江戸時代末期、日米修好通商条約の締結や、それに伴う反対派への弾圧「安政の大獄」など、良くも悪くも日本史上に大きなインパクトを残した
井伊直弼。
一見悪名高い人物ですが、それぞれの真意を辿ると、そこには彼の確固たる決断力が見えてきます。
そして何より直弼は学問や武芸に秀で、多岐に渡る教養をもつ人物でもありました。
国学や短歌などにも理解が深く、名言もたくさん残しています。
今回はそんな彼の名言の数々を、エピソードとともに辿っていきましょう。
強い意志をもったその生き様もしっかり伝わってくるはずです。
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井伊直弼の名言5選
修行の日々を物語る名言
世の中を よそに見つつも うもれ木の…
「世間から見れば俺なんて埋もれ木にすぎないかもしれないけど、心までは埋もれてないぜ」
現代風に訳すとこんな感じでしょうか。
直弼は17歳のころ、兄弟のなかで唯一跡取りにもなれず、諸大名の養子候補からも漏れてしまった自身の境遇を「埋もれ木」と揶揄し、「埋木舎」と名付けた屋敷に移り住みました。
そこから15年にも及ぶ修練の日々が始まります。
身分こそ埋もれていても、彼の心は少しも折れていなかったからこそ、15年ものあいだ修行に励むことができたのですね。
予は一日に二時眠れば足る
二時というのは江戸時代の計算で4時間のこと。
これも直弼が埋木舎に移った当時に語った言葉で、意味はそのまま、「4時間も寝れば平気だ」と、彼は寝る間も惜しんで修行に励んだのです。
そんな直弼が取り組んでいった学問や武芸は、冒頭でも少し触れたように茶道や和歌、国学から居合道など多岐に渡っていました。
しかもそれぞれの分野で新しい流派を起こしたり、歌集まで残していたりしますから、半端ではない取り組み方をしていたことも伺えます。
どんなことでも寝食忘れて取り組む姿勢があれば、何かしらの形で芽を出せるということを、彼は自身の身をもって教えてくれているのです。
上なるも下なるも楽しむ心がなくては…
「たとえどんな身分にあったとしても、人生を楽しもうという心がなければ暮らしてはいけない」
といったところでしょうか。
この修行期間、直弼の興味が多岐に渡っていたのは、彼に
「どんなことでも楽しもう」
という気構えがあったからでしょう。
「天才は努力を努力だと思っていない」などとよくいわれますが、それは彼らが努力を楽しんでやっているからです。
直弼もそんな天才の一員で、なによりどんなことにも楽しんで取り組んだからこそ、それぞれの分野で一角の才能を発揮したのでしょうね。
晩年の名言
重罪は甘んじて我等一人に受候決意
これは直弼が日米修好通商条約の締結を行った際、天皇の許可を得ていなかったため「罪に問われるのでは…」と心配した家臣に言った言葉です。
「罪は俺ひとりが甘んじて受けよう」
リーダーとしての自覚が表れたなんとも男らしい言い草ですが、この言葉の本質は心配した部下に向けられているところにあります。
多くの場合、人が何かを心配するときというのは、そのことが自分にも影響してくるとき。
つまり他人を心配しているようでいて、自分にも飛び火しないかを気にしてのケースがけっこうあります。
もしその心配が部下の保身の気持ちからだと知ったうえで、この言葉を直弼が言っていたとしたら、ともに働く部下としては理想の上司だったのかもしれませんね。
自分が罪に問われることを恐れないうえ、部下の不安を察する思いやりももっているのですから。
咲きかけし 猛き心の 一房は
「俺は自身の想いを遂げることができなかったが、この熱き想いは後世で必ず認められる日がくる」
これは1860年3月24日、直弼が桜田門外の変にて暗殺される前日に詠んだ辞世の句です。
世間にこそ認められなかったものの、直弼が行った日米修好通商条約の締結や、安政の大獄での弾圧が、あくまで彼なりの正義のうえに成り立っていたことを物語っています。
残念ながら今でも悪人としての認識のほうが色濃い彼ですが、残酷でない側面もあるということがもっと広まっていくといいですね。
また辞世の句を詠んでいるところをみると、直弼が「もはやこれまでか…」と、生涯の終わりを予感していたことも伺えます。
世間の反感が高まるなか、部下から護衛を増やすよう進言されたときも彼は
「ひとりにつける護衛の数は幕府の決まりがあるから」
といって増やさなかったといいます。
いずれ襲撃されることはわかっていたのに…どこまでも筋が通った人物だったのですね。
きょうのまとめ
言葉に人格が表れるといいますか、井伊直弼の名言はどれを見ても、その意志の強さが如実に感じられます。
歴史に名を残す大事件も、その意志があったからこそ生まれたもの。
良いか悪いかは別として、無許可での条約の締結も、安政の大獄での大胆な弾圧も、並みの精神力ではとても決行できるものではありません。
最後に今回のまとめをしておきましょう。
① 青年期の直弼は寝る間も惜しんでさまざまな学問や武芸の習得に勤しんだ
② 重責は自分一人で負うと、部下を安心させた直弼は理想の上司?
③ 非道といわれる政策にもすべて直弼なりの正義があり、晩年は後世で認められると信じていた
当時こそ事は悪い方向に運んでしまいましたが、その生き様には見習える部分がたくさんありますね。
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