戦国大名の先駆け的な存在で、伊豆・相模を拠点とする「後北条氏」と呼ばれる一大勢力の土台を築いた
北条早雲。
このような大業を成し遂げるには、千里の道も一歩からと言われるように、日々の積み重ねが大きな影響を及ぼすものです。
北条早雲の残したといわれる名言には、その日々の大切さを説いたものが数多く存在しています。
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早雲寺殿廿一箇条
早雲寺殿廿一箇条は、後北条氏が定めたとされている家訓で、北条早雲が説いたものと伝えられています。
21ヶ条からなるその内容は、神仏崇拝から、主君への奉公のあり方、友人の選び方に至る日々の心得を、分かりやすく書き記しているものです。
その中から、名言をいくつか抜粋してみたいと思います。
第一条 可信仏神事
可信仏神事
『仏神を信じ申すべき事』
まず第一条に、神仏を敬い信仰することを説いています。
人は、驕りたかぶることが発端となり、大きな過誤を犯し、結果的に身を亡ぼすことにもなりかねません。
人知を超える神仏を恐れ敬う信仰の心は、身の行いを慎ませるのに効果があることを、苦労人の早雲は身に染みて知っていたのでしょう。
第二条 朝早可起事
朝早可起事
『朝はいかにも早く起くべし』
第二条に、早起きすることの大切さを説いています。
早雲は、遅く目覚めていると、家臣はもちろん召使いまでもが公私を混合するようになるといっているのです。
極論にも思えるのですが、一日の始まりにおける気の緩みが、そのまま臣下に察知されてしまい、それが積み重なることによって、いつしか見限られてしまうことになることを、自戒するように説いたのでしょう。
第六条 刀衣裳事
刀衣裳事
『刀、衣裳、人のごとく結構に有るべしと思うべからず』
第六条に、ことさら服装を飾り立てることは避けなさいと説いています。
他の人の服装のきらびやかさをうらやみ、同じようにしたいと思うのではなく、相手に見苦しい印象を与えなければ十分であるといっているのです。
第七条で、出仕しない時でも髷を結っておき、有事の時に見苦しい格好で人前に出るようなことをしないように戒めていることを合わせて読むと、身なりを正しく保つことを、早雲が重んじていたことが伝わってくるでしょう。
第九条 受上意時事
受上意時事
『仰出さるる事あらば、遠くに伺候申たりども、先はやくあつと御返事を申し、頓て御前に参り、御側へはいより、いかにも謹んで承るべし』
第九条では、主人の言いつけに対し、まずは素早く「はい」と返事をし、近付いて謹んで聞きなさいと説いています。
早雲は、人に仕えるときの立ち居振る舞いを述べた後、報告をするときは自分の才気をひけらかすような大袈裟な物言いをしてはならないとも戒めているのです。
強い組織というのは、正しいコミュニケーションから構築されることを、身をもって知っていたからこそ、できる限り感情や欲に惑わされることがなうように戒めたのではないでしょうか。
第十二条 読書事
読書事
『少の隙あらば、物の文字のある物を懐中に入れ、常に人目を忍びて見るべし』
第十二条では、読書の大切さを説いています。
少しの時間でも、文字の書いてある書物を懐に入れておき、人目を遠慮しながら常に読むことを勧めているのです。
文字というのは、常に触れていないと、忘れてしまうものだから、書くこともなおさら大事だと述べており、これは学問にも通じることでしょう。
きょうのまとめ
北条早雲が残したといわれる名言を一部抜粋してみてきましたが、他にもさまざまな日常に関する戒めを説いています。
次に簡潔にまとめてみましょう。
② 早寝早起きをして生活を整えること
③ 身なりを正しく保つこと
④ 君臣の分をわきまえ長老を敬うこと
⑤ 己を過信せず信頼できる人に相談し、必要であれば力を借りること
⑥ 嘘偽りを言わぬこと
⑦ 常に勉学すること
⑧ 同じ志の学問の友を持つこと
大事を成す力は、日々の積み重ねから生まれるというのは、古今東西を問わず変わらないのでしょう。
分かっていながら、なかなかできないというのも、同様です。
だからこそ、早雲は文字にして、家訓として書き記したのではないでしょうか。
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