平塚らいてう(雷鳥)によって設立されたことで有名な青鞜社。
教科書では習ったけれど、結局何をやっていた団体なのでしょうか。
今回は青鞜社と雑誌『青鞜』、さらに青鞜社メンバーのスキャンダルについて簡単にご紹介していきます。
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青鞜社はどんな目的の団体だった?
青鞜社は明治44年(1911)、平塚らいてうの呼びかけで結成された文学団体のことです。
女性だけで構成され、女性の感性の解放を目指すためにつくられました。
同年には、雑誌『青鞜』を創刊しています。
青鞜とは不思議な名前に聞こえますが、これは「ブルーストッキング」を訳したものでした。
ブルーストッキングとは、ロンドンの急進的な女性を指す言葉です。
雑誌『青鞜』は急進的な内容ゆえに、数度の発禁処分を受けます。
そして財政難が原因で廃刊となり、青鞜社自体も大正5年(1916)に解散しました。
雑誌『青鞜』について
先ほども触れた雑誌『青鞜』は、日本初の女流文芸同人誌でした。
創刊号
その創刊号に、平塚らいてうが書いた文章は特に有名です。
元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である
さらに表紙の絵は、後に高村光太郎(※1)の妻となる長沼智恵子のデザインでした。
※1 大正時代に活躍した詩人・彫刻家。詩集『智恵子抄』は有名。
また巻頭には、与謝野晶子も詩を寄せています。
雑誌『青鞜』はそれまでの「良妻賢母」を良しとする女性の在り方について、社会に疑問を投げかけたのでした。
脚光と批判
そんな『青鞜』は当時の女性たちから大きな反響を得る一方、やはり快く思わない人たちも大勢いました。
当時はまだまだ、封建的な考えが一般的だったからです。
そんな時代、自由な青鞜社の社員の言動は大バッシングを受けることになります。
青鞜社メンバーのスキャンダルをいくつかご紹介しますね。
これは紅吉の叔父が、吉原で働く女性を知っておいてはどうか、と提案したことがきっかけだったようです。
ただそれだけのことなのですが、当時としては衝撃的。
「吉原登楼事件」という仰々しい名前を付けられて報じられました。
現代の感覚からいうと、次はもっとすごいですよ。
え・・・・・・それだけ?
ええ、それだけですが、当時女の飲酒は常識から外れていたのです。
紅吉は飲酒をしたことを新聞記者に語ったことで、バッシングを受けます。
最後のご紹介するのは、上の二つとは毛色が違います。
青鞜社メンバーの神近市子が、大杉栄(※2)を刺したという事件です。
嫉妬に狂った市子は、葉山の日蔭茶屋という旅館で大杉を刺してしまったのです。
結局大杉は死には至らず、市子は殺人未遂で逮捕され、2年間服役することになりました。
確かにこれは、大バッシングを受けても仕方がありませんね。
こちらの事件は、青鞜社の解散にも大きな影響を与えたといいます。
ですがそんな市子さん、戦後になると衆議院議員5期も務めているんですよ。
きょうのまとめ
今回は、平塚らいてうのつくった青鞜社について簡単にご紹介しました。
② 『青鞜』創刊号「元始、女性は実に太陽であった」の平塚らいてうの文章は有名
③ 青鞜社メンバーの行動は社会からバッシングを受けた
こちらのサイトでは他にも、平塚らいてうにまつわる記事をわかりやすく書いています。
より理解を深めたい方は、ぜひお読みになってくださいね。
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