
・長女・西園寺愛子
・二女・西園寺春子
・三女・西園寺美代子
普通に考えれば、このなかで西園寺家を継ぐのは長男の公一になるところですが、家督を相続したのは三男の不二男でした。
公一は1941~42年にかけて、ソ連のスパイが日本に紛れ込んでいたゾルゲ事件に関わっていたことで、家督を継ぐ権利を剥奪されてしまったのです。
次男の二郎に関しては詳しいことはわかりませんが、ともかくこの事件をきっかけに不二男が西園寺家を継いでいくことになります。
また家督相続の時期に日本の貴族階級の制度がなくなっているため、不二男が引き継いだのは家督だけで、公爵の爵位は八郎の代で終わりました。
中小企業助成銀行頭取・日産興業社長を務めた西園寺不二男
西園寺不二男は、日産興業の創始者である鮎川義介の長女・鮎川春子と結婚しており、その縁もあって数々の企業の代表を務めています。
不二男は東京帝国大学を卒業後、日本銀行に20年近く務めており、そこから義父・義介が経営権をもっていた中小企業助成銀行(現・三井住友銀行)の頭取に就任。
辞職後は、義介が創業した日産興業の社長・会長を歴任しています。
義介もよほど不二男の能力を買っていたのでしょうね。
ちなみに義介の叔父は第一次~第三次伊藤内閣にて、外務・内務・大蔵大臣を歴任した井上馨。
不二男自身は政治に関りがないものの、やはり西園寺家の当主ということもあって、大物政治家の血が絡んできていますね。
不二男のあとも着々と受け継がれていく西園寺家
不二男は妻・春子とのあいだに、以下の3人の子どもを儲けています。
・次男・西園寺裕夫
・長女・西園寺祥子
このうち家督は長男の公友さんが相続。
現在、長男に直之さんがおられるので、今後も順調に相続されていくことでしょう。
きょうのまとめ
西園寺公望の子孫たちは、公望の活躍に劣らず、由緒正しい家系に恥じない経歴をそれぞれ辿っていました。
もちろん血筋がすべてなんてことはありませんが、八郎や不二男のようなエリートが育ったことに、やはり環境は無視できない要素でしょう。
最後に今回のまとめをしておきます。
① 西園寺公望には正妻がおらず、愛人とのあいだにふたりの娘がいた。家督は婿養子の西園寺八郎に相続。
② 西園寺八郎は首相・桂太郎の秘書、少年期の昭和天皇の護衛などで重宝された。
③ 八郎から家督を継いだ西園寺不二男は、中小企業助成銀行の頭取、日産興業の社長・会長を歴任。由緒正しい血筋を現代へと着実につないでいる。
「家柄、家柄」などと言うと現代では古臭い感じもしないではないですが、いつの時代も守っていくべき大切なものであることは変わりませんね。
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