19世紀~20世紀にかけて活躍したイギリスの電気技術者、
ジョン・フレミング。
物理学者でもあった彼は、その生涯で発明という名の大きな功績を遺しています。
皆さんも、「フレミングの法則」というものを学生時代に習ったことがあるはずです。
ジョン・フレミングとは、一体どのような人物だったのでしょうか。
今回は、その生涯と共に功績について一緒に見ていきましょう。
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ジョン・フレミングはどんな人?
- 出身地:イングランド ランカスター
- 生年月日:1849年11月29日
- 死亡年月日:1945年4月18日(享年95歳)
- イギリス出身の電気技術者、物理学者。「二極真空管」、「フレミングの法則」等を発明。
ジョン・フレミング 年表
西暦(年齢)
1849年(0歳)英国イングランドのランカスターで誕生。
1860年(11歳)自らの工房を持ち、エンジン付きの舟の模型を制作。
1870年(21歳)ロンドン大学で学士号を取得し卒業。インペリアル・カレッジ・ロンドンで化学を学ぶ。
1874年(25歳)夏にパブリックスクールにて科学講師として働く。
1877年(28歳)ケンブリッジ大学で理論物理学者の実験助手になる。
1881年(32歳)ロンドン・エジソン電灯会社の技術顧問に就任する。
1884年(35歳)ロンドン大学で電気工学の教授に就任する。
1897年(48歳)同教育機関にペンダー研究所が設立され、所長に就任する。
1900年(51歳)マルコーニ無線電信会社の技術顧問に就任する。
1904年(55歳)二極真空管を発明する。
1927年(77歳)ロンドン大学を退職。アメリカテレビジョン学会の初代会長に就任。
1929年(79歳)ナイトに叙される。
1933年(84歳)IRE栄誉賞を受賞する。
1945年(95歳)デヴォン州シドマスにある自宅で死去。
ジョン・フレミングの生涯
ここからは早速、ジョン・フレミングの主な功績からその生涯を辿っていきましょう。
「フレミングの法則」
ロンドン大学を卒業後、更なる学びを求めてケンブリッジ大学に入学したジョン・フレミング。
彼はそこで、理論物理学者にして電磁気学のパイオニアであるマクスウェルに師事します。
その傍らでマクスウェルの実験助手としても働き、彼はそこで電気技術者や物理学者としての知見を深めていきました。
その後、いくつかの大学で講義を行った後に母校であるロンドン大学で、電気工学の教授に就任したジョン・フレミング。
一説によると、「電気工学」としての正式な学問分野が大学に持ち込まれたのは、彼が最初だったとされています。
そして「フレミングの法則」(フレミングの右手の法則・左手の法則)は、この時に発明した物理学に関するものです。
きっかけは、学生に分かりやすく講義を行うための工夫からでした。
以下で、右手・左手のそれぞれの意味をまとめてみます。
・中指 → 電流
・人差し指 → 磁界
・親指 → コイルの移動方向
・中指 → 電流
・人差し指 → 磁力線
・親指 → 電磁力
というように、分かりやすく説明しました。
現在でも授業で教えられるこの法則は、モーターや発電機の動作する仕組みを簡単に覚えられる方法として、世界中に広まることになったのです。
技術顧問
その生涯において、ロンドン大学で長らく教授職や関連業務を務めていたジョン・フレミング。
一方で彼は、いくつかの企業で技術顧問としても活躍していました。
その一つである企業ロンドン・エジソン電灯会社は、白熱電球を発明したトーマス・エジソンの会社です。
フレミングはそこで、エジソンが発見した「エジソン効果」(熱電子効果)を使った実験の続きを引き受け、後に「真空管」を発明。
さらにその後、「電気制御」の仕組みを生み出すことにも成功しました。
以下でそれぞれの内容を簡単にご説明します。
→ 電気を一方通行に流すエジソン効果を応用し、電気の流れを整流。安定的に電波を検出する装置。無線受信機の動作不安定を解決。
・電気制御
→ 二極真空管の機能を取り入れ、電気製品の暴走を回避。正常に動かす仕組み。
ジョン・フレミングの発明した真空管はその後も多くの研究者によって研究が続けられ、現在まで続く様々な製品に応用されています。
例えば、
・ラジオ
・電話
・発電機
・テレビ etc…
現在では「半導体」の登場により真空管の出番は少なくなってしまいましたが、我々の生活を支える電気製品には、彼の発明した電気制御のシステムが大きな役割を果たしているのです。
この様に、大学で働く傍らアドバイザーや研究者としての活動もしていたジョン・フレミング。
彼は77歳まで教授職を務め退職した後も、アメリカテレビジョン学会の初代会長に就任するなど、その生涯にわたって電気技術に関連する職務に携わっていました。
ジョン・フレミングにまつわるエピソード
ここではジョン・フレミングの人柄にもう少し迫るために、彼にまつわるエピソードを3つほどご紹介していきます。
少年の夢
偉大な発明を世に残したジョン・フレミング。
彼の発明家としての片鱗は、少年時代に遡ってもうかがうことができます。
イングランドにあるランカスターの地に誕生した彼は、幼い頃から技師になることを夢見る少年でした。
そして11歳を迎える頃には既に自分の工房を構え、エンジン付きの船やカメラを作ることに熱中していたのです。
彼の好奇心の旺盛さや学習意欲はその後も高まり続け、後々の功績にもつながっていったのでした。
マクスウェルの講義
ケンブリッジ大学で研究し、実験助手を務めていたジョン・フレミング。
彼が師事していたのは理論物理学者のマクスウェルでした。
しかし彼の講義はとても難解なもので、逆説的かつ暗示的な言い回しが多く、不明瞭な部分が多かったと言います。
そのこともあり、ときに彼の講義にはジョン・フレミング一人だけしか聴講する者がいなかったこともあったのです。
2度の結婚
1887年、ジョン・フレミングは38歳のときにイングランド西部にあるバースの、法務官の娘と結婚します。
しかし不幸にも、67歳のときにその妻とは死別してしまいました。
それから約10年経ってから彼は再婚します。
そのお相手は、ブリストルの歌手でした。
70代半ばを過ぎてからの再婚でしたが、その後ジョン・フレミングは95歳という長寿を全うし、再婚相手とは20年近くも共に過ごしたのでした。
きょうのまとめ
今回は電気工学分野における祖とも言えるジョン・フレミングについて、その生涯を功績と共にご紹介してきました。
いかがでしたでしょうか。
新たな学びは得られましたか。
最後に、ジョン・フレミングとはどのような人物だったのかを簡単にまとめると
① 19世紀~20世紀にかけてイギリスで活躍した電気技術者、物理学者。
② 「フレミングの右手の法則・左手の法則」や「二極真空管」、「電気制御」のシステムなどを発明。
③ 大学で教授職や関連業務を務める傍ら、各企業で技術顧問も務めていた。
学生時代に授業で何となく習ったことがある「フレミングの法則」。
私たちが日常的に使用している電子機器。
普段はあまり気にしたことが無くても今回ご紹介したジョン・フレミングの様に、それに携わった人物の背景を知ることで、何気ないものにも必ず誕生の物語があることに思い至ります。
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