紀元前1700年代、古バビロニア王国6代目の王となった
ハンムラビ王。
彼は知略に長けた王で、数多くの戦争に勝利したあかつきには、メソポタミアを統一。
メソポタミア文明の全盛期を担った重要人物でした。
メソポタミアの発展に大きく貢献したハンムラビ王は、自身が作ったハンムラビ法典の中で、有名な名言を残しています。
「目には目を、歯には歯を」という言葉は、多くの人が耳にしたことがあるでしょう。
後世には、しばしばこの言葉の本当の意味が誤解されている部分も見受けます。
この言葉を通して、ハンムラビ王は何がいいたかったのか…今回はこの名言の真意に迫っていきましょう。
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「目には目を、歯には歯を」その真意とは?
復讐を表した言葉だと誤解されがち
ハンムラビ法典は復讐法と呼ばれることも多いですが、決して復讐を推し進めるようなものではありません。
しかし「目には目を、歯には歯を」という言葉は「やられたらやり返す」という意味に捉えられがちです。
確かに危害を加えられてやり返さずにいれば、相手が味を占めて嫌がらせがエスカレートするかもしれません。
「相手に自分の痛みを分からせる」という意味では、この捉え方も的を射ているともいえるでしょう。
また旧約聖書の一節では「悪人に手向かってはいけない」とされているため、比較されたハンムラビ法典は、復讐を推している部分が強調されて見えます。
やり返すのが正義なのか、やり返さないのが正義なのか…これは状況次第なところもあって、難しいところ。
ハンムラビ法典は、実はこの「やり返す」「やり返さない」の真理をついているのです。
真意は限度をわきまえることにある
「目には目を、歯には歯を」は「限度をわきまえてやり返そう」という法律です。
目を傷つけられたのなら、傷つけた相手の目を傷つける。
歯を折られたら、折った相手の歯を折る。
しかし、それ以上のやり返しをしてはいけないというのが、この言葉に込められた真意なのです。
やり返さずに黙っていては、相手はこちらの痛みを知らないまま。
しかしやり返すにしても、過剰になり過ぎるとかえって争いに発展してしまう…。
そう考えれば「目には目を、歯には歯を」は、健全な解決法だとはいえないでしょうか。
やはり人を傷つけたなら、それ相応の報いは受けるべきです。
現代でも、犯した罪によって刑罰の重さが決まりますよね。
「目には目を、歯には歯を」の後に続く言葉
「目には目を、歯には歯を」には続きがあります。
強者が弱者を虐げないように
「強者が弱者を虐げないように、正義が孤児と寡婦とに授けられるように」
「目には目を、歯には歯を」の後に続く言葉です。
この言葉を経ると、よりその真意が明確になってきますね。
強い人が弱い人の立場になって考えるというのは、どうしても難しいもの。
「目には目を、歯には歯を」の法律を通して、強者が弱者の痛みを知れば、弱者が虐げられるようなことも防げるでしょう。
孤児や寡婦といっているのは、弱い立場にある人の象徴です。
孤児は傷付けられても親に頼ることができないし、寡婦というのは独り身の女性のことで、それもまた夫に頼ることができないことを表します。
そういった弱い立場にある人が、強い立場の人と平等に接せられるように、ハンムラビ王はこのような法律を定めたのですね。
弱者は守るけど、奴隷はまた別
法律を通して弱者を守ろうと考えたハンムラビ王ですが、奴隷に関しては少し扱いが変わります。
それを表したのが「奴隷が自由人の頬を殴った場合、耳を切り落とす」という言葉。
「目には目を、歯には歯を」の基準で考えれば、これは明らかに行き過ぎた復讐でしょう。
奴隷がそもそも人として扱われていなかったということが、顕著に表れた例です。
奴隷の歴史も紀元前から続いていると考えると、「支配したい」という気持ちは、人間の本能なのかな…と感じさせられます。
きょうのまとめ
ハンムラビ王が法典の中で残した「目には目を、歯には歯を」という名言には「痛みを分からせる必要はあるけど、やりすぎてはいけない」という意味が込められていました。
真意を辿っていくと、この法律がいかに合理的だったかということもまた、垣間見えましたね。
日本語に直されたこの言葉は語感もよく、インパクトがあります。
その覚えやすさもまた、広く知られている理由の一つでしょう。
今回の内容を簡単にまとめると…
① 「目には目を、歯には歯を」は復讐の限度をわきまえさせるための言葉
② ハンムラビ王は法で報いを受けさせることで、弱い立場の人を守ろうとした
③ 奴隷は弱い立場の人間の数には数えられなかった
ハンムラビ王は戦に対する知略に長けていただけでなく、弱者のための法律を作ることでも、その文明を推し進めていったのです。
「目には目を、歯には歯を」の法律を通して、多くの人が「誰かを傷つければ、相応の報いを受けることになる」と学んでいったことでしょう。
国民にとって、何がためになるのか…このことに真剣に向き合ったハンムラビ王は、やはり国にとって優れた指導者だといえます。
ハンムラビ王の年表を含む【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
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