偉大な科学者マリー・キュリーが残した名言(英語)

 

「キュリー夫人」ことマリー・キュリーは女性初のノーベル賞受賞者であり、史上初めて生涯で2度のノーベル賞を受賞した人物です。

また、パリ大学初の女性教授でもありました。

数々の業績を挙げたマリーは、大変勉学に熱心で努力家であり、信念の人でした。

そんなマリーの残した名言からは、学ぶべきことは多いでしょう。

 

偉大な科学者マリー・キュリーの名言

マリー・キュリー

出典:Wikipedia

放射性物質ラジウムの研究などで大きな成果を上げたマリー・キュリー。

66歳で死去したマリーは、フランスの偉人たちが眠る霊廟・パンテオンに移されました。

女性でパンテオンに祀られたのはマリーが最初でした。

フランスで偉人として列せられたマリー・キュリー。科学の発展、進歩に多大な貢献を果たしたマリーは、科学や学問に関する名言はもちろん、人生に関する深い言葉も残しています。

ここでは、マリー・キュリーのためになる名言から3つを厳選してご紹介します。

科学の精神に反します

どうして、特許を取らなかったのか、ですか?
そんなこと出来ますか、科学の精神に反します。

By all means, whether a patent wasn’t obtained?
Can such thing be done, it’s against scientific spirit.

マリー・キュリーの功績の一つに、ラジウムの発見があります。ラジウムは放射性物資で、細胞を破壊する性質があるために皮膚疾患や悪性腫瘍の治療に効果が期待されました。

しかし、マリーと夫のピエールはラジウムに関する特許を取りませんでした。このため、他の研究者もラジウム精製が可能になり、研究が進みました。

もし、特許をとっていれば莫大な富を得ることができたかもしれませんが、マリーとピエールは病人のため、社会のため、そして科学の未来のために研究成果を惜しげもなく公開しました。

マリーの名言に、

人生の最大の報酬とは、知的な活動の財産です。

The biggest rewards in a life are assets of the activity that they’re intellectual.

というものがあります。マリーにとっては、研究で得られる新しい知識、科学技術がすべてであり、特許権から得られる報酬などは微々たるものだったのでしょうね。

膨大な研究から偉大な発見は生まれる

偉大な発見は、いきなり完全な姿で科学者の頭脳から現れるわけではない。
膨大な研究の積み重ねから生まれる果実なのだ。

Great discovery doesn’t show from the brain of the scientist by the perfect form suddenly.
The fruit born from storage of an enormous study.

マリーは大変な努力家でした。ソルボンヌ大学在学中は、家庭教師で学費と生活費を稼ぎながら、屋根裏部屋に住んで学問に励みました。暖房費が払えず、寒い日には持っている服を全て着込んで勉強することもあったそうです。

夫ピエールと結婚し、第一子が生まれた後も研究に没頭。放射性物質の研究とともに、家計を支えるため教職にもついていました。長時間の研究とストレスがたたったのか1903年には第二子を流産しています。それでも、マリーは夫・ピエールとともに放射性物質の研究を続けます。

マリーはピッチブレンドという鉱石にウランより活発に放射を行う物質があると突き止めます。ピッチブレンドは高価だったため入手できる資金がありませんでしたが、オーストラリアの鉱山から無償で提供を受けられるようになりました。

しかし、運送費はマリー達持ちだったため、かなり負担が大きかったようです。

それでも、放射性物質の研究を進めたマリーたちはとうとうラジウムの精製に成功。ラジウム研究は高く評価され、1903年12月、ノーベル物理学賞をマリーとピエールに授与することが決定しました。

マリーは幼少期からとても優秀で、4歳の時には姉の本を朗読して記憶力も抜群だったそうです。相当頭が良かったであろうマリーですが、学問に対する努力は並大抵のものではありませんでした。

その努力が実ったからこそ、ラジウムという新元素を発見し、史上初の女性ノーベル賞受賞者という栄誉を得ることができたのです。

上の名言は、努力し、奮闘したマリーの研究人生を象徴するものです。

永遠に不滅な冒険精神

私を取り巻くものの中に活気あふれるものがあるとすれば、それは永遠に不滅な冒険精神です。

When I’m surrounded, but there is something full of energy in Naka, that’s immortal adventure spirit eternally.

ラジウムなどの放射性物質の研究に没頭していたマリーの死因は、長期間の放射線被曝による再生不良性貧血であると考えられています。

1932年に転倒した時、マリーは右手首を骨折しますが、なかなか治らなかったそうです。また、頭痛や耳鳴りがあり、健康状態は良くありませんでした。白内障によってほぼ失明状態でもありました。

これらすべてが放射線の影響とは言えませんが、関連は否定できません。

1934年にマリーが死去する数年前から、水面下で放射線の危険は存在していました。

1923年から2年半、ラジウム研究所でマリーの長女・イレーヌの元で研究し、マリーの支援も受けていた日本の研究者・山田延男が原因不明の体調不良で死去。

1925年には元研究員が再生不良貧血で死亡し、別の助手も白血病で亡くなっていました。

当時は放射線の危険性は一般的には知られておらず、マリー自身も放射線被害による健康不良を決して認めようとしませんでした。マリーは本当に放射線の危険性を認識していなかったのでしょうか。

優秀な科学者であるマリーですから周囲の人々の死因が研究対象の放射性物質にあることは薄々感づいていた可能性が高いでしょう。

それでも、マリーは研究をやめなかった。

「永遠に不滅な冒険精神」で真理を追究しました。

女性の社会進出が珍しかった20世紀初頭、マリーは女性蔑視の壁にもぶつかりました。

しかし「冒険精神」で研究を続け、女性であっても学問で認められる前例を作り上げます。

「冒険精神」とは、研究者として女性として新しい風をもたらしたマリーの生き様を表すぴったりのことばですね。

 

きょうのまとめ

マリー・キュリーの名言を取り上げました。まとめると以下のようになります。

① マリーは特許や富に目もくれず、知的な活動を最大の報酬として社会や未来のために貢献した

② 不屈の努力が、マリーに偉大な発見をもたらし、結果としてノーベル賞受賞という栄誉を得た

③ マリーは「冒険精神」で研究者として女性として新風を巻き起こした

偉大な科学者マリー・キュリー。「女性初の」ノーベル賞、「女性初の」教授という称号があるように、女性躍進のモデルともなりました。

何かを成し遂げるには、努力が不可欠だというのはどんな人でも当てはまることですよね。

 










合わせて読みたい記事



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

four × 5 =