マザー・テレサは貧しい人々のために働く人を集めた「神の愛の宣教者会」という修道会の創立します。
そして、その活動を世界規模にまで広め、多くの貧困層を救ったことで称賛されます。
修道会の規模は膨大で、貧しい人や受け入れ先のない病人のために作られた施設は、約123ヵ国・600カ所以上に渡って設置されているほどです。
その影響力によって、数えきれないほどの人々が救われたことでしょう。
今回注目するのは、そんな世界規模の施設のなかでも、最初に作られた
「死を待つ人々の家」です。
テレサの活動の原点であるこの施設では、どのようなことが行われているのか、またどのような経緯で作られたのかに迫っていきましょう。
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きっかけはインドで働き、貧富の差を目の当たりにしたこと
マザー・テレサが貧しい人々を救うために活動を始めたのは、インドのカルカッタ。
そして「死を待つ人々の家」も、このカルカッタにあります。
しかし彼女はインドで生まれ育ったわけではなく、元は東ヨーロッパのコソボ州ユスキュブ(現在のマケドニア)の出身です。
そんなテレサがインドで働くことになったのは、彼女が育った家庭環境の影響でしょう。
テレサの故郷では珍しいキリスト教徒の両親に育てられた彼女は、困っている人を助けたいという想いが強く、
「将来はインドで働く修道女になるんだ」
と幼少から考えていたといいます。
カルカッタにて上流階級の教育にあたる
21歳のころに念願を叶え、テレサは修道女としてインドに派遣されます。
そこから約17年間に渡り、カルカッタの聖マリア女学院にて、上流階級の女学生の教育を行いました。
テレサが日々相手にしているのは上流階級…いわゆるインドでも富裕層の学生たちです。
しかしカルカッタには、貧困にあえぐ人たちもたくさんいます。
彼女は立場上、その貧富の差を痛感せずにはいられなかったのでしょう。
すべてを捨てたはずのテレサに残ったものは人徳だった
1946年ごろ、テレサは神から
「すべてを捨て、最も貧しい人たちのために働くべきだ」
という啓示を受けたといいます。
しかしこれはきっと、幼少から人のために働きたいと考えてきたことと、カルカッタの貧富の差を目の当たりにしたことから浮かび上がってきた想いではないでしょうか。
そして1948年に修道会から許しを得ると、テレサは単身スラム街へ移り住み、ホームレスの子どもに向けて無料の授業を開くようになります。
まさに安定した仕事や住居を捨て、貧困にあえぐ人たちのために働き始めたのです。
こうして今までの生活をすべて捨てたように見えたテレサでしたが、ただひとつ残ったものがありました。
テレサがスラムで働いていると聞き付けると、なんと彼女の教え子たちがこぞってボランティアに駆け付けたのです。
人が集まれば噂は広がっていくもの。
そこから活動の評判は地域で名をはせ、1952年には活動拠点として、国からヒンドゥー教の廃寺院を譲ってもらえることに。
その建物を元に、行き倒れになった貧困層の受け入れを行う、「死を待つ人々の家」が作られたのです。
「死を待つ人々の家」とは?
現在でも死を待つ人々の家では、多くの人が活動を行っています。
施設での活動内容
どのような活動が行われているかというと、街で倒れている…もしくは今にも倒れそうなホームレスを施設に受け入れ、寝床と食事を無料で提供するというのが大筋です。
「死を待つ人々の家」と呼ばれるように、そのまま死んでしまう人もいますが、半数は元気を取り戻し、施設を後にしているともいいます。
特徴的なのは人が亡くなったときは、その人の宗派にならって葬儀を執り行うということ。
テレサは敬虔なキリスト教徒でしたから、活動を通してキリスト教を広めようとしているのでは…という疑惑が上がったこともありました。
しかし施設での葬儀の様子を知ると、人々は大いに感銘を受けたといいます。
すぐにでも参加できるボランティア
「死を待つ人々の家」では、ボランティアの受け入れも懐広く行っており、いきなり行って働かせてもらうことも、一日だけ働かせてもらうといったこともできるのだとか。
きっと貧困層を取り巻く問題の認識が、少しでも一般に広がっていくようにという姿勢の表れなのでしょう。
異国でのボランティアというとハードルが高く感じますが、インドは物価も安いので、学生などの若いうちに、アルバイト代を貯めてチャレンジしてみる…というのも、良い経験になるかもしれませんね。
きょうのまとめ
マザー・テレサはインドの貧富の差を目の当たりにすると、何もないところから慈善活動を開始しました。
慈善活動というぐらいですから、それで生計が立つわけでもなく、活動が広がっていく保証もありません。
単身スラムへと身を移した覚悟が、相当なものだったとわかりますね。
最後に今回の内容を簡単にまとめておきましょう。
① マザー・テレサはインドに移り住み、貧富の差を目の当たりにしたことで、貧困層のために働く決意をした
② 上流階級の教育にあたっていたころから人望があり、活動を始めてからもその評判はすぐに広まった
③ 死を待つ人々の家では、行き倒れになったホームレスの支援を行っている。ボランティアの受け入れ体制も整っており、参加しやすい
いくら「貧しい人を救いたい」と思ったからといって、彼女のように実際に行動できる人がどれぐらいいるでしょう。
その覚悟があったからこそ、活動も世界規模に広がっていったといえます。
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