ものすごく優秀。
トップにもなる寸前。
なのに、その座を取り上げられてしまいました。
しかも、その座に替わりに収まった人は自分のような鋭さはありません。
ただ、その人は人々に人気はあります。
最悪なのは自分を警戒してつぶそうとしてくることです。
ついに立ち上がり、なぎたおし、トップになってはみたけれど。
(わかる、痛いほどわかるよ、みなさまの私への白い視線……)
そんな“下剋上皇帝”明永楽帝によるがんばりと苦しみの人生です。
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永楽帝はどんな人
- 出身地:中国江蘇省
- 生年月日:1360年5月2日
- 死亡年月日:1424年8月12日(享年64才)
- 明の皇帝。対外積極政策で国威をおおいに発揚する。
永楽帝の年表
1360年(0才)永楽帝生まれる
1399~1402年(40才前後)靖難の変
1402年(42才)明皇帝に即位
1405年(44才)ティムール亡くなる
1407年(47才)国書を足利義満に届ける
1411年(51才)マラッカ王国、明に入朝
1421年(61才)北京遷都
1424年(64才)永楽帝亡くなる
永楽帝の生い立ち
永楽帝は幼くしてかなり優秀です。
早朝から学者を招き、一度読んだ本の内容は忘れません。
父、洪武帝(朱元璋)にもその能力を認められ、明の大敵である対モンゴル戦線を命じられます。
永楽帝はその期待に見事“結果”という形で何度も応えて見せます。
太子になれない
しかし、永楽帝は四男です。
父洪武帝の太子として一番上の兄である朱標が継ぐことになります。
さらに朱標が早くに亡くなると、儒教的な考えから朱標の子である建文帝が太子に立てられます。
洪武帝は優秀な永楽帝を後継ぎ候補として考えてもいたようです。
が、またお預けを食ってしまいました。
永楽帝vs建文帝
洪武帝が亡くなると、建文帝が順当に跡を継ぎます。
基本的に朱標→建文帝の血統は優しいです。
人々になかなかの評判も取っております。
しかし、この建文帝。
ほかの朱元璋の子どもたちを警戒し、次々とつぶしにかかります。
永楽帝も追いこまれ、もうこのままでは……、となってついに決起!
叔父vs甥における血みどろの戦い「靖難の変」の幕開けです。
五出三犂
つくづく、いつどこの世においても“権力”というものはむずかしいものです。
結局3年にわたった“靖難の変”は永楽帝の勝利。
しかし、“力づくで乗っ取った者”の負い目が永楽帝にはつきまといます。
早速それを振りはらおうとするかのように、建文帝までの南京から永楽帝の本拠地だった北京への首都移転計画を開始。
モンゴルにはたびたび遠征。
「五出三犂」
つまり、五回遠征に出て、三回敵の本拠地をたたいた、とたたえられるように、ある程度の軍事的成功を見せます。
しかし実のところ、モンゴル勢はたくみに逃げまわるため、たくさんかかった軍事費のわりに本当に欲しい成果はいまいち。
明の財政はだんだん苦しくなってきました。
鄭和の大遠征と朝貢外交
永楽帝の対外積極姿勢はまだまだです。
鄭和(ていわ)の南海大遠征をおこない、遠く東南アジアからインド、東アフリカまで様々な国々と朝貢関係(親分、子分のような関係)を結びました。
鄭和は来ていませんが、琉球や李氏朝鮮も日本も(※)このころ明に服従しています。
(※)足利義満の時代
『永楽大典』と『四書大全』
内政ではあまり評価されない永楽帝。
ですが、こんな文化的事業を残しております。
●『永楽大典』……いわゆる百科事典
●『四書大全』……儒教の重要書物をまとめなおしたもの
などの編集です。
宦官と外戚
また、永楽帝は役人などからの人気がとぼしく、ほかの勢力に助けてもらうしかありませんでした(※)。
(※)こんな状況では内政に成果が残しづらいはずです……。
宦官(かんがん)です。
中国の王朝ではたびたび宦官が好き放題し、国をムチャクチャにすることがありました。
そのため洪武帝は宦官を重用しないよう、しっかり手を打っていたはずなのですが。
永楽帝の苦し紛れの策に、以後明は宦官がものすごい勢力を持ち、その害悪に大いに苦しむことになります。
ただ、永楽帝のかしこい奥さん徐皇后の影響もあり、明は外戚(※)による害悪についてはほとんどありませんでした。
(※)皇帝の奥さんの一族。こちらも中国王朝では好き放題して、国をムチャクチャにすることがしばしば。
きょうのまとめ
① 永楽帝は甥建文帝を武力で打ち倒し、明皇帝に即位した
② 永楽帝の政治姿勢は対外にとても積極的
③ 永楽帝は『永楽大典』や『四書大全』の編纂など文化事業に一定の功績が見られる
また、1403年に西の大征服王ティムールが明に攻め込もうとしながら、途中で病死したことも付け加えておかなければなりません。
これは永楽帝にとって運がよいことだったのか、悪いことだったのか。
武力で成り立った人にとったら、ここで勝つか負けるかは天と地の差ですからね。
もちろん国民的に、むやみやたらの戦争はゴメンこうむりたいです。
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