エンリケ航海王子~新航路を求めてヴェルデ岬の彼方へ~

 

コロンブス、バスコ・ダ・ガマ、マゼラン。

彼らに先駆けて「大航海時代」を切り開いた人がいます。

15世紀ポルトガルのエンリケ航海王子

彼が目指した西アフリカ、まだ世界のだれにも知られていない土地を目指して。

水平線の彼方に彼は何を望んだのでしょうか。

新航路開拓、ヴェルデ岬を越えてゆけ。

 

西アフリカ探検の動機

『ギネー発見征服誌』の挿絵と「最善を尽くせ」の標語
出典:Wikipedia

レコンキスタ

レコンキスタとは「キリスト教徒たちがイスラム教徒たちから占領された土地を取り返そう」という運動です。

日本語では、国土回復運動といいます。

ポルトガルはイベリア半島にあります。

イベリア半島はヨーロッパです。

しかし、イスラムの勢力がとても強かった地域。

かなりをキリスト教徒が取り返しました。

が、エンリケ航海王子の時代はグラナダ(※)にイスラム勢力が残っております。

(※)イベリア半島南部にある都市

つまり、ポルトガル人にとってレコンキスタはまだ終わっていないのです。

エンリケ航海王子はキリスト教に大変信心深い人です。

「イスラム教を信じている西アフリカの人たちをキリスト教徒にしたい」

と強く願っておりました。

また当時のヨーロッパでは、ある“謎の国”の存在がまことしやかに信じこまれておりました。

それはプレスター・ジョンの王国

プレスター・ジョンの王国の国民はキリスト教徒であり、いっしょにイスラム教徒から聖地エルサレムを奪い返す人々を探している、とされておりました。

この国を探し出すことはヨーロッパの悲願だったのです。

商業で利益を得たい

未知なる土地を見つけ、そこでいろんな産業を始め、貿易をやろう、ということです。

なにせそこには、ほかのキリスト教系のライバルがまだいません。

小麦、ワイン、木材、砂糖、染料(色染めの材料)、……。

そのうち、スーダンで金が採れることがわかってきたり、黒人を奴隷にしたり、し始めます。

そして忘れてならないのは、ポルトガルはイベリア半島の端にある小国ということです。

エンリケ航海王子の、お父さん、おじいさん、の時代に、何度もおとなりの大国カスティーリャ(今のイベリア半島に栄えた国)に攻め込まれております。

頼みの綱と期待した同盟国イギリスには裏切られました。

彼らに陸は狭く厳しいですが、海は無限に広がっているのです。

まだ知られていないものを発見する好奇心

これは冒険を志す人たちがみんな持っている感覚だと思います。

 

ポルトガルが西アフリカ探検に向いている理由

ポルトガルは西アフリカ探検にとても有利な場所にあります。

なぜなら、すぐ沖合に「カナリア海流」が流れております。

この海流はちょうどイベリア半島から西アフリカの方に向かっております。

実は、あのコロンブスが西インド諸島に到着した時もこの航路を利用しています。

いったんこの海流に乗ってカナリア諸島(※)まで南下。

(※)モロッコから西100~150kmのところにある島々

そこから貿易風(※)を利用し、西へと一気に目指しました。

(※)赤道付近でずっと西に向かって吹く風

(カナリア諸島)

 

エンリケ航海王子による西アフリカ探検プロジェクト

当時はまだ船乗りたちの間で、

「南にはこの世の果てがあり、海は煮えたぎっている」

と信じられておりました。

カナリア諸島

そして、

「ここから先に行けば生きて帰れない」

と言われたナン岬

さらに“暗黒の海”の彼方、ボジャドール岬

人々は迷信を信じてエンリケ航海王子の応募にはだれも応じません。

十二年も待ちました。

でも、全然ダメ。

なので、エンリケ航海王子は自分の部下のジル・エアネスに「絶対越えろ」と厳しく命令を下します。

ジル・エアネスは見事突破

そして、「聖母のバラ」という植物を証拠として持ち帰りました。

探検はその後何度も続けられます。

やがて、ヴェルデ岬を越えるとそこは黒人の地が広がっておりました。

(ヴェルデ岬)
 

 

王子の村

エンリケ航海王子は実のところ、船酔いにとても弱く、自分で探検には行っておりません。

彼はあくまでプロデューサーです。

彼はサグレスに「王子の村」というのを造ります。

今風に言えば、航海のための「学研都市」という感じです。

●造船所

●天体観測所

●航海術や地図製作術を学ぶための学校

を建て、自分のプロジェクトのいしづえとしてゆきました。

 

きょうのまとめ

象牙海岸、黄金海岸、胡椒海岸、奴隷海岸。

どれもその後のヨーロッパ世界で大いに富をなしたところです。

エンリケ航海王子がプロデュースする探検はもう少しでこれらの海岸に手がとどく、というところで終わりました。

しかし、そこで生まれた悲劇。

富のためのあまりに多くの奴隷、殺された象など。

大変に残酷ですが、それを知ることも歴史です。

私たちの未来はどこに向かっているのでしょうか。

① ポルトガルは西アフリカ探検にとても向いている土地

② エンリケ航海王子の西アフリカ探検プロジェクトは当時のとても根強い迷信を越えていった

③ エンリケ航海王子は「王子の村」を造って自分のプロジェクトをしっかりと支えた

 
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