第31代内閣総理大臣・岡田啓介。
満州事変などを受け、軍部と内閣の対立が顕著になるなか、戦争回避に尽力し続けた首相です。
陸軍青年将校が起こしたクーデター未遂「二・二六事件」の被害者でもあります。
太平洋戦争に向かう政局におき、数々の混乱に巻き込まれながらも平和を願い続けた岡田。
岡田啓介とはいったいどんな人物だったのか?その生涯を辿りましょう。
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岡田啓介はどんな人?
- 出身地:越前国福井(現・福井県福井市)
- 生年月日:1868年2月14日
- 死亡年月日:1952年10月17日(享年84歳)
- 第31代内閣総理大臣。戦争に向かい、軍部と内閣が対立する国内情勢と戦った。「二・二六事件」にて、陸軍青年将校らに襲撃される。
岡田啓介 年表
西暦(年齢)
1868年(1歳)福井藩士・岡田喜藤太の長男として生まれる。
1884年(16歳)旧制福井中学を卒業し上京。海軍兵学校へ進む。
1889年(21歳)海軍兵学校を卒業。
1894年(26歳)防護巡洋艦「浪速」の分隊長として日清戦争へ従軍。
1905年(37歳)装甲巡洋艦「春日」の副長となり、日露戦争へ従軍。
1914年(46歳)第一次世界大戦「青島の戦い」にて、第二水雷戦隊司令官を務める。
1923年(55歳)海軍次官に就任。
1924年(56歳)連合艦隊司令長官に就任。
1927年(59歳)田中義一内閣にて、海軍大臣に就任。後年の斎藤実内閣でも再任を受けた。
1934年(66歳)元老・西園寺公望の推挙により内閣総理大臣となる。
1936年(68歳)「二・二六事件」で陸軍士官の襲撃を受けるも、秘書官の尽力で難を逃れる。多数の犠牲者が出たことに責任を感じ、内閣総辞職にいたった。
1943~44年(75~76歳)太平洋戦争の劣勢を受け、東條英機内閣の倒閣に奔走。後任の小磯内閣、鈴木内閣に和平派の人材を推挙するなど、終戦に尽力した。
1946年(78歳)GHQの統治政策により公職追放を受ける。
1952年(84歳)GHQの統治が終わり、公職追放が解除となる。同年10月17日に死没。
幼少期
1868年、岡田啓介は越前国福井藩(現・福井県福井市)にて、福井藩士・岡田喜藤太の長男として生まれます。
幼少はやんちゃなガキ大将で、学校をサボっては荒川で花火をしたり、タケノコ取りをしたり。
「そんなことでは立派な侍になれない」
という親の言うことも聞かず、勝手気ままに過ごしていたといいます。
しかし、中学時代に幕末の福井藩士・橋本佐内の『啓発録』を読んだことをきっかけに考えを改めることに。
「偉い政治家になって国のために働きたい」
そんな夢を抱いた岡田は、以後勉学に励むようになります。
旧制福井中学を卒業すると、進学のため上京。
学費を援助してもらうことに引け目を感じたため、海軍兵学校へ進み、軍人として国に貢献することを目指しました。
海軍軍人時代
21歳で海軍兵学校を卒業した岡田は、そこから日清、日露、第一次世界大戦の要所にて従軍。
特に第一次世界大戦下では、海軍でも一番過酷といわれた第二水雷戦隊の司令官を務め、この経験が岡田の忍耐強さを形作ったといわれています。
また、このときの「青島の戦い」では巡洋艦「高千穂」が撃沈され、岡田がその現場に出向いて法要を行ったという慈悲深い逸話も。
その後は海軍次官、連合艦隊司令官と昇進を続けていき、1927年、59歳のころに海軍大臣に就任しました。
1930年のロンドン軍縮会議では海軍のトップとして軍内の意見をまとめ、「ロンドン海軍軍縮条約」の締結に貢献しています。
このように、岡田は軍人としての武勇伝は少ないですが、そのぶん行動の随所に平和を願う気持ちが表れていました。
内閣総理大臣として
1934年、元老・西園寺公望の推挙により、岡田は内閣総理大臣に任命されます。
このころは満州事変などの影響から、戦争に歩を進めていく軍部と、戦争を回避したい内閣の対立が如実になっていました。
そのため岡田が首相を務めた日々も、混乱を極めたものとなるのです。
皇道派や国家主義者との対立
天皇親政を掲げ、内閣の排除を目指す陸軍青年将校による皇道派、
同じく天皇の主権を主張する、国家主義の野党。
岡田は内閣の代表として、彼らからたびたび非難される立場に立たされます。
しかし岡田はそんなことには屈せず、議会で野党から攻撃されても
というように、自身の意向を隠すひょうひょうとした態度で反対意見をやり過ごしたのだとか。
その要領のよさから、周囲は岡田を「国を想う大狸」と呼んでいたといいます。
二・二六事件
1936年2月26日、陸軍青年将校率いる皇道派は、1483人の士官を引き連れたクーデター未遂「二・二六事件」を引き起こします。
この二・二六事件は、天皇親政を実現するため、天皇の周囲の側近を排除してしまおうというもの。
首相の岡田も当然狙われました。
しかし、このとき岡田は一命を取り留めることとなります。
秘書官を務めていた松尾伝蔵が岡田を庇い、おとりになって士官たちの前に姿を現したのです。
松尾の一歩も退かない堂々とした態度を前に、士官たちは松尾を首相だと勘違いし、彼を殺害すると満足して帰っていきました。
その後、岡田は娘婿の迫水常久らの助けで官邸を抜け出し、難を逃れます。
ただ、この出来事が岡田に与えたショックは甚大なものでした。
亡くなった松尾は、岡田の妹婿にあたり、陸軍を辞して福井県で市議会議員をしていた人。
それが岡田の首相就任に際し、
「俺が兄さんを支えなければ!」
と、官邸で住み込みの秘書として働き始めたのです。
岡田の首相としての日々は松尾との二人三脚だったわけですね。
そのほか、大蔵大臣の高橋是清や前任首相の斎藤実らもこの事件で亡くなっており、責任を感じた岡田は内閣総辞職を決意するにいたります。
首相なのに貧乏だった?
岡田は首相の在任期間、質素倹約に務めていました。
国民が苦境に立たされているのに、その代表が贅沢をするなど言語道断、という考えだったのでしょう。
どのぐらい質素な暮らしをしていたかというと、私用の洋服を一着も持っていないぐらいでした。
そのため基本はいつも軍服姿。
首相の親任式のときだって、借り物のシルクハットを被って出席していたといいますよ。
食事は基本的に弁当を取り、官邸で働く女中さんたちと同じものをいつも食べていたのだとか。
ただ客人が来ると歓迎し、いつも倹約しているぶん、豪快にお酒を振舞ったといいます。
自分がおいしい思いをするより、周りの人に喜んでほしい、そういう性分の人だったのですね。
余計に「二・二六事件」で身内が亡くなったことが心苦しく感じます…。
太平洋戦争下での働き
1941年、日本は東條英機首相の指揮のもと、アメリカとの太平洋戦争を開始します。
日本はこの戦争に際し、当初は「真珠湾攻撃」などの奇襲作戦で優勢に事を運んでいました。
しかし、軍備に対する生産力の差から、徐々に劣勢を強いられ、1943年を境に敗戦の色が濃厚になってくるのです。
このころになると、岡田は一刻も早い終戦を目指すため、東條内閣の倒閣に尽力しはじめます。
東條は首相と陸軍大臣、軍を指揮する参謀総長を兼任し、戦争にまつわる指揮権を独占していました。
その東條の指揮のもと動いた日本軍が連戦連敗していたため、岡田は東條に任せておくのは賢明ではないと判断したわけですね。
具体的には、海軍大臣・嶋田繫太郎の責任を問い辞任を要求するなど、東條内閣の人事を切り崩すことで倒閣を促しました。
東條と言い争いになり、
「逮捕拘禁する」
と脅された際も、岡田は一歩も退かなかったといいますよ。
その後、東條内閣が倒れると、
・鈴木貫太郎を首相に推す
・娘婿の迫水常久を内閣書記官長に推す
など、和平派の人事を推し進めていきました。
結果、太平洋戦争は鈴木首相のもと終結を告げます。
ポツダム宣言の受諾を伝え聞いた岡田は
と、涙を流しながら語ったといいます。
戦後はGHQの政策により、岡田は公職追放となりました。
そして1952年にGHQの統治が終了すると、敗戦から立ち直った日本を見届けたことに満足するかのように、岡田は84歳でその生涯を閉じることとなります。
きょうのまとめ
ひょんなことから政治家への夢を抱き、海軍入りを果たした岡田啓介は、常に国の平和を夢見て邁進していきました。
首相になった際も、戦争に足を進めようとする国の情勢のなか、頑として平和に務めようとしました。
太平洋戦争で日本は大打撃を負ってしまいましたが、岡田のような政治家がいなければもっと深刻な事態になっていたかもしれません。
最後に今回のまとめです。
① 幼少期は悪ガキだった岡田啓介。しかし福井藩士・橋本佐内に感化され、国のために働きたいと海軍入りを果たす。
② 軍人としては日清・日露・第一次世界大戦などに従軍。重役になり、ロンドン軍縮会議に向けた意見をまとめるなど、平和を願う気持ちを表す動向を見せる。
③ 内閣総理大臣になると、天皇親政を掲げる皇道派、国家主義者から盛んに攻撃された。事態は「二・二六事件」に発展し、多数の被害を出した責任から総辞職を決意する。
④ 太平洋戦争下では、戦争の指揮権を完全に掌握していた東條内閣の倒閣に尽力。終戦に向け、和平派の政治家を内閣に多数送り込んだ。
現代に生きる私たちもその生き様を見習い、手を取り合って難局を乗り越えていきたいですね。
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