ベンジャミン・フランクリンとはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

アメリカ合衆国建国の父と言われ、政治家や発明家、文筆家としても知名度のあった、

ベンジャミン・フランクリン

多くの人々に支持され、現在でもアメリカ紙幣の100ドル札に肖像画が印刷されています。

ベンジャミン・フランクリンとはどんな人物だったのでしょうか。

今回は、典型的なアメリカ人として現代でもアメリカで尊敬され続ける彼の人生に迫ります。

 

ベンジャミン・フランクリンはどんな人?

プロフィール
    ベンジャミン・フランクリン

    出典:Wikipedia

  • 出身地:アメリカ マサチューセッツ州ボストン
  • 生年月日:1706年
  • 死亡年月日:1790年4月17日(享年 84歳)
  • アメリカの政治家。発明家。印刷業者。文筆家。科学者。物理学者。外交官。

 

ベンジャミン・フランクリン 年表

年表

西暦(年齢)

1706年(0歳)イギリス統治下のアメリカ、ボストンで17人兄弟の15番目として誕生。

1718年(12歳)印刷出版業をしていた兄の元で見習いを始める。

1723年(17歳)度重なる喧嘩の末、兄と絶縁。ボストンを出る。

1726年(20歳)フィラデルフィアで印刷業再開。アメリカ初のタブロイド誌を発行。

1731年(25歳)フィラデルフィア組合図書館(アメリカ初の公立図書館)を設立。

1732年(26歳)格言集『貧しきリチャードの暦』を発表。国内外で知名度が上がる。

1746年(40歳)その後、2年にわたる研究で雷が電気現象であることを証明。

1749年(43歳)フィラデルフィア・アカデミー(ペンシルバニア大学)創設に協力。避雷針を考案。

1751年(45歳)書簡集『電気に関する実験と考察』刊行。

1754年(48歳)オールバニ連合案の立案。

1764年(58歳)その後11年間、ペンシルバニアの代理人としてイギリスに駐在。

1774年(68歳)アメリカ独立戦争勃発。

1776年(70歳)アメリカ独立宣言の起草委員となる。パリで仏と米植民地との同盟条約の締結。

1783年(77歳)フランスとアメリカの通商条約の締結に尽力。パリ条約を集結。

1785年(79歳)その後、3年にわたりペンシルバニア議会の議長を務める。

1787年(81歳)合衆国憲法制定会議に出席。

1790年(84歳)4月17日、死去。国葬が執り行われる。

 

アメリカンドリームの体現者 ベンジャミン・フランクリン

ベンジャミン・フランクリンは現在のアメリカがまだイギリスの統治下にあった

18世紀の始め、イギリスから渡ってきたろうそく職人の両親の元に生まれます。

17人兄弟の15番目という大家族での生活は貧しく

十分に教育を受けられなかった彼は、10歳で学校教育を終えています。

12歳からは兄の印刷出版業者で働き始めました。

そしてこの頃に培った高度な印刷技術や学びへの誠実な態度、貪欲さが、

後のアメリカ合衆国建国の父を育てていったのです。

独立し、印刷業を順調に成功させたベンジャミン・フランクリンは、

その後アメリカ初の本の無料貸し出しを始めた後に、図書館を設立。

さらに独学で自然科学、人文科学、哲学などの研究を行い、論文も書いています。

政治家として活動するようになってからは、外交官として訪れたフランスでも人気者でした。

そしてアメリカ独立のときには、トーマス・ジェファーソン、ジョン・アダムズ、

ロジャー・シャーマン、ロバート・リビングストンらと共に

「アメリカ独立宣言」起草委員を務めた、5人の政治家のうちの1人となります。

このように、政治家・学者・実業家と三拍子そろったベンジャミン・フランクリンは、

アメリカンドリームの体現者として、現代でも尊敬する人物の一人に挙げられているのです。

 

ベンジャミン・フランクリンその素顔

ここからは、多才なベンジャミン・フランクリンの一面を見ていきましょう。

発明家としての一面

好奇心旺盛で勤勉だったベンジャミン・フランクリンは、

独学で様々な発明品を世に生み出し、科学者としても功績を残しています。

彼の発明したものを挙げてみると、

・避雷針

・フランクリンストーブ(燃焼効率が良い)

・ロッキングチェアー

・遠近両用眼鏡

・グラスハーモニカ

などがあります。

なかでも、避雷針の発明に至るまでの実験が命がけなものとして有名です。

雷の性質に興味を持った彼は、雷雨のなか電気を貯める瓶を糸の先にくくりつけ、

凧あげを行ったのです。

雷は凧に落ち、そのとき瓶の中に電気が貯まっていることを確認した彼は、

雷が電気であり雷雲は帯電しているということを発見し、

科学史に残る大きな功績をつくりました。

この研究成果が認められたベンジャミン・フランクリンは、

ロンドン王立協会の会員になっています。

他にも彼は、当時は採用されませんでしたがサマータイム制の発案者でもあります。

文筆家としての一面

ベンジャミン・フランクリンは、その生涯で文筆活動も行っていました。

なかでも、自身の半生についていくつもの名言と共につづられた『フランクリン自伝』は、

アメリカのロング・ベストセラーのひとつとして現代でも有名です。

また、1732年から毎年発売された、現代で言う「日めくりカレンダー」に近い

『貧しきリチャードの暦』は、ユーモアにあふれた実用的な教訓の数々が話題となり、

国内外で彼の知名度や人気が上がっていく理由にもなりました。

13の徳目

勤勉なベンジャミン・フランクリンは、自身の生活を道徳的に送るための計画を思いつきました。

それを実行するために自身の信念をまとめたのが「13の美徳」です。

以下に彼のまとめた13の徳についてご紹介します。

・節制・・・飽きるまで食べない。酔うまで飲まない。

・沈黙・・・誰のためにもならないことは言わない。無駄口は避ける。

・規律・・・物は決められた所に置く。仕事は時間を決めてやる。

・決断・・・やるべきことをやると決める。決心したら必ず実行。

・節約・・・誰のためにもならないことにお金を使わない。つまり、浪費しない。

・勤勉・・・時間を空費しない。常に何かためになることに従う。無駄な行動は断つ。

・誠実・・・偽りで人を傷つけてはいけない。考えは無邪気で公正を保つ。話すことも同じ。

・正義・・・他人の利益を傷つけ、または与えるべき利益を与えずに、人に損害を及ぼさない。

・中庸・・・極端を避ける。たとえ不法を受け、怒るに値するときも、激怒は慎む。

・清潔・・・身体、衣服、住居が不潔であることを黙認しない。

・平静・・・些細なこと、日常茶飯事、または予期せぬ出来事にも平静を失わない。

・純潔・・・性交は健康や子孫のためだけに行い、これにふけって頭脳を鈍らせ、体を弱め、自他の平安や信用を傷つけてはならない。

・謙譲・・・イエスやソクラテスに見習う。

彼は理想の生活を実行するために、この13の徳を1つずつ1週間ごとの目標にし、

年に4回このサイクルを繰り返していました。

 

きょうのまとめ

今回は多彩な分野で活躍しアメリカ合衆国建国の父となった人物、

ベンジャミン・フランクリンについてご紹介しました。

いかがでしたでしょうか。

ベンジャミン・フランクリンとはどんな人物だったのか簡単にまとめると

① 大家族の貧しい家庭で育ち、12歳から印刷技術を学び、好奇心や勤勉さ、誠実さを培っていった。

② 政治家や外交官としてアメリカ独立の動きに携わり、「アメリカ独立宣言」の起草委員を務めた5人のうちの1人

③ 政治家以外に、学者や発明家、実業家、文筆家など様々な顔を持ち、数々の功績やベストセラーを生み出した。

数々の功績を残しながらも社会への奉仕の精神を忘れなかった、

ベンジャミン・フランクリン。

その誠実な人柄と知性は、常に多くの人々の心を捉え、動かしてきました。

そんな彼が亡くなった後に執り行われた国葬では、

多くの人々が彼の死を悲しみました。

 










合わせて読みたい記事



1 個のコメント

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。

    four × 5 =