松平定敬とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 
伊勢桑名18代藩主・松平定敬まつだいらさだあき

京都所司代に任じられ、一橋慶喜、松平容保かたもりとともに京都を守護。

一会桑いちかいそう政権」の一角を担った人物です。

大河ドラマ『青天を衝け』では、小日向文世さんの次男・小日向春平さんが配役に決定。

松平容保役の小日向星一さんとの兄弟出演も注目されています。

そんな松平定敬とは、いったいどんな人物だったのか。

実は、若くしてかなり激動の人生を送っていたり…。
 

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松平定敬はどんな人?

プロフィール
松平定敬まつだいらさだあき

松平定敬(徳川林政史研究所蔵、1862年)
出典:Wikipedia

  • 出身地:江戸市谷・美濃高須藩邸
  • 生年月日:1846年1月18日
  • 死亡年月日:1908年7月21日(享年61歳)
  • 伊勢桑名18代藩主。京都所司代となり、幕末の動乱で治安が悪化する京都を守った。戊辰戦争では新政府軍を相手に各地を転戦。

 

松平定敬 年表

年表

西暦(年齢)

1846年(1歳)美濃高須藩主・松平義建よしたつの八男として、江戸で生まれる。

1859年(14歳)伊勢桑名藩主・松平定猷さだみちが死去。定猷の娘・初姫の婿養子となり、桑名18代藩主に就任する。

1863年(18歳)14代将軍・徳川家茂いえもちの上洛に随行。

1864年(19歳)京都所司代に任命される。「禁門の変」「長州征討」「天狗党の乱」に出兵。

1868年(23歳)「戊辰戦争」で朝敵となり、各地を転戦。翌年降伏する。

1872年(27歳)戊辰戦争の罪が赦免となる。許嫁いいなずけの初姫と結婚。

1873年(28歳)横浜市立中共立修文館へ入学。アメリカ宣教師サミュエル・ブラウンに英語を習う。ブラウンの私塾設立にも協力した。

1874年(29歳)アメリカへ遊学する。

1877年(32歳)旧桑名藩士を率いて「西南戦争」へ出兵。

1894年(48歳)日光東照宮宮司となる。

1908年(61歳)死去。

 

伊勢桑名藩主となる


1846年、松平定敬は江戸の美濃高須藩邸にて生まれます。

父は美濃高須藩主松平義建よしたつ

兄には

・徳川慶勝よしかつ…御三家尾張藩主

・徳川茂徳もちなが…尾張藩主、のち一橋家当主

・松平容保…会津藩主

の3人がおり、定敬を加えた4人で「高須4兄弟」と呼ばれていました。

そう、華々しい経歴の兄たちに負けじと、定敬も14歳にして伊勢桑名藩主となります。

その経緯にも紆余曲折があって…

前藩主・松平定猷さだみちが亡くなった折、嫡子の定教さだのりはまだ3歳。

さすがに藩主を務めるのは無理だろう、ということで定敬がとりあえずの藩主に任じられたのでした。

このとき、定猷の娘・初姫の婿養子という形で家督が譲られているのですが、この初姫もまだ3歳。

江戸時代の大名家ではよくある話だったのかもしれませんが、赤ん坊と婚約させられるってどんな気分だったのでしょう。
 

京都所司代に就任。一会桑政権が成立


1862年以降、幕府と朝廷では公武合体こうぶがったいが推進され、政治の舞台は京都へと移されていました。

(※公武合体…朝廷と幕府が協力して政治を行っていく体制のこと。これまではほとんど幕府の独断でやっていた)

すると、諸藩の攘夷じょうい志士らも集まり、京都の治安は一気に悪化。

(※攘夷志士…外国との条約に反対し、武力で外国人を追い払おうとしている人たち)

そのため1864年、定敬は京都所司代となり、京都の守備を任されることとなります。

この前年、兄の松平容保京都守護職となっており、所司代はそのサポート役でした。

もともとは長岡藩主・牧野忠恭ただともが所司代を任されていたのですが、

長岡藩では力不足ということで、淀藩主・稲葉正邦にその座が譲られることに。

しかし稲葉はすぐ老中に登用されてしまったため、今度は定敬に役目が回ってきたのです。

兄の容保が守護職だった関係で、断るに断れなかったなんて話も…。

一方では、一橋慶喜が、朝廷の守護を職務とする禁裏守護総督きんりしゅごそうとくに就任。

・徳川慶喜(禁裏御守衛総督・橋徳川家当主)

・松平容保(京都守護職・津藩主)

・松平定敬(京都所司代・名藩主)

ここに一会桑いちかいそう政権」が成立します。

以降、定敬は桑名藩を率い、

・禁門の変

・天狗党の乱

・長州征討

などで出兵し、攘夷派の鎮圧に奔走していきました。

このときまだ10代で藩士たちの指揮を執っていたことに驚かされますよね。

そして…そうこうしているうちに、時代は倒幕の流れに陥っていきます。
 

戊辰戦争で朝敵となる

1868年になり、戊辰戦争が勃発すると、会津藩・桑名藩は「鳥羽伏見の戦い」で、新政府軍と対峙。

将軍・徳川慶喜は朝敵となることを恐れ、大阪城から江戸へ逃亡することに。

このとき、松平兄弟も慶喜とともに江戸へ向かうこととなります。

ふたりが大阪に残っていれば、慶喜に代わる総大将に立てられ、戦いが泥沼化しかねないからでした。

桑名藩に帰れない!

徳川慶喜

慶喜の主張は断固として政府に恭順すること。

自らは謹慎し、江戸へ連れてきた松平兄弟にも江戸城に入ることを禁じてしまいます。

こうなると、定敬も藩へ帰らざるを得なくなるのですが…

実はこのとき、桑名藩はとても帰れるような状況にありませんでした。

というのも、西日本ではすでに新政府軍の侵攻が進んでおり、桑名藩では、

「これはまずい!」

と思った家老たちの独断で新政府への降伏が進められていたのです。

定敬は徹底抗戦派と見なされていたため、前藩主の嫡子・定教を新しい藩主に立てる形で。

留守にしているあいだに…藩を守るためとはいえ、なんか切ない。

こうして定敬は藩へ帰ることもできなくなり、やむを得ず桑名藩の分領がある越後・柏崎へ移るのです。

徹底抗戦する定敬。上海まで逃げた?

東北地方へ移った定敬は、会津の地で兄容保と合流すると、徹底抗戦する決意を固め、各地を転戦。

最終的には蝦夷地(北海道)まで行き着き、函館戦争にいたります。

そしてここで、桑名藩家老・酒井孫八郎が、定敬に降伏するよう説得しにやってきます。

定敬が抗戦する限り、桑名藩は許してもらえない方向で話が進んでいたからです。

…と、ここでまた定敬の行動に驚かされることになります。

定敬
降伏?やなこった!

とでも言うように、アメリカの船で上海まで逃げてしまうのです。

まあ、すぐにお金が尽きて帰ってくるんですけどね。

ここまでの定敬は、あれよあれよという間に要職を任され、なんだか運命に翻弄されていたようなイメージ。

それがここに来て、かなりの負けず嫌いであることが判明しました。

ともあれ、こうした紆余曲折がありながら、1869年、定敬は新政府に降伏することとなります。
 

欧米への憧れ

明治期が訪れ、1872年になると定敬の罪もようやく許されることに。

このとき定敬は、

定敬
政府を辞めて一般人になりたい!

と訴えたそうですが、認められず。

同じ年に欧米視察に行きたいと願い出ているので、ほんとは仕事をやめて海外を見に行きたかったのかもしれません。

欧米視察の件は、結局定敬の体調が悪かったため、流れているのですが。

そしてこの翌年、アメリカの宣教師サミュエル・ブラウンが創設した横浜市立中共立修文館という学校へ入学。

養子の定教や、旧桑名藩士・駒井重格しげただらを率いて英語を勉強するようになります。

のちにブラウンはいざこざがあって学校をやめさせられてしまうのですが、その際も定敬が私塾の創設を支援。

1874年になると、定敬と定教、駒井らは揃ってアメリカへ留学し、兼ねてからの憧れを叶えることとなりました。

このとき、定教と駒井はニュージャージー州のラトガース大学へ入学。

その経験を活かし、帰国後はそれぞれ政府にて活躍しています。

一方、定敬がアメリカで学校に入ったかどうかは定かではなく、帰国したあともなにか目立った活躍があるわけではありません。

単にアメリカに行ってみたかっただけ…?なんてことは、さすがにないでしょうが。

ただただ、定教や駒井のような後輩を育てようとしていたのかもしれませんね。

ちなみにこの数年後、定敬は旧桑名藩士たちを率いて、西南戦争にも出兵していたり。

定敬
戊辰戦争ではよくもやってくれたな!

と言わんばかりに、新政府に歯向かっています。

やっぱり負けず嫌いだった…。
 

きょうのまとめ

若くして幕府の重要ポジションを任され、ゆえに戊辰戦争では朝敵となってしまった松平定敬。

反面、逆境にめげない行動力にはしばしば驚かされる部分がありました。

最後に今回のまとめ。

① 松平定敬は桑名藩主・松平定猷が亡くなった折、嫡子が3歳と幼かったがゆえ、新しく藩主に迎えられた。それなりに力のある藩だったため、公武合体を機に京都所司代にも就任。

② 戊辰戦争で徹底抗戦を唱えるも、留守にしていた桑名藩では、家老たちによって降伏が進められる。帰れなくなった定敬は東北や北海道で転戦し、最後は上海まで逃げた。

③ 明治期に入ってからは海外への憧れを特に強めた。アメリカ人宣教師から英語を学び、アメリカへも留学している。

運命に翻弄されているかと思えば、とびきり冒険心に満ちていたり。

松平定敬とは、まさに激動の生涯を送った人物でした。

 
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