酔って酔って流れ流されての自由人。
唐の詩人にレジェンドが多いとはいえ、彼ほどの人気者はなかなかおりません。
“詩仙(漢詩の仙人)”と呼ばれた李白。
自然を愛し、あふれる感情のままに生き生きととらえる。
そんなしみじみと味わい深い漢詩を有名なものから4つ紹介します。
今、人は見ず古時の月、今、月はかつて古人を照らす/李白(今生きる人はむかしの月を見たことはありませんが、今見ている月はむかしの人を今と同じように照らしました)。
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李白の有名な漢詩4選
友の旅立ちを見送る
●黄鶴楼送孟浩然之広陵
故人西辞黄鶴楼
烟花三月下揚州
孤帆遠影碧空尽
唯見長江天際流
(書き下し文)
●黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之(ゆ)くを送る
故人西の方黄鶴楼を辞す
烟花三月揚州に下る
孤帆の遠影碧空に尽き
唯だ見る長江の天際に流るるを
(意味)
ここは武漢の町です。
黄鶴楼は町のシンボルです。
とてもきらびやかで美しい五重塔です。
東アジア一の大河である長江が東西に流れております。
友である孟浩然(李白より12才年上の詩人のたくみ)が帆掛け船に乗ります。
その船は梅の花かおる三月、揚州へと下ってゆきます。
そして、遠くの青空へとかき消えゆきます。
私はただ眺めます。
長江の流れが空と地平線の際へと流れゆくのを。
山上の月を眺め故郷を思う
●静夜思
牀(床)前看月光
疑是地上霜
挙頭望山月
低頭思故郷
(書き下し文)
●牀前月光を看る
疑うらくは是 地上の霜かと
頭を挙げて 山月を望み
頭を低れて 故鄕を思う
(意味)
寝床の前で月光を眺めます。
白々とした明かりはまるで地上の霜でしょうか。
頭を上げて山上に浮かぶ月を眺めます。
そして、頭をたれ、後にした故郷を思います。
李白が故郷である蜀(今の四川省)を離れたのは25才です。
この漢詩は長江流域を転々と旅を重ねた湖北省安陸の小寿山にいた31才ごろの作品です。
長旅に思う自然の雄大さと美しさ
●早発白帝城
朝辞白帝彩雲間
千里江陵一日還
両岸猿声啼不住
軽舟已過万重山
(書き下し文)
●早に白帝城を発す
朝に辞す白帝彩雲の間
千里の江陵一日にして還る
両岸の猿声啼いて住まざるに
軽舟已に過ぐ万重の山
(意味)
白帝城を船で出発します。
ここは蜀から武漢・江南地方をつなぐ三峡と呼ばれるとても美しい地域です。
長江沿いにとても不思議な形をした荒々しいむきだしの大岩の渓谷が次々とせまってくるでしょう。
まだ明けて間もない朝のとりどりの色の光が照らし出します。
はるか遠く、江陵までの帰る予定はこの1日です。
長江の両岸には猿たちの鳴き声がやみません。
私の乗っている小船はいく万の重い山々を通り過ぎてゆきます。
隠遁生活に最高の幸せを思う
●山中問答
問余何意棲碧山
笑而不答心自閑
桃花流水杳然去
別有天地非人間
(書き下し文)
余に問う何の意ぞ 碧山に栖むと
笑って答えず 心自ずから閑なり
桃花流水 杳然として去り
別に天地の 人閒に非ざる有り
(意味)
人々は言います。
「なぜ、不便な奥山なんかに住むんだい?」
私は笑って答えません。
心はおのずと静かになります。
桃の花びらはただ水に自然のまま流れゆきます。
俗世間にいないのは別天地の幸せです。
きょうのまとめ
本来、自由を何よりも愛した李白。
ただ、少し贅沢で、家庭を持ち、朝廷に仕え、とするうちにだんだん世間人らしさを覚えてゆきます。
そうすることによって当然生まれてくるのが自分と世間との大きなギャップです。
やがて、よほどの気疲れか、髪の毛は年のわりに真っ白。
漢詩にも『白髪三千丈』(三千丈≒5400m。とんでもなく長いことのたとえ)というのを詠っております。
ただ、李白の良さが引き立つのはやはり“思いのままに世の中を生きている時”。
変に“世に合わせようとしている時”の李白はせせこましくて今一つに感じます。
① 李白は「黄鶴楼送孟浩然之広陵」で心の分かり合える友との別れの心情を表現した
② 李白は「静夜思」で、旅の中に生きる故郷への思いをつづった
③ 李白は「早発白帝城」で旅の中で出会う自然の雄大さと美しさを詠(うた)った
④ 李白は「山中問答」で、静かに隠遁して生きる幸せを説いた
「古人今人、流水のごとし」
むかしの人も今の人も大いなる時の大河の流れであることに変わりはありません/李白。
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