幕末の時代、明治維新に奔走し、日本の新時代の礎を築いたひとりに数えられる
大村益次郎。
西洋の兵学を用いた彼の戦術は日本の軍事を一気に近代化させ、その功績から「軍事の天才」とも名高い人物です。
脳ミソが人の2倍は詰まっているかと思うような様相で描かれた肖像画のとおり、益次郎は際立って勤勉で頭のいい人物でした。
彼の残した数々の言葉にも、その人柄が存分に反映されていますよ。
今回はそんな大村益次郎が残した名言を紹介します。
なかには、頭が良すぎるがゆえの迷言も…?
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大村益次郎の名言
以下より大村益次郎の名言を辿っていきましょう!
常識を発達させよ
青年期から日本古来の考え方に縛られず、海外の医学や兵学などを積極的に学んだ益次郎。
常に新しい知識を追い求める彼はこの名言のとおり、自身の常識を発達させようと邁進し続けていました。
彼が塾頭を務めた適塾の主宰者・緒方洪庵もその姿勢を
「寝る間も惜しんで書を読むことを怠らなかった」
と評価しているほど。
本来、彼は村医者の跡取りで国から重宝されるような家柄ではなく、チャンスをものにできたのは、ひとえに日頃の努力の賜物といえます。
ターニングポイントとなったのは1853年のペリー来航。
この事件をきっかけに世間の風潮は一変し、外国語に精通していた彼が一気に要の存在になっていくのです。
世間の流れはいつ何時変わるかわからず、いつ何時、どんな人にチャンスが訪れてもおかしくありません。
そのときにいち早く手を挙げられる人であるために、日々見識を広げていく努力をしておくことが大事なのですね。
君のため 捨つる命は 惜しからで ただ思わるる 国の行末
益次郎の辞世の句として知られる名言です。
“君”というのは、この時代の価値観からいって天皇陛下のことでしょう。
つまり
「国のためにこの命をかけられるなら惜しくはない。でもこんなに早く死んでしまうなんて…国はこれからだというのに…」
という意味合いに取れます。
益次郎が亡くなったのは、新政府が成立した直後の1869年、暗殺事件に巻き込まれてのことでした。
新設された陸軍の事実上のトップとなり、まさにこれから新しい時代を動かそうとしていたその矢先。
さぞかし悔いが残る最期だったことでしょう。
しかし…本当の話をするとこの句は、益次郎が詠んだものではありません。
益次郎が亡くなるより7年前の1863年、長州藩の同志で、名門の家系だった長井雅楽が亡くなり、その際に彼が残したものだったのです。
なのにどうして、益次郎の句として知られているのか?
彼が長井の句を気に入り、メモに書き残していたからです。
益次郎の死は突然のことで句を残す暇もなかったため、彼の気に入っていたこの句が辞世の句とされたのです。
本来は他人が詠んだものですが、益次郎の考えに準じていたことはたしかでしょう。
番外編:大村益次郎の迷言?
非常に勤勉で頭のいい人物だったとされる大村益次郎。
それゆえ頭の固いところがあるのか、彼は偏屈なエピソードもいくつか残しています。
以下からはそんな彼の迷言を紹介していきましょう。
夏は暑いのが当たり前です
益次郎のぶっきらぼうな人柄を表したのが、この迷言。
彼が故郷の鋳銭司村(現・山口県山口市鋳銭司)に戻り、村医をしていたころのセリフです。
実は医師としての益次郎は、のちに国の中心人物になるとは思えないほど評判がよくありませんでした。
なぜなら、とにかく態度がそっけないからです。
患者が
「先生、今日も暑いですね」
とあいさつすれば
「夏は暑いのが当たり前です」
と返す。
益次郎は建前の会話が一切できない人だったのです。
彼ほど勉強熱心で頭のいい人なら、医師として腕が悪いなんてことはなかったでしょう。
しかし頭が良すぎるがゆえ、なにもかも理屈で考えてしまって会話が成り立たず、患者との信頼関係なんてあったもんじゃありません。
それがゆくゆくは陸軍のトップにまでなってしまうのですから、村の人たちも
「変な医者だと思ってたら、まさかそこまで偉くなるとは…」
などと話していたのではないでしょうか。
豆腐を愚弄する者はついに国家を滅ぼす
益次郎は豆腐が大好物で、彼が付けていた帳簿を開いてみると、豆腐の文字がこれでもかと並んでいたという逸話があります。
上記はそんな益次郎が、豆腐を好きすぎたために残した迷言。
豆腐の美味さもわからないような無能に国は任せておけないという意味でしょうか。
それとも、食べておかないと国を守ることなんてできないぞと、豆腐の栄養素の重要性を説いているとか?
普通に考えれば単なる冗談ですが、なにぶん堅物の益次郎が言うと、本気なのか冗談なのか見分けがつかなくなってきます…。
きょうのまとめ
若かりしころから知識を磨き続け、幕末動乱の時代にはその蓄えを活かし、日本を新時代に導いた大村益次郎。
その勤勉すぎるほどの人柄と、だからこそ大義を成せたという事実は、名言からもしっかり伝わってきました。
最後に今回のまとめをしておきましょう。
① 大村益次郎は青年期から海外の学問に励み、自分のなかの見識を広げていく努力を怠らなかった。
② 辞世の句は本人の作ではない。ただ国のためなら命も惜しまないというのは本心のはず。
③ 偏屈な性格だったため迷言も多く、しばしば会話が成り立たない場面もあった。
現代となってはその偏屈っぷりも笑い話として、彼が愛される要素となっていますね。
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