エラトステネスとはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

紀元前3世紀、ヘレニズム時代のエジプトで活躍した人物、

エラトステネス

ギリシャの都市に誕生した彼は、エジプトのファラオの命により、当時最高峰の英知が集結していた図書館の館長を長年にわたって務めました。

科学的な視点を用いてあらゆる学問に精通していた彼は、やがてこの時代を代表する万能の知識人として歴史にその名を刻みます。

エラトステネスとは一体、どのような人物だったのでしょうか。

今回は、その生涯や主な功績について一緒に見ていきましょう。

 

エラトステネスはどんな人?

プロフィール
エラトステネス

エラトステネス
出典:Wikipedia

  • 出身地:アフリカ大陸北部、ギリシャの都市キュレネ(現在のリビア)
  • 生年月日:紀元前276年頃
  • 死亡年月日:紀元前194年(享年82歳)
  • 地理学、天文学、数学、哲学、文献学等の学者であり万能の知識人。発明家、詩人。

 

エラトステネス 年表

年表

紀元前(年齢)

276年頃(0歳)アフリカ大陸の北岸キュレネ(現在のリビア)で誕生。アレクサンドリアやアテネで教育を受ける。

255年頃(21歳)天球儀を作成。

240年頃(36歳)地球の外周を計算によって導き出す。

236年(40歳)研究機関と併設するアレクサンドリア図書館で、第3代目館長に就任。

204年頃(72歳)視力の衰えにより館長職を引退。

194年(82歳)断食の果てに死去。

 

エラトステネスの生涯

それでは、ここからは早速エラトステネスの功績について、その生涯から見ていきましょう。

偉大な知識人

エラトステネスは紀元前276年頃、現在のリビアに存在した古代ギリシャの都市、キュレネに誕生しました。

彼は少年時代~青年時代にかけ、

・エジプトの都市アレクサンドリア

・ギリシャの都市アテネ

にて様々な学問分野に触れています。

特に詩学では詩人のカリマコスに師事し、哲学ではプラトン派やストア派の教えも受けていました。

これらは後の彼の思想に大きく影響していくことになります。

エラトステネスは当時の知識人の中では珍しく、現代にも通じるような普遍的で科学的な思考の持ち主だったということができます。

エラトステネスのその柔軟な思考力は後にあらゆる分野に活かされ、やがて彼を偉大な知識人として形作っていったのです。

その功績は多岐にわたることから、総称的に文献学者とも言い表され、ルネサンス時代の人文主義者たちを中心に再評価されてきました。

40歳を迎える頃には時のエジプトファラオ、プトレマイオス3世の命により、アレクサンドリアにある巨大な研究機関と併設した図書館の館長に任命されます。

当時としてはかなりの長寿だったエラトステネスは、70代で視力の衰えにより辞職するまでの間、この図書館での館長職を務めました。

彼の任期中、アレクサンドリアは文化的にも最盛期を迎えます。

エラトステネスはその中心地で長年学術界をけん引する立場として活躍したのでした。

以下で、エラトステネスの主な功績についてそれぞれの分野ごとにまとめてみます。

地理学
・正確な計算法を用いて地球の外周を測定。著作『地球の測定について』

・著作『地理学誌』にて、大陸区分に数学を用いるという視点の転換を促す

・いくつかの地域ごとの地図作成

・著作『地理学』全3巻

・赤道周囲を測定

・地域を熱帯、温帯、寒帯に区分

数学
・「エラトステネスのふるい」を考案(素数の発見方法)

・著作『比例中項目』を執筆

天文学
・20代前半で天球儀を作成。関連知識が後の地球外周測定に用いられる

・エジプト暦に閏年うるうどしを導入

文芸
・多数の叙事詩を作成

・詩の批評における価値観を、従来の倫理的なものから、作品の持つ芸術性へと転換

・政治、文学に関する年代記の執筆

・ホメロス等の古典研究

地球の外周を計測

長年多岐にわたってその知性を発揮したエラトステネス。

上記したもの以外でも彼は様々な功績を遺しています。

しかし現在に伝わる彼の最も大きな功績と言えばなんと言ってもやはり、地理学の項目で最初にご紹介した、地球の外周を求めたことです。

そもそもこの発想に至ったこと自体が当時では斬新であり先進的なものでした。

日本では稲作の始まった弥生時代に相当する時期なのです。

これを行った背景には、彼がアレクサンドリア図書館である書物を目にしたことがきっかけとしてあります。

その書物で

「エジプト南部の都市シエネでは夏至の正午に影が消える」

という記述を読んだ時に、自身の住むアレクサンドリアではどうなるだろうか、という疑問を持ったのです。

影が消える現象は、すなわち太陽が真上にあることを示します。

エラトステネスはアレクサンドリアの地面に棒を立て、そこに少しできた影の角度が7.2°であることを判明させました。

地球を球体だと考えていたエラトステネスは、シエネとアレクサンドリアの距離5,000スタジア(当時のエジプトで使用された単位)を50倍することで地球の外周を求められると考えたのです。

ちなみに50という数字は、球体=360°を7.2°で割って導かれた数値です。

実際のところ、こうして導かれたエラトステネスによる地球の外周は、後世に判明する正確な数値とぴったり同じというわけにはいきませんでした。

しかしかなり近い数値ではあり、その計算方法も限りなく正確に近いものだったことは確かなのです。

 

エラトステネスにまつわるエピソードや伝説

ここではエラトステネスの人物像を探るべく、彼にまつわる伝説やエピソードをご紹介していきます。

ついたあだ名は

その博識さから、紀元前3世紀を代表する、偉大な万能の知識人として現在まで知られているエラトステネス。

そんな彼にはβベータというあだ名がありました。

βはαアルファの次。

つまりエラトステネスは、「世界で2番目の物知り」という意味でこのあだ名をつけられたのです。

ちなみに、ここでのαは哲学者プラトンのことを指し、エラトステネスは「第2のプラトン」とも呼ばれていたのでした。

偉大な知識人の意外な最期

当時の人々にしては異例の長寿を誇ったエラトステネス。

彼は70代から徐々に視力を悪くして図書館館長を辞職した後、さらに10年近く生きて82歳でその生涯を閉じました。

しかしその最期はなんと、自身の体調の衰えに嫌気がさし、自ら絶食して命を絶ったと言われているのです。

潔さとその意志の強さがうかがえるエピソードですね。

 

きょうのまとめ

今回はヘレニズム時代、古代エジプトのアレクサンドリアで活躍した万能の知識人、エラトステネスの生涯について簡単にご紹介してきました。

いかがでしたでしょうか。

何か新たな学びや発見はありましたか。

それでは最後に、エラトステネスとはどのような人物だったのかを簡単にまとめると

① 紀元前3世紀にエジプトのアレクサンドリアで活躍した知識人。

② 巨大研究機関の併設するアレクサンドリア図書館で、第3代館長を務めた。

③ あらゆる分野に科学的視点から影響を与えた万能の人。

様々な場面でその広い視野と科学的探究心を発揮したエラトステネス。

彼のその生き方は、後のルネサンス期のイタリアに誕生するレオナルド・ダ・ヴィンチと重なります。

両者の功績はひとつの分野に留まらない、まさに「万能の知識人」という呼び名にふさわしい偉大なものだったのです。

国の体制、宗教観に縛られない客観的で柔軟な思考力。

それらはしばしば国も時代も越えた普遍的な価値観として、現代を生きる我々の価値観にも影響を与えてきます。

 
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