ヴェニスの商人マルコ・ポーロと元帝国皇帝フビライハンの関係

 

『東方見聞録』によると、マルコ・ポーロは元の皇帝フビライハンに17年間仕えたといいます。

フビライハンと言えばあの“元寇”で有名ですね。

マルコはイタリア生まれの一人の商人。

モンゴル人である世界の大皇帝との関係っていったいどんなだったのでしょう。

 

マルコポーロがフビライハンに会いに行く理由

そもそも飛行機も電車も車もない時代です。

マルコポーロはイタリア・ヴェニスの人。

フビライハンの王宮があったのは大都(今の中国北京)です。

その距離は直線でもなんと8000km

日本列島の長さは択捉島から与那国島(沖縄県の一番南西にある島)までが約3500kmですから、軽く倍以上!

これだけ遠いのに、マルコはなぜフビライに会いに行かなくてはならなくなったのでしょう。

……。

実はそもそも会いに行かなければならなかったのはマルコのお父さんと叔父さんです。

彼らはもうすでにその宮殿を一度訪ねたことがありました。

フビライは二人にお願いします。

「君らはとっても優秀だから、ぜひローマ教皇への使節になってほしい」

こうして、二人はいったんヴェニスに帰ります。

そして、今度はローマ教皇から

「そりゃすごいね」

とばかりにフビライハンへの手紙などをたくされます。

こうして、今回はマルコをもひきつれ、フビライのもとへもどる大旅行を始めたのです。

 

フビライハン、マルコポーロを大いに気にいる

マルコポーロらがフビライハンに手紙をとどけると、フビライは大喜びです。

マルコはさすがに世界を股(また)にかける貿易商です。

たいして時も経たないのにタルタル人(モンゴル人)の習慣言葉や文字を覚えてしまいました。

フビライは「こりゃこいつも相当優秀だな」とみすましたようです。

そして、今の中国の南西方面を調査してくるよう命じます。

マルコはやっぱりさすがに商売人だけあってフビライの喜ぶポイントをきっちりおさえております。

「言われたことをただやっただけじゃ満足できないお方だから」

と、赴任先では現地のマニアック情報なんかをきっちり集めてたくさん報告しました。

すると、フビライ陛下はもう大喜びです。

 

マルコポーロらの紹介した特殊兵器

元がマンジ国(中国の南宋のこと)の町襄陽を攻撃しておりました。

しかし、この町はとても守りが固く、元軍が三年囲んでも落とせません。

そこでマルコらはフビライに

「“発石車”というめずらしい兵器がありますよ。なんならそれを造れるエンジニアも知ってます。紹介しましょうか」

と、申し出ます。

そこでフビライ、彼らに任せてみてびっくり!

その完成した兵器で遠くから巨石をスポーーン!

おそるべき威力を連射して町のいたるところに命中。

とうとう襄陽の町はたまりかねて降参してしまいました。

 

マルコポーロとフビライハンの別れ

世界を代表する大帝国元の皇帝フビライハンはマルコ一行を気に入りすぎてもうだいぶメロメロです。

しかし、マルコらはさすがにすご腕商人たちです。

「元の政治は結構腐敗してるしヤバくね?」

そもそも、フビライの命がいつまでも、とはいきません。

こうした権力トップの世界で一寸先は闇。

マルコらはよそもの、なのにフビライの大のお気に入り、すると、人々のねたみそねみが……。

フビライが亡くなったら、次の権力者がマルコらに何をやらかすか……。

マルコ一行はフビライハンにヴェニスに帰してもらうようお願いします。

でも、フビライからしたら「はあ?」ですよね。

当然ことわります。

そんな時たまたま、今のイランあたりにあるモンゴル系帝国イル・ハン国からの使者がやってきておりました。

彼らの役割は元の王妃様を政略結婚としてイル・ハン国におむかえすること。

しかし、その陸路の道中では戦争が起こっていてあぶなすぎます。

仕方ないので海から船で帰ろうとしたところ、ラッキーです。

マルコらはものすごく物知りでインド方面への海路のゆく先々の情報もいっぱい知っております。

「ぜひ、いっしょにいきましょう」

という案件をどさくさに利用し、とうとうフビライハンから帰国の許可をおろすことに成功しました。

こうしてマルコらは東南アジアからインド・イラン・トルコなどをたどって24年ぶりに故郷ヴェニスに帰り着きました。

 

きょうのまとめ

① マルコポーロがフビライハンに会いに行った理由はマルコのお父さんたちとフビライハンとの約束にあった

② マルコポーロ一行はフビライハンに“発石車”を紹介し、元軍による襄陽陥落に一役買った

③ マルコポーロ一行は元の政情の行く末を心配し、元を去った

『東方見聞録』にはフビライハンの暮らしぶりや政治のやり方が事細かく書かれております。

その中にはとても面白い情報がいっぱいあります。

たとえば、世界初の国家的紙幣(お札)“交鈔”。

元では桑の葉をすいて紙に加工し、皇帝フビライのハンコを押して人々の暮らしに流通させていたのですね。

そのころはまだ、ヨーロッパでも日本でもコインや物々交換ですよ。

 
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