明治初期、崩壊寸前の状態にあった大阪経済を立て直し、天下の台所を見事に復活させた実業家
五代友厚。
鉱山事業に始まり、大阪株取引所や大阪商法会議所、関西貿易社など、携わった企業は数知れず。
大河ドラマ『青天を衝け』でおなじみ、渋沢栄一の対と見なされ
「東の渋沢、西の五代」
と呼ばれる人物です。
今回はそんな五代の子孫について。
実は五代本人だけでなく、その子孫たちも大阪の繁栄に関わっていたりするんです。
2021年大河ドラマ「青天を衝け」に登場する人物一覧についてはこちらをどうぞ。
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五代友厚の子孫・家系図
以下が五代友厚の家系図です。
友厚には2男4女、6人の子息がいました。
そんななかでも、長男、次男が跡を継いだ様子はなく、家系は主に娘によって紡がれていったようです。
ほとんどの娘が実業家に嫁いでおり、この時代、五代は一族そろって大阪の経済に貢献していることがわかります。
長女・武子
長女の武子は、大阪で両替商を営んでいた九里家から龍作を婿に迎えました。
龍作は婿養子として五代家の当主となるわけですが、その経緯についても紆余曲折があります。
1881年、友厚は大阪製銅会社を設立し、腕の立つ技術者を必要としていました。
その際目に留まったのが、東大工学部出身の龍作。
以後、龍作は友厚の仲介で文部省留学生となり、ロンドン大学で3年間機械工学を学ぶこととなります。
そして帰国後に友厚の婿養子として五代家を継ぐことに。
目をかけていた弟子が跡を継ぐような形となり、友厚としてはある意味、理想的だったのかも。
ちなみに武子と龍作のあいだには、信厚、厚子というふたりの子息がいました。
信厚は法学士となり、
厚子はチッソ株式会社社長・白石宗城と結婚。
チッソ株式会社は、戦後に水俣病の補償業務を行ったことでも知られています。
次女・藍子
次女の藍子は、鉱山王の名で知られた友厚の後を追ってか、鉱山学を専攻。
義兄龍作が、友厚から引き継いで経営を行っていた、福島県の半田銀山に務めるようになります。
1919年には、生前の友厚が経営権をもっていた三重県の治田銀山を買い戻し、ついには経営者に。
自ら鉱山に潜り続けるアグレッシブな生涯を送ったようです。
当時の女性でここまでバリバリの実業家も珍しい気がします。
ちなみに藍子が生まれた1876年は、藍の製造販売を行う「朝陽館」を友厚が創設した年。
藍子という名前も、そこから付けられたといいます。
名前の由来を知ると、藍子が友厚の歩んだ道を行こうとしたことにも縁を感じますね。
三女・芳子
三女の芳子は、実業家の土居通夫の養子となり、婿を迎えて土居家を継いでいくこととなりました。
土居は、友厚が新政府にて外国事務局判事を務めていたころの部下で、両者は相当な信頼関係にあった様子。
大阪の豪商・鴻池善右衛門の事業再建に際し、友厚が土居を顧問として紹介した逸話があります。
その後、土居は実業家の道へ進み、
・京阪電鉄
・大阪毎日新聞
・大阪貯蓄銀行(現・りそな銀行)
・日本生命
など、多くの企業の社長や役員を務めました。
友厚が設立した大阪商法会議所の会頭にもなっており、現在も会議所前には、友厚の像とともに銅像が並んでいます。
まさに友厚と二人三脚で大阪を支えた人物という感じ。
芳子が架け橋となることで、その絆はより深いものとなったのではないでしょうか。
四女・久子
四女の久子は、杉村倉庫の創業者・杉村正太郎と結婚。
杉村はこのほかにも、大阪商船や阪神電鉄など、多くの企業で役員を務めており、友厚にも追随するやり手の実業家でした。
なんといっても興味深いのは、息子の正二郎、正三郎がそろってサッカー日本代表になっていること。
1927年に行われた極東選手権競技大会にて日本が国際試合初勝利を飾った際、ふたりがメンバーに選ばれていたのです。
明治期の人物の家系図を辿ると、スポーツなど、政治とはまた違った面の国際交流の歴史が垣間見えるのも、おもしろいですね。
ちなみにサッカーが日本に伝わったのは、1873年のこと。
海軍兵学寮に教師としてやってきたお雇いイギリス人がレクチャーしたのが最初なのだとか。
イギリスの商人・グラバーなどと親交の厚かった友厚も、ひょっとするとこの時期からサッカーを知っていたかもしれません。
幕末に武士をやっていた人がサッカーを知っていると思うと、なんだか不思議な感じがしますよね。
現代で活躍する子孫
現代で活躍する五代友厚の子孫は、友厚のひ孫にあたる五代富文さん。
80歳を超えた現在も、宇宙開発の研究機関「宙の会」にて情報発信を続ける研究者です。
以前は、現在のJAXAにあたる宇宙開発事業団に所属していた富文さん。
1994年に、国産第1号のロケットが打ち上げられた際は、責任者として指揮を執りました。
アメリカ航空宇宙学会理事、国際宇宙航行連盟会長も務めるなど、世界的に認められている日本人です。
友厚が明治日本の近代化という新境地に挑んだように、富文さんも宇宙という新境地への挑戦を続けているのですね。
きょうのまとめ
五代友厚の子孫たちの行く末を辿ってみると、「類は友を呼ぶ」という言葉を実感させられます。
娘たちの嫁ぎ先はいずれも、五代の志に引き寄せられた熱量の高い人物でした。
一人ではとても成し得ないことをやってのけた五代。
その功績の秘密は、なにより人を惹きつける力にあったのではないでしょうか。
最後に今回のまとめ。
① 五代友厚のあと、五代家を継いだのは婿養子の龍作。友厚の仲介でロンドン大学へ渡り、機械工学を学んだ経緯がある。
② 次女の藍子は友厚の後を追い、鉱山経営の道へ。三女、四女もそれぞれ大阪を代表する実業家のもとへ嫁いだ。
③ 友厚のひ孫・五代富文さんは、世界的に認められた研究者。ロケットの打ち上げなど、宇宙事業に邁進している。
ことを成し遂げる近道は、まず身近な人を幸せにすることにあるのかもしれません。
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