古代エジプト第4王朝のファラオ(国王)で、世界最大のピラミッドを自分の墓として建設させた
クフ王。
建設から4500年以上経った今も、その壮大な姿を残し続けているピラミッドを目の当たりにすると、クフ王が当時いかに影響力を持った王だったかということが伝わってきます。
また死後残される彼の存在感は、ピラミッドだけではなく、様々な伝承の中に登場し、後世にも多大な影響を与えているのです。
まさに古代エジプトを語る上では欠かせないクフ王。
彼は一体どんな人だったのでしょうか。
歴史上に大きな功績を残したその人物像に、以下より迫っていくことにしましょう。
クフ王はどんな人?
- 出身地:古代エジプト
- 生年月日:不明
- 死亡年月日:紀元前2566年
- 古代エジプト第4王朝のファラオ(国王)。世界最大のピラミッドを作らせた。
クフ王 年表
西暦
前2589年
父スネフェル王から王位を継ぎ、古代エジプト第4王朝のファラオとなる。
王となりどのような政治を行っていたかはほとんどわかっていない。
前2566年
死没。
この前後で20年間掛けて、自身の墓である世界最大のピラミッドを建設。
クフ王は謎の多い神秘的な人だった
クフ王は世界最大のピラミッドを建設させたというインパクトから、
古代エジプトの国王の中でも特に歴史に名を残している人物です。
しかし有名な割に、世界最大のピラミッドを建設したこと以外、クフ王に関することは、はっきりとはわかっていません。
伝承に書かれている内容もほとんどが推測によるもので、書く人によってまちまち。
結局クフ王がどんな性格で、どんな政治をしていたかということは、今も謎に包まれたままなのです。
残されている伝承から、彼がどんな人物だったかを探ってみましょう。
好奇心旺盛で寛容
クフ王に関する伝承の中で、彼の好奇心旺盛さを物語る興味深いものがあります。
彼の人物像が描かれているのは、第13王朝の時代に書かれた「ウェストカー・パピルス」という物語。
その内容はクフ王が9人の息子たちの話を聞く…という内容になっています。
しかしこれも最後の3人の話しか残っておらず、結局その全貌はわかっていないのです。
そこに父スネフェル王の墓守をしているジェディという老人なら、トート神の知恵の秘密を知っているということを聞き付けます。
しかし神の知恵の秘密を普通の人間が知っているなど、どうにも信じがたい話です。
これに対してクフ王に呼び出されたジェディは、自分は現在110歳まで生きていて、魔法が使えるといい出します。
これを聞いたクフ王は、ならば一度死んだ囚人を生き返らせてみせろと、囚人の斬首刑を決定しようとしました。
目の前の老人が本当に魔法を使えるのかを試すために、人一人の命を奪うなど、いかにも残酷な話ですが、これはクフ王が単に好奇心旺盛だっただけだと捉えられます。
その証拠に、囚人の斬首刑はやめて欲しいというジェディの願い出をこの後あっさりと聞き入れているのです。
そしてジェディは代わりに別の魔法をクフ王に披露しました。
その後、トート神の知恵の秘密について聞いてきたクフ王に対して、
「あなたが知りたがっていること自体は知らないが、それを記した書物が存在することは知っている」と返します。
そして将来的にその知恵を手に入れるのは、クフ王ではない別の人物だということもジェディは予言してみせたのです。
別の人物が神の知恵を手に入れてしまっては、クフ王の王位が危ぶまれてしまいます。
そのことを懸念したクフ王でしたが、ジェディは「その者が王位を継ぐのはあなたの三代後の話ですよ」といってクフ王を安心させたのです。
結果としてクフ王は「自分は神の知恵を手に入れられない」という事実を突きつけられたわけですが、それでも彼はジェディを非難するようなことはしませんでした。
それどころか、ジェディがした予言に対してクフ王は褒美を取らせたのです。
このことから、クフ王は自分に不利なことをいわれても受け入れる、寛容な心を持った人物だということがわかります。
やはり囚人の斬首刑でジェディの魔法を試そうというのは、単に好奇心からくるものなのでしょう。
これも伝承なので、魔法についての真意は定かではありませんが、今でいう手品のようなものだったのかもしれませんね。
いずれにしてもジェディはクフ王を信用させるに足る知識量を持っていたということでしょう。
残酷な王というのは誤解?
クフ王は世界最大のピラミッドを建設するために、国民に過酷な労働を強いていたとするイメージから、古くから残酷な王としてその人物像が語られてきました。
しかしそのイメージも最近では覆っています。
クフ王を残酷な王として語ったのは、多くが古代ギリシャの歴史家たちでした。
紀元前400年頃に活動していた歴史家のヘロドトスは、クフ王に王位が継承されてから、エジプトの国民はそれまでとは打って変わって、過酷な労働を強いられるようになったと記しています。
なんでもアラビアの山中から切り出した石灰岩を、ナイル川を経てリビア山脈まで運搬させるような重労働が行われていたとか。
これは軽く国境を超えていますし、距離にすれば何千キロです。
おまけに山道や川など、運搬に使われた道もさぞ険しいものだということが伝わってきます。
これが本当なら、残酷な王だといわれても仕方がありませんが、実はこの話に確証はありません。
というのも、ヘロドトスのように、クフ王について否定的な意見を述べている古代ギリシャの歴史家たちが生きた時代は、クフ王の時代から2000年以上後の話なのです。
クフ王が生きた当時の記録を残しているものといえば、ピラミッド内などに残されているヒエログリフと呼ばれる古代文字。
それらを読む術も、古代ギリシャの歴史家たちは持ち合わせていなかったというのが実情です。
残された史料を読みとくことができないのですから、その人たちが残していることに確証などないということですね。
最近ではピラミッドの建設は、ナイル川の氾濫によって職を失った農民たちの救済措置になっていたなんて話もあります。
この説でいわれているのは、農民たちはピラミッドの建設があるおかげで職には困らず、さらに家族と一緒に暮らす権利、食事やビールなどが与えられるなど、過酷な労働とはかけ離れたものです。
前出のウェストカー・パピルスに記された伝承や、ピラミッド建設の実情も踏まえると、クフ王は残酷な王様ではなく、国民に対して理解のある人物だったのではないかと伺えます。
古代ギリシャの歴史家たちがクフ王の人格について誤解してしまったのは、単にピラミッド建設の重労働のイメージがそうさせたというだけの話でしょう。
関連記事 >>>> 「世界最大のピラミッド!クフ王の墓の謎に迫る」
きょうのまとめ
記事の中で書いていたように、現在ではクフ王は残酷な王様などではないとする見解が一般的になってきています。
しかしギリシャの歴史家たちが残した伝承がそうであったように、現在いわれていることも単なる推測でしかありません。
否定的な意見こそ薄れてきましたが、クフ王の人物像というのは、結局は謎に包まれたままなのです。
今回の内容を簡単にまとめると…
① クフ王は世界最大のピラミッドを作って、歴史に多大な影響を与えた
② クフ王は自分に不利な事実を突きつけられても、怒らずに受け入れる寛容さを持っていた
③ 残酷な王様だというのは誤解で、ピラミッド建設にしても職を失った農民を救うための事業だった
…といったところでしょうか。
はっきりとしたことが残されていないにしても、それだけ名を残しているクフ王には、人格者であってほしいなと思うところが本音です。
世界一大きなピラミッドの建設を実現させてしまうというのも、彼が国民から恨まれている王様だというなら、成し得ないことなのではないでしょうか。
いずれにしてもわからないことなら、そういう風に考えている方が夢もあるというものです。
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