ヘレン・ケラー|三重苦背負うも克服させた両親の愛情

 

生まれて間もなく病気により、視覚と聴覚の機能を失い、

言葉も話せないまま育てられたアメリカ人女性。

しかし、熱心な家庭教師に出会い、三重苦を克服した後、

貧困や差別、病気や障害に苦しむ人々を救うという快挙をやってのけた人物です。

今回は、そんなヘレン・ケラー三重苦に焦点を当てながら、

両親がヘレンへ注いだ愛の力で彼女の人生を変えた奇跡をお話ししたいと思います。

 

ヘレン・ケラーが抱えた三重苦とは?

ヘレン・ケラー

出典:Wikipedia

三重苦を負った理由

皆さん、目をつぶって、耳をふさいでみてください。

漆黒の闇と沈黙だけの世界って、不安になりませんか?

神様のいたずら?

そんな人生を背負ったにもかかわらず、世界を股にかけ障害者の教育・福祉の発展に貢献した素晴らしい女性に成長したヘレン・ケラー。

ヘレンが三重苦を背負ったのは、1歳と8ヶ月の時。

当時の診察では、

「急性の胃と脳髄の充血によって、高熱に数日間犯されたこと」

が原因とされています。

容態は重篤で、医師からは「もう駄目だろうと」伝えられたほど。

奇跡的に、一命はとりとめました。

最近ではヘレンの病気は、

猩紅熱しょうこうねつ

脳脊髄膜炎のうせきずいまくえん

・風疹

だったともいわれているようです。

病気になる前のヘレン

ヘレンの母親のケートは、読書家で時事問題にも精通する才女で、性格は朗らかで明るい人でした。

更に、背が高く、スタイルも抜群で、ステキな青い目をもった、誰もが憧れる女性。

その性格を受け継いでいたのか、ヘレンは快活でいつもニコニコと朗らかに暮らしていました。

片言ですが、生後6ヶ月ごろには、言葉も話せたようです。

はじめて歩いたのは、1歳の誕生日を迎える前で、このころには「パパ」、「ママ」、「ブーブー」、「ワンワン」など、
はっきりした単語を話していました。

慌てふためく両親

奇跡的に一命をとりとめたヘレンでしたが、両親はすぐに彼女の異変に気づきました。

目を開けているヘレンの目の前で手をかざしても、呼びかけても無反応

近くで物を落としても大きな音を立てても、普通の赤ちゃんのように泣くこともありませんでした。

今までとは全く違った状態に、ヘレン自身も赤ちゃんながらどんな思いをしたことか。

両親はいくつもの眼科や耳鼻科を巡り、名医と呼ばれる人々を訪ね歩きました。

障害をもって6週間後には、鉱泉が目に効くと聞いた母と叔母が、ヘレンを連れて行き湯治をさせるも全く効き目はありません。

母も初めての子供の障害に気落ちをし、性格も控えめになり、人前に出ることはなくなってしまいました。

母の思いを知ったヘレンは、後年、障害者の母親の気持ちも分かる人に成長したようです。

両親の愛情による成長

しかし成長途中のヘレンは、食事は手づかみ、

思い通りにならなければ泣きわめくだけの、野生動物のような生活でした。

人や物を見分けるための、手で触ったり、臭いをかいだりする行動は、自然に身に着けました。

父や母の愛情により、首を横に振れば「No」や、縦に振ってうなずくのが「Yes」というジェスチャーを使うようにります。

また、父のことを伝えるときはメガネをかける真似を、母のことは頭の後ろで髪をまとめるという、ジェスチャーで表現していました。

5歳までには、60ものジェスチャーによる意思の疎通を図れるようになったのです。

この様々なジェスチャーは、誰かが教えたものではなく、人に自分のいいたいことを伝えられないもどかしさから、ヘレン自身が考えたこと。

彼女自身の能力が高かったことも読み取れますね。

 

障害から得た出会い

ベル博士との出会い

辛い結果の連続でも、ヘレンの回復を願い色々な病院へ連れ回す両親に、ひとつの道筋の光が見えました。

1886年に、東部にあるボルティモアの眼科に、はるばる訪れた時のことでした。

一人の眼科医が、

治る見込みはないが、耳が不自由な人のための教育に一生を捧げた人物を知っている

というのです。

それは、シカゴに聾学校を開いており、聾教育にも貢献していた

「アレクサンダー・グラハム・ベル博士」

電話の発明で有名な人物といえば、ピンとくるでしょう。

その偉人を紹介されたのです。

母が聴覚障害者だったベル博士(妻も聾者でした。)は、ヘレンを怪訝に見るわけではなく、温かく迎えてくれました。

ヘレンを膝の上にのせてくれたり、ヘレンが興味をもった時計をならしてみたり、ヘレンが伝えたいジェスチャーも他の人よりスムーズに理解してくれたのです。

ここでヘレンは孤独から解放され、人とのかかわりや友情、知恵や愛に満ちた生活を送る切符を手にしました。

更にベル博士は、

ベル博士
ヘレンには家庭教師が必要

と助言し、それに向けての道筋を作ってくれる人を紹介してくれました。

アン・サリバンとの出会い

その後、盲学校を卒業したばかりのアン・サリバン女史を家庭教師とすることができました。

その後の人生がめざましく変わったのは皆さんご存知でしょう。

でも、アン・サリバン先生と出会う前にヘレンは、これだけのことができるようになっていました。

ジェスチャーで身内とコミュニケーションが取れることと、嗅覚や手に触れる感覚で、人や物を見分ける力をつけていました。

更に後年、握手をしただけで相手が抱く、自分に対する感情を読み取る力があったとされる、「ヘレンの人を見る目」も、このころには養っていたようです。

親の存在は、いくつになっても本当にありがたいもので、障害をもっても必死に育ててくれるものと改めて感謝の念をもちました。

もし自分の子供が、三重苦であったとしたら、本当にここまでできるのだろうかと、

ヘレンの両親にも改めて敬意を表したいと思います。

 

きょうのまとめ

三重苦を背負ったヘレンへの、両親の愛情の深さを紹介しました。

いかがでしたでしょうか。

簡単にまとめると

① 病気の原因は、高熱が続いたこと(最近の研究では、猩紅熱や脳脊髄膜炎や風疹と言われている)

② 5歳までに60ものジェスチャーによるコミュニケーション疎通が図れた

③ ヘレンの回復を願う両親の努力により、ベル博士やアン・サリバン先生との出会いに繋がった

と言えるのではないでしょうか。

ヘレン・ケラーについては、他にも様々な記事がありますので

よろしかったらご覧になってみてください。

 
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