13世紀、イタリアにて政治家・詩人として活動していた
ダンテ・アリギエーリ。
波乱万丈に満ちた人生を元に作り上げられた代表作品「神曲」は、古典文学の最高傑作と評され、14~16世紀に西ヨーロッパを中心に広まったルネサンス文化の火付け役ともいわれています。
まさに西洋文学の世界において、一時代を築き上げた詩人といえるでしょう。
晩年、詩人としての活動に尽力したダンテは、当然のごとく数々の名言を残しています。
今回は中でも、彼の人生観がよく表れたものを紹介していきましょう。
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ダンテの恋心が表れた名言
ダンテは9歳のころ、カレンディマッジョと呼ばれる春祭りにて知り合ったベアトリーチェ・ポルティーナに恋に落ちます。
そこから彼は生涯に渡って彼女を愛し続けるのですが、決してその恋が実ることはありませんでした。
9歳のころというと、恋愛のこともまだよくわかっていない年頃。
普通ならそんなに若いころの恋愛を、生涯に渡って引きずるというのは考えにくいことです。
一体ダンテはどんな心境を持って、ベアトリーチェを想い続けたのでしょうか…。
まずは恋愛の観点から、彼の名言をいくつか辿ってみましょう。
女の愛は
女の愛は、見たり触ったりすることによって燃やし続けなければ、どれほども続かない
ダンテはベアトリーチェに一目惚れをしたわけですが、すぐに交流があったわけではなく、再会したのは18歳のころでした。
再会といっても、このとき二人は聖トリニタ橋にてすれ違っただけです。
これを機にダンテの恋心が再燃するのですが、彼はその想いをカモフラージュするため、複数の女性に詩を贈りました。
アプローチの段階では、相手や周りに想いを知られたくない気持ちはたしかに理解できます。
しかしこれが裏目に出て変な噂が流れてしまい、ベアトリーチェはダンテと距離を置くようになるのです。
この経験からダンテは「想いはちゃんと伝えないと実らない」ということを学んだのでしょう。
彼のいう「見たり触ったり」というのは、直接的に想いを伝えることを表していると取れます。
熱さと火は切り離せない
熱さと火は切り離せない。美しさと神も
誰がなんといおうと、天と地がひっくり返ったとしても、火が熱くないなどということはあり得ません。
そして美しくない神など、それと同じぐらいあり得ないものだとダンテは思っていたのでしょう。
彼が神を美しいものだと称えているのは、ルネサンス文化特有の宗教観もあるのでしょうが、ベアトリーチェが若くして亡くなってしまったことも関係していると考えられます。
そう、彼女は24歳にして病死してしまい、それを間接的に知ったダンテは、さらにベアトリーチェのことを自分の中で神格化していくのです。
亡くなるということは、神様の元へ帰ったということ。
そしてベアトリーチェは、ダンテにとっては誰よりも美しい女性でした。
このことが神様と美しさがイコールだという彼の思想にも、大きく影響していると考えられます。
自負、嫉妬、貪欲
自負、嫉妬、貪欲。これらは人の心に火を放つ火花だ
自負、嫉妬、貪欲…これらの言葉はポジティブな面もあれば、「悔しい」「もっと欲しい」などネガティブな印象も多く持つ言葉です。
そしてこの名言はネガティブな要素ほど、人の心にインパクトを与えるということを物語っています。
ダンテでいえば、ベアトリーチェとの恋は一生叶うことのないものでしたが、彼の人生に絶大なインパクトを与えました。
そして彼はこう続けます。
「少しの火花から炎が上がることもある」
ダンテはベアトリーチェとはほとんどすれ違いの関係…それなのに生涯想い続けたというのは、まさに少しの火花が燃え上がったといえないでしょうか。
フィレンツェから追放された葛藤が表れた名言
ダンテはフィレンツェにて白党と呼ばれる、自立政策を掲げる党に属し、政治に参加していました。
しかし1301年のこと、対立する黒党が政権を握ったことによって、白党の迫害が行われます。
これを機にダンテもフィレンツェを追放されることになり、長らく帰る場所を失い、苦悩の日々を送ることに。
続いてはそんな彼の葛藤を表した名言に迫ってみましょう。
他人の家の階段がいかにつらいものか
他人の家の階段がいかにつらいものか、あなたにもわかるだろう
フィレンツェを追放されたダンテは当初、白党の仲間と共に北イタリアを巡り、政権の変革に挑んでいました。
しかし変革はそう上手くはいかず、たもとを分かつことになってしまった仲間も多くいます。
この名言はそんな仲間に宛てられた言葉です。
最後まで意志を貫き通さず、急に他の党にくら替えするような人間に、良い結果がもたらされることはないと、ダンテはいいたかったのでしょう。
世界が方向を見失っていると思うなら
世界が方向を見失っていると思うなら、その原因はあなた自身にある。自分の中にこそ原因は求められる
ダンテは仲間が離れて孤独になろうとも、決して意志を曲げませんでした。
「原因は自分自身にある」という言葉に従い、どんな苦難を強いられようとも、他者の出した答えに甘んじようとはしなかったのです。
結果彼は18年間も、孤独な放浪者として過ごすことになりました。
ただダンテは特別強靭な精神を持っていたわけではなかったらしく、以下のような言葉も残しています。
「不幸なときに幸福だったころを思い出すことほど悲しいものはない」
放浪の身になったダンテは、フィレンツェでの生活を何度も思い出し、打ちひしがれそうになる気持ちと必死に戦っていたのでしょう。
きょうのまとめ
ダンテの名言の数々からは、つい耳を塞いでしまいたくなるような、人間の弱いところをよく捉えている印象を受けます。
勇気付けられる類の名言も良いですが、何か目標に向かって頑張る人などが気を引き締める意味では、こういった名言もまた有用ですね。
最後に今回の内容をまとめておきましょう。
① ダンテは生涯に渡って、9歳のころに出会ったベアトリーチェを想い続けた
② 「神様=美しいもの」という価値観は、ベアトリーチェが若くして亡くなったことも関係している?
③ ダンテはフィレンツェを追放され、仲間が離れても決して意志を曲げなかった
恋愛においては生涯を通して片想い。
挙句には故郷を追放され、仲間をも失ってしまう…。
そんなダンテの生涯は、とても幸せな人生とは言い難いものです。
けれども人は悲しみや苦難に直面し、それを乗り越えていく様子に感動を覚えるもの。
まさに波乱万丈の人生を歩んだダンテだからこそ、琴線に触れるような名言の数々も残せたといえます。
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