明治初頭の1876年、札幌農学校の新設に伴い、日本に招かれた教育者
ウィリアム・スミス・クラーク。
多くの生徒から恩師と慕われる彼の教えは、明治以降の日本において数々の有識者を生み出しました。
たとえば五千円札の肖像画で有名な新渡戸稲造や、キリスト教思想家の内村鑑三なども博士の意志を継ぐ面々として知られていますね。
そんなクラーク博士には、日本の生徒に残したある名言があります。
「Boys, be ambitious(少年よ、大志を抱け)」
あまりにも有名なこの一言。
この言葉が名言とされている背景には、博士の人となりが大きく関わっています。
以下よりこの名言について、詳しく辿っていくこととしましょう。
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クラーク博士の名言「Boys, be ambitious」に込められた意味は?
1877年4月16日、帰国に際し見送りにやってきた札幌農学校の学生たちに、クラーク博士は馬上からこの言葉を投げかけました。
「Boys, be ambitious」
博士の教え子である言語学者・大島正建は自著『クラーク先生とその弟子たち』のなかで、以下のように当時の状況を描写しています。
「どうか一枚の葉書でよいから時折消息を頼む。常に祈ることを忘れないように。ではいよいよ別れじゃ、元気に暮らせよ。」といわれて生徒と一人々々握手をかわすなりヒラリと馬背に跨り、”Boys, be ambitious!” と叫ぶなり、長鞭を馬腹にあて、雪泥を蹴って疎林のかなたへ姿をかき消された。
(出典:『クラーク先生とその弟子たち』著:大島正建)
後年、博士の名言として語り継がれていく言葉は、要するに前途多望な生徒たちに対するエールなのでした。
このあとクラーク博士の教えを受けた生徒たちは、日本の未来を背負う存在となり、さまざまな分野で活躍していくことになります。
クラーク博士の名言は軽い挨拶のつもりだった?
クラーク博士の送ったエールは多くの生徒たちの心を突き動かし、当時の日本の原動力となっていきました。
しかし…よくよく当時の状況を振り返ってみると、「Boys, be ambitious」という言葉に、そこまでの意味が込められていたかは、ちょっと怪しい部分もあります。
これを名言としたのはあくまでその場にいた生徒たちで、クラーク博士はスピーチのような改まった形で話したわけでも、大事な格言として忘れないように念押ししたわけでもありません。
別れ際、とっさに出たセリフで
「元気でがんばれよ!」
という感じの軽い挨拶だったのかもしれません。
ここで注目するべきは、その言葉を発したクラーク博士の人となりです。
博士はアメリカの名門・アマースト大学を卒業したのち、ドイツに留学して博士号を取得。
その後母校にて教鞭を執るようになりますが、彼のキャリアは決して一教育者としてだけでは終わりません。
南北戦争時は軍人としてアメリカの奴隷解放に尽力し、戦争が終わると次は州議会議員となり、マサチューセッツ州への農科大学の誘致を実現。
というように、クラーク博士は常に大志を抱き続け、行動し続けてきた人物です。
その人となりがあってこそ、札幌農学校の生徒たちは博士の何気ない挨拶に意味を見出し、自分たちも博士のようにありたいと羽ばたいていったのでしょう。
何を言うかより、何を成すか。
行動が伴っていれば、言葉はそれほど多く必要ないということですね。
「Boys, be ambitious」には続きがある?
名言として知られている「Boys, be ambitious」は、その一言だけで終わるいたってシンプルなもの。
実はこれに続きがあったかもしれないという話がいくつかあります。
ひとつはクラーク博士の教え子である大島正建が、講演で話したこんな言葉です。
「Boys, be ambitious. Like this old man. (少年よ、大志を抱け。この老人のように)」
実際に博士がここまで話していたとしたら、その意味は軽い挨拶から大きく変わってきます。
大志をもとに行動し続けてきた自分をお手本にするよう、はっきり言っているわけですからね。
しかしこれはあくまでも大島氏が講演で話したものであり、博士の言葉を彼なりに解釈したものの可能性が高いです。
ただ博士の逸話のなかで出てきたとなると、講演を聞いている人が博士自身の言葉だと錯覚してしまうのもわかります。
もうひとつは、1964年に朝日新聞の「天声人語」に載せられたもの。
「Boys, be ambitious! Be ambitious not for money or for selfish aggrandizement, not for that evanescent thing which men call fame. Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be.」
意訳すると以下のようになります。
「少年よ、大志を抱け。それは金銭や我欲、名声のためであってはならない。人間としてどうあるべきか、そのための大志を抱け」
いかにも格言っぽい感じですが、こちらもクラーク博士本人の言葉とは考えにくいです。
掲載に際し、朝日新聞は引用文献に哲学者・稲富栄次郎の著書『明治初期教育思想の研究』を挙げています。
しかしこれにもまた、博士本人が発言したという記録はなく、あくまで研究者の解釈にすぎません。
なんといっても博士は、富や名声に関してはむしろ肯定的な人物。
農学校の開校時にも
「相応の富、不朽の名声と責任が伴う地位を志すように」
と生徒たちに呼びかけており、わざわざ富や名声を否定するようなことを言うとは思えません。
たしかに富と名声はそればかりになるとダメですが、それを志す人には責任が伴い、自分を律する理由にもなります。
そういう意味で、決して悪いものではありませんよね。
つまるところ「Boys, be ambitious」の続きだといわれているふたつの説は、どちらもそれを受けた人の解釈だと考えられます。
とはいえ、短いセリフからこれだけさまざまな解釈がされ続きが生まれている事実は、クラーク博士の影響力を物語るものとして大きな価値があるといえますね。
きょうのまとめ
クラーク博士が残した名言「Boys, be ambitious」は、博士の人となりがあってこそ、生徒たちを突き動かし、後世に語り継がれる名言となりました。
本来は軽い挨拶だったかもしれない言葉が、語る人によって多くの人の人生を動かす言葉に…。
博士がいかに慕われた教育者だったかが、よく伝わってくる話でした。
最後に今回のまとめをしておきましょう。
① クラーク博士の名言「Boys, be ambitious」は、帰国の際に見送りに来た日本の生徒たちに向けたエール。
② 実は軽い挨拶のようなもので、大きな意味を持たせたのはそれを聞いた生徒たちの解釈?
③ 続きがあったという説もあるが、それもクラーク博士の人となりから受け手が読み取った解釈。本人は続きを語っていない可能性が高い。
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