名言から辿る宮沢賢治の人物像|彼の死後も生き続けた言葉とは…

 

明治・大正の時代を生きた宮沢賢治

『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』『注文の多い料理店』などの童話で知られる、日本有数の有名作家です。しかしその作品の多くは、彼の死後に刊行されたものだとご存知でしょうか。

「これはぜひ発表しなければ」と、見た人を突き動かした作品の数々には、彼の人となりを表したような言葉も数多く収められています…。

今回は賢治の名言でもよく取り上げられるものから、同時にその人物像に迫ってみましょう。

 

人生観を語る名言

けれども、ここはこれでいいのだ

けれども、ここはこれでいいのだ。すべてさびしさと悲傷を焚いて、ひとはとうめいな軌道をすすむ。

(出典:春と修羅)

1924年に賢治が初の自費出版で刊行した詩集『春と修羅』の一節です。

ひょっとすると人生というのは、悲しいことや寂しいことの連続かもしれません。

しかしそういったものを抱えて生きていくからこそ、人生は味わい深いものになるのではないか…そんな意味が感じられますね。

春と修羅が刊行される2年前、1922年に賢治は妹のトシを亡くしており、これはいかにもタイムリーな詩だったといえます。

ただこの詩の意味から察するに、愛する妹の死もまた、彼の糧となっていったのでしょう。

人の心を本当に動かすには

人の心を本当に動かすにはその人の体験から滲み出る行いと言葉しかない。知識だけでは人は共感を感じないからだ。

(出典:不明)

出どころは不明ですが、これも賢治の名言としてよく取り上げられる言葉です。

たくさん勉強して知識を得ることも大切ですが、勉強で得られる知識はどこまで行っても人から聞いたことに過ぎません。

前もって知識をもっていても、実際に体験してみると感じ方が違うということも多くあります。

経験の結果や感じ方は人によって変わってくるもので、絶対的な答えなどないのです。

だからこそ自分の経験をもって語る人の言葉には、説得力があるのでしょう。

 

仕事に関する名言

すこしぐらいの仕事ができて…

おれはすこしぐらいの仕事ができて そいつに腰をかけてるような そんな多数をいちばんいやにおもうのだ

(出典:告別)

結局賢治の生前には刊行が実現されなかった『春と修羅 第二集』に収められた『告別』からの一節。

ある程度の仕事ができれば、普通に暮らしていくことには困りません。

またある程度できるなら、職場の人間関係にしてもそこそこにやっていけるでしょう。

ただ賢治はそうやってそこそこに暮らしていく人たちとは、違った価値観をもっていたようです。

そこそこの仕事ができるようになったなら、さらに上を目指して頑張る。

晩年、砕石さいせき工場へ務めた賢治は、自分の体調が好ましくないにもかかわらず、出張を積極的にこなし、人一倍の仕事をしたといいます。

そこそこに働いて、そこそこに暮らしていく人生は、賢治にとって、たとえ病気を患っていてもあり得ないものだったのでしょうね。

これも頭一つ抜きんでるためには、大切な思考だといえます。

ほんとうにいいことをしたら

誰だって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸せなんだねえ。

(出典:銀河鉄道の夜)

賢治の死後に刊行され、彼の代表作となった『銀河鉄道の夜』からの一節。

幸せというと、「贅沢な暮らしをしたい」「美味しいものを食べたい」といったことが頭に浮かんできますが、賢治はそういったことを本当の幸せとは考えていなかったのでしょう。

前述のように、彼は生前素晴らしい作品を多く残しただけでなく、他の仕事においても懸命に働く姿を見せています。

きっと彼のいう「ほんとうにいいこと」というのは、人のために何かをすること…すなわち一生懸命に働くことだったのではないでしょうか。

どんな仕事でも、それで喜んでくれる人がいれば充実感があるものです。

「人は一人では生きていけない」とよくいうように、他人のために何かをすることはある種、人間の本質なのでしょう。

 

賢治の目指した人物像を語る名言

雨にも負けず 風にも負けず雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫なからだをもちよくはなく 決して怒らずいつも静かに笑っている。

(出典:雨ニモマケズ)

工場の技師として病床から復帰していた賢治でしたが、1931年のこと、出張先で倒れてしまいます。

二度目の病状悪化ということで、彼もとうとう決意を固め、このころに遺書を残しました。

その同時期に手帳に記されたのが、この『雨ニモマケズ』という詩です。

この詩に記されているのは、賢治の理想とする人物像でしょう。

どんな状況にも屈しない丈夫な体と精神をもち、心はいつも穏やかであること。

自身が病床に伏してしまったからこそ、このような表現になったのでしょうか。

死の直前、賢治は母のイチに体を拭いてもらうと「いい気持ちだ」と繰り返し言い、最期も眠るように息を引き取ったといいます。

どんなに病気が辛くても、家族に心配をかけないために、穏やかな最期を迎える…雨ニモマケズには、そんな賢治の決意が込められていたとも取れますね。

 

きょうのまとめ

宮沢賢治の名言の数々には、偉人のそれにありがちな「成功の秘訣」のようなものは少ないように感じます。

彼の言葉から感じられるのは、「人生をいかに豊かに生きていくか」ということが大半。

そういった意味では、何かに挑戦しようとしている人だけでなく、万人に通じる言葉だといえるでしょう。

最後に今回の内容を簡単にまとめておきましょう。

① 人生は悲しみや寂しさがあってこそ味わい深い。経験によって人は形作られる

② ある程度の仕事ができるようになったら、さらに上を目指す。そうやって人の役に立っていくことが本当の幸せ

③ 宮沢賢治は病気にこそ侵されたが、自身の理想像の通りに苦痛には屈せず、穏やかな最期を送った

作家としてだけでなく、教師や工場の技師など、さまざまな経験を積んで来た賢治の人生は、短くても相当に濃厚なものだったはずです。

素晴らしい作品の数々も、その経験値から作ることができたのでしょう。
 
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