高度な文明のメソポタミア!ハンムラビ王は法典と豊かさをもたらした

 

紀元前1700年代後半に古バビロニア王国の6代目国王、

ハンムラビ王によって統一されたメソポタミア。

著しく発展していたこの地にて、ハンムラビ王は現代社会にも通じるような政治を行い、文明の最盛期を担っていきました。

特にこのとき定められたハンムラビ法典は、現代法と照らし合わせても参考になる部分が多いとされています。

詳細を辿ってみるとその発展度合いから、とても何千年前の文明だとは思えません。

現代文明にも迫る勢いだった世界最古のメソポタミア文明

記事を通して、その神秘に迫っていきましょう!

 

メソポタミア文明ってどんな文明?

発展は地理に恵まれたことから

メソポタミア文明は現在イラクの一部になっている、ティグリス川とユーフラテス川流域に発生した文明です。

メソポタミアの地名は「川の間の土地」という意味。

その名前の由来の通り、この文明はその地理に生まれたことが功を奏して発展していきました。

二つの川の存在で水資源が豊富にあるメソポタミアでは、農業が展開しやすく、食糧生産が上手くいったため、人口もどんどん増加。

それに伴って街の規模も拡大されていったのです。

また当時は山脈が異民族を隔てる境界線として機能していましたが、メソポタミアの地には山脈がありませんでした。

よってシュメール人、アッカド人、アムル人などの異民族が長きに渡って混在し、さらに文明が発展していきます。

民族ごとの様々な文化が混ざることで、先進的なものが次々に生み出されていったのでしょうね。

時間や日付の概念はメソポタミア文明から

まず1週間を7日と決めたのは、メソポタミアの人たちです。

メソポタミアでは、生計を立てていくメインの手段が農業だったため、人々は氾濫など、川の状態を正確に把握しなければなりませんでした。

そこで目安にしたのが、月の満ち欠けだったのです。

月は28日かけて変化し、大きく新月、満月、上弦、下弦の4つの状態に分類できます。

28を4つの状態で割ると、丁度7日ずつ。

ここから1週間7日制ができました。

また1時間は60分、1分は60秒という六十進法は、メソポタミアの人たちが1年を12ヵ月としたため、その倍数である60が使いやすかったというところから始まっています。

おまけに現在世界各国で使われているアルファベットも、メソポタミアで使われていた楔形くさびがた文字が起源です。

楔形文字はその発想が古代エジプトにも伝わり、ファラオの墓などに残されているヒエログリフの元になったともいわれています。

メソポタミア文明から受け継いだものが、私たちの生活にも大きく影響していることがわかりますね。

 

ハンムラビ王が文明にもたらしたもの

ハンムラビ王

出典:Wikipedia

公共事業や政治体制の整備

前項で触れたように高度な文明を持っていたメソポタミア。

ハンムラビ王はこの地を統一すると、様々な公共事業や政治体制の整備によって、そこからさらに文明を発展させていきました。

ハンムラビ王は、文明の発展の元となったティグリス、ユーフラテス川の恩恵をさらに受けるため、大規模な工事を行い、メソポタミアの水事情を整えていきました。

一説では水洗トイレまであったというから驚かされます。

日本も明治時代までは汲み取り式だったというのに…。

この他にも都市の城壁を作って市民の安全を確保したり、神殿を作ったり。

ハンムラビ王によって、メソポタミアの都市が暮らしやすくなっていったことが垣間見えますね。

またメソポタミアには多くの都市が存在していたため、さらなる発展のためには、王である自分が権力の中心とならなければいけないと、ハンムラビ王は考えました。

これによりメソポタミアの政治は中央集権型の体制が取られ、王に権力を集中。

各地に総督を配置することで、それぞれの都市を管理したといいます。

王は今でいう首相、総督が県知事のような感じでしょうか。

現代法を先取りしていたハンムラビ法典

ハンムラビ王の功績として外せないのが、彼が街の秩序を守るために制定したハンムラビ法典です。

このハンムラビ法典も、何千年前の法律だというのに、項目によっては現代より先に進んでいるものもあります。

例えば日本では1995年に施工された「製造物責任法」

これは業者の不備で建物などに欠陥があった場合、業者は損害賠償を行う義務があるとする法律です。

ハンムラビ法典の中にはこれと同じ内容を謳った項目があります。

また犯罪の被害者の遺族に市や市長が支援金を支払う「被害者救済法」の施行も近年議論されていますが、ハンムラビ王の時代にはすでにあった法律です。

似たようなものなら、2008年に施工された「振り込め詐欺救済法」などでしょうか。

近年になってようやく整備されつつあるこれらの法律を、ハンムラビ王はいち早く取り入れていたのです。

彼の政治に対する見通しがいかに鋭かったかを思い知らされます。

 

きょうのまとめ

紀元前数千年のことだというのに、メソポタミア文明は現代にも決して劣りません。

その文明に豊かさや秩序を持ち込み、さらなる発展を促したハンムラビ王。

その後文明は滅んでしまいましたが、それでも現代に多大な影響を与えていることがわかりました。

今回の内容をまとめると…

① メソポタミア文明は水資源に恵まれた地形や、多民族が混在したことで発展していった

② 時間や日付、文字などメソポタミア文明から現代に受け継がれたものの影響は大きい

③ ハンムラビ王は高度な文明を持ったメソポタミアに、豊かな暮らしや法による秩序をもたらした

といったところでしょう。

もしメソポタミア文明が滅びず今も続いていたら、もっと先の未来のことが、現代で実現されていたかもしれませんね。

 

ハンムラビ王の年表を含む【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
関連記事 >>>> 「ハンムラビ王とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】」

 










合わせて読みたい記事



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

17 − six =