現存写真にさわやかな笑顔も。同時代人が見た中岡慎太郎の真価

 

中岡慎太郎なかおかしんたろうには現存写真が3枚あります。

厳しい表情と共に笑顔のものもあります。

中岡は、坂本龍馬と共に幕末に活躍し、薩長同盟締結に貢献した人物です。

しかし、彼は坂本ほど高く評価されておらず、知名度でも及びません。

一体彼は同時代の人々にどう評価されていたのでしょうか。

残された彼の写真と共に、当時の関係者の中岡評についてご紹介します。

 

3枚の現存写真

現在、中岡慎太郎の写真として残されているものは3枚あります。

・眼光鋭くカメラを睨み付けるような写真

・女性を交えた3人で映っている写真

・真っ白な歯を見せたさわやかな笑顔の写真

この3枚です。

幕末の志士や幕臣たちに人気のあった写真撮影ですが、いずれも貴重な資料です。

中岡慎太郎も、新選組の近藤勇が写真撮影したのと同じ、京の人気写真館・西洋伝法写真処で撮影に臨んでいます。

 

鋭いまなざしで睨み付ける中岡慎太郎の写真

中岡慎太郎

中岡慎太郎
出典:Wikipedia

口を一文字にし、ぐっとカメラを睨み付けて正面を向いて床に座った中岡慎太郎。

体格もがっちりしています。

左手で刀の鞘を握り、何かあればすぐに刀を抜きそうな俊敏さと、強気で聡明な志士の気迫に満ちている写真です。

幕末の尊皇攘夷の仲間たちによる中岡評価

そんな鋭い表情をする中岡慎太郎について彼を知る人々はこう評しています。

坂本龍馬

坂本
中岡は俺にはない緻密な計画能力があって実務的な革命家だ

カリスマ性のある坂本とは、お互いにないものを補い合っていたのかもしれません。

岩倉具視

岩倉
剛直の士

西郷隆盛  

西郷
ともに語るべき一種の人物なり」

「節義の士なり」

板垣退助  

板垣
世間で名高くなっている坂本龍馬よりは、ある面で優れていたかと私は思っている。中岡慎太郎という男は立派に西郷、木戸と肩を並べて参議になるだけの人格を備えていた

いずれも高評価ですね。

土佐勤皇党、また土佐藩内で迅衝隊のメンバーだった三宅謙四郎は、この写真に対すると思われるコメントをしています。

「平生、大の議論好きなり。その風貌、写真の伝うのごとし。似たりとは愚か全くそのままなり。ただし眼光炯々けいけい(きらきらすること)として蒼鷹そうおう(若いタカ)の羽ばたかんとするがごとき感なるも、実際の人となりは温和にして色白く、声音も尋常なりき」

坂本龍馬よりも高い評価?

医師であり、明治時代には官僚となった早川勇は中岡を坂本より高く評価しています。

「薩長和解は、坂本龍馬が仕遂げたというも過言ではないが、私は内実の功労は中岡慎太郎が多いと思う」

「長州における坂本と中岡の周旋を見るに、はでなことは坂本に属するが、中岡はどうかというに、この人ほど苦心した者はないと思う」

陸援隊で中岡慎太郎、坂本龍馬、陸奧宗光と共に活動し、明治新政府で陸奧宗光の片腕として活躍した大江卓も同様の意見を持っています。

「元来、土佐の王政復古論の筆頭は坂本龍馬だということになってはいるが、或は中岡慎太郎の方ではないかと自分は思っている。(略)中岡は後の板垣(退助)、坂本は後藤(象二郎)、(略)長州を例にとっていえば、松蔭門下の久坂玄瑞、高杉東行(晋作)というところである。」

これらの人々の評価では、中岡慎太郎は坂本龍馬ほどの派手さはなくとも、写真通りの実直さで、優れた人格の持ち主でした。

明治政府が出来上がるまで生きていれば、必ず新政府で活躍したはずの逸材であることがわかります。

 

3人で共に写る中岡慎太郎

もう一枚が土佐から上京した義兄(姉の夫)北川武平次と、間に芸者を挟んで慎太郎と3人で写した写真です。

1枚目の写真とはがらりと雰囲気が変わります。

故郷に元気な自分を知らせるため?

故郷の人々に近況を伝えるための写真かもしれません。

左に中岡が坐り、右に北川が坐り、2人の男性の間に坐っているのが、芸者の女性ですが名前はわかりません。

なごやかな雰囲気ながら、どこかぎこちなく、女性の落ち着きに比べ、男性2人の表情は少し硬く見えます。

中岡はヒミツを持つ男

女性が一緒に映った理由はよく分かりません。

当時、写真館の主人・堀与兵衛は、モデル女性と組み合わせて一緒に写真を撮ることもあったので、そのようなセッティングだったのでしょうか。

元土佐藩、新政府では官僚を務めた田中光顕が中岡について興味深いことを述べています。

「非常に真面目な男であっただけに、坂本が大ビラにおりょうを連れて歩いたのに比し、彼は極めて秘密のうち閑日月かんじつげつ(暇な時間)を楽しんだものである」

坂本ほど女っ気がなく思えるのは、中岡が女性を遠ざけていたのではなく、ヒミツにするのが上手だったのでしょう。

 

奇妙な笑顔の写真

中岡慎太郎
出典:Wikipedia

最後の写真です。

笑顔が奇妙なのではありません。

中岡慎太郎の笑顔の写真に、奇妙な細工がしてあるのです。

中岡のあざやかな笑顔の謎

右手で頬杖をついた中岡が、首を少し右に傾け、白い歯を見せてさわやかに笑っています。

自然な笑顔が魅力的で、中岡の二枚目さを引き立てているようです。

幕末の肖像写真というのは、みな厳しい表情、生真面目な表情ばかりで、歯を見せて笑っている写真はありません。

この写真は、日本で最初の笑顔を写したものではないかと言われているほどなのです。

しっくりこない写真の謎

この写真には、非常に奇妙な点が2つあります。

まず、中岡の右隣に坐るもう一人が真っ黒に塗りつぶされているのです。

遠慮無くべったり黒くなった部分は、横でさわやかな笑顔を見せる中岡慎太郎とはちぐはぐな感じです。

次に、この写真は「中岡が右手で頬杖をついている写真」に見えながらも実はそうではないことです。

注意して見れば、中岡の頬に触れている手は、ひじの位置などを見ても、中岡本人のものではありません。

隣の人物、しかも女性の左手です。

女性だとわかるのは、中岡の右膝の上に、女物の着物の袖が黒く塗りつぶされずに乗っているのが見えるからです。

中岡の頬に気安く触れる女性は一体誰? 

中岡には祇園に愛人がいたといいますが、勤皇の志士が愛人と共に写真を撮影するということはないでしょう。

上記のように芸者がモデルとして一緒に映ったのでしょうか。

謎は謎のままです。

さわやかと女遊びは両立?

坂本龍馬の妻として有名な楢崎龍ならさきりょうことおりょうは、中岡についてこう言っています。

「面白い人で、私を見ると『おりょうさん、僕の顔に何かついていますか』などと、何時もでがうて(からかって)居りました」

前述の田中光顕は、別に中岡へのこんなコメントも残しています。

「中岡は大体謹厳な人であったけれども、一方のこともなかなか剛の者であった」

「一方」という言葉の意味を考えてみてください・・・。

きょうのまとめ

今回は中岡慎太郎の笑顔を含めた3つの表情が興味深い現存3枚の写真と、彼に関する知人・友人からの評価についてご紹介いたしました。

簡単なまとめ

① 中岡慎太郎は3枚の写真を残した。そのうちの1枚は日本最初の笑顔が撮影された写真と言われる

② 中岡を知る者たちの多くが、彼の幕末での功績を高評価し、早世しなければ明治政府で活躍するほどの大器だったと認めた

③ 厳しくまじめな中岡だったが、女っ気がなかったわけではない

でした。

 
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歴史ライター、商業コピーライター 愛媛生まれ大阪育ち。バンコク、ロンドンを経て現在マドリッド在住。日本史オタク。趣味は、日本史の中でまだよく知られていない素敵な人物を発掘すること。路上生活者や移民の観察、空想。よっぱらい師匠の言葉「漫画は文化」を深く信じている。 明石 白(@akashihaku)Twitter https://twitter.com/akashihaku