ヘンデルとはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

主に18世紀に活躍したドイツ出身の作曲家、

ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル

バロック音楽を代表する作曲家である彼は、オペラ作品やオラトリオ作品を多く手がけました。

ヘンデルとは一体どのような人物だったのでしょうか。

今回は彼の生涯に迫り、その功績を一緒に見ていきましょう。

 

ヘンデルはどんな人?

プロフィール
ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル

肖像画(1733年)
出典:Wikipedia

  • 出身地:神聖ローマ帝国(現在のドイツ)ハレ
  • 生年月日:1685年2月23日
  • 死亡年月日:1759年4月14日(享年74歳)
  • ヨーロッパのバロック音楽時代を代表する作曲家。

 

ヘンデル 年表

年表

西暦(年齢)

1685年(0歳)神聖ローマ帝国・ハレに誕生。

1693年(8歳)聖マリア教会のオルガニストの下で音楽を学ぶ。

1699年(14歳)『トリオソナタ』を作曲。

1702年(17歳)ハレ大学に入学。大聖堂のオルガニストになる。

1703年(18歳)ハンブルクのオペラ劇場でヴァイオリニストに就任。

1704年(19歳)オペラ『アルミーラ』を作曲。翌年ハンブルクで初演。

1706年(21歳)イタリア・フィレンツェに留学。

1707年(22歳)イタリア諸都市に滞在し、カンタータを多数作曲。フィレンツェでオペラ『ロドリーゴ』の初演。

1709年(24歳)ヴェネツィアでオペラ『アグリッピナ』が大成功を収める。

1710年(25歳)ドイツに帰国後ハノーヴァーで宮廷楽長に就任。11月、ロンドンに赴く。

1711年(26歳)ロンドンでオペラ『リナルド』の初演が大成功を収める。

1717年(32歳)イギリス国王の前で組曲『水上の音楽』演奏。

1719年(34歳)オペラ団体「王立音楽アカデミー」が設立され音楽監督に就任。

1724年(39歳)オペラ『ジュリアス・シーザー』の初演。

1727年(42歳)『戴冠式アンセム』を作曲。2月にイギリス国籍を取得。

1732年(47歳)オラトリオ『エステル』を上演し大成功を収める。

1736年(51歳)オラトリオ『アレクサンダーの饗宴』の初演。

1737年(52歳)王立音楽アカデミーの倒産。脳卒中で倒れる。

1739年(54歳)オラトリオ『サウル』の初演。『合奏協奏曲』を作曲。

1742年(57歳)オラトリオ『メサイア』の初演で大成功を収める。

1749年(64歳)オラトリオ『ソロモン』の初演。組曲『王宮の花火の音楽』を作曲。

1751年(66歳)オラトリオ『イェフタ』を作曲。11月に白内障の手術を受ける。

1752年(67歳)『イェフタ』の初演。11月、3度目の白内障手術を受けるも翌年完全に失明。

1757年(72歳)オラトリオ『時と心理の勝利』の初演。

1759年(74歳)4月14日、死去。

 

ヘンデルの生涯

ここからは早速、ヘンデルの主な功績とその生涯をご紹介していきます。

少年時代

1685年、神聖ローマ帝国(現在のドイツ)のハレに誕生したヘンデル。

父親は代々公爵家の従僕兼外科医の家系で、息子には法律家になることを求めていました。

そんな音楽とは無縁そうな家庭に誕生したヘンデルですが、彼は幼い頃から既にその才能の片鱗を覗かせていました。

父親が仕えていた公爵の支援を受けて音楽教育を受けた彼は、17歳の時に父の望み通り大学で法律の勉強をするも、その傍ら大聖堂でオルガニストを務めていました。

その後音楽家としての道を諦めきれなかったヘンデルは、リューベックでブクステフーデにオルガンを習ったり、ハンブルクでオペラ『アルミーラ』を作曲したりと本格的にその道を歩み始めます。

イタリア留学とオペラ

21歳を迎えた頃、当時音楽芸術の最先端だったイタリアのフィレンツェに留学をしたヘンデル。

彼は25歳でドイツに帰国するまで、ローマやナポリ、そしてヴェネツィアなどの諸都市を巡り、精力的にオペラ作品を制作していきます。

特にヴェネツィアで上演された『アグリッピナ』は大成功を収め、ヘンデルの名はヨーロッパ中に知れ渡るようになります。

ちなみにヘンデルのオペラ作品は「オペラ・セリア(正歌劇)」という形式。

この形式の特徴は、

・必ずイタリア語で歌われる

・神話、歴史上の英雄や皇帝を主人公にした物語

・カストラート(去勢済みの男性歌手)が主人公を務める

というものです。

王侯貴族を中心に華やかな文化潮流が見られたバロック時代。

ヘンデルの制作するオペラは貴族の心を掴み、数々のヒット作品と共にバロック音楽を代表する作曲家となっていきました。

イギリス定住とオラトリオ

ドイツに帰国後、ハノーヴァーの宮廷楽長に就任した彼はその年に出張でイギリスを訪れます。

そしてそのまま当時音楽の消費が盛んだったイギリスに移住し、それ以降この地で活動を続けることになりました。

数々のオペラ作品で有名になったヘンデルでしたが、次第にイタリア・オペラが時代遅れになっていきます。

すると今度はオラトリオの作曲家として精力的に活動を始めました。

「オラトリオ」とは、聖書の内容が題材の音楽劇です。

その特徴は、

・キリスト教の宗教的な内容

・物語を語る朗読のような歌

・衣装や道具などの装置は使用しない

というものです。

40代以降はオペラを作曲することはなく、このオラトリオや幕間に自ら演奏するためのオルガン協奏曲を作曲しました。

なかでもヘンデルの演奏するオルガン協奏曲は、本編のオラトリオ以上に人気があったと言われています。

・『エステル』

・『メサイア』

などの作品で大成功を収め、ヘンデルは生涯を通して知名度を保ち続けました。

 

「音楽の父」バッハとの関係性

ヘンデルが活躍した18世紀。

ドイツには後に「音楽の父」と呼ばれるバッハがいました。

実はこのバッハとヘンデルには因縁めいた意外な関係性があるのです。

以下で少し詳しく見ていきましょう。

共通点

まずは共通点について。

実はドイツ出身の同じ1685年生まれ

そして肖像画をご覧いただくと分かるのですが、よく似た肥満体型をしています。

大食漢の美食家で、十分すぎる栄養を摂っていました。

さらには脳卒中で倒れ晩年は白内障を患い、同じ医者の手術を受け、2人共失敗して完全に視力を失っているのです。

相違点

次に相違点について。

ヘンデルは、

・音楽とは無縁の出自

・社交的で行動的

・ほとんど国外で活動

・貴族を中心にヨーロッパ中で有名

・生涯独身で晩年まで浮ついた噂があった

・「劇場型」の作曲家

一方でバッハは、

・音楽一家の出自

・まじめで実直

・生涯ドイツで活動

・教会や宮廷のための音楽を制作していたため、世間での知名度は高くなかった

・愛妻家で子煩悩

・「職人型」の作曲家

と言うことができます。

ちなみに当の本人たちが直接面会することは生涯ありませんでした。

 

きょうのまとめ

今回はバロック音楽を代表する作曲家、ヘンデルについて、その生涯を功績と共にご紹介してきました。

いかがでしたでしょうか。

最後に、ヘンデルとはどんな人物だったのか簡単にまとめると

① 18世紀、イタリアやイギリスで活躍したバロック時代の作曲家。

② 若い頃はオペラ・セリア、中年以降はオラトリオの作品で地位を確立した。

③ 同い年のバッハとはほとんど真逆の作曲家。

カストラートの存在が法律で禁止されたことにより、現在では再現が難しいとされているヘンデルのオペラ。

それでもなお、形を変え試行錯誤しながら現代でも世界でその上演が行われています。

オラトリオ含め彼の作品に興味を持たれた方は、ぜひ一度鑑賞してみて下さい。

バッハの作品と聴き比べてみるのも面白いかもしれません。

 
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