「戦争で負けて、外交で勝った歴史はある」という名言を残した
吉田茂。
戦後日本の独立回復やアメリカとの安全保障条約締結といった功績を残した総理大臣です。
吉田は傲慢な性格だったと知られる一方、とてもユーモラスな人物であったことでも有名。
そこで今回は吉田茂の残した名言、いえ迷言について、
簡単なエピソードとともにご紹介します。
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ユーモアあふれる吉田茂の名言3選
世の中にかっこいい名言を残した人はたくさんいますが、
吉田茂ほど面白い名言を残した歴史上の人物も珍しいのではないでしょうか。
それでは吉田茂の迷言を三つほど、ご紹介していきます。
総理大臣秘書官要請の生意気な断り方
まずは吉田茂が、まだ外交官だったときの言葉です。
当時の吉田は満州に赴任し、朝鮮総督だった寺内正毅(第18代内閣総理大臣(1916~1918)。米騒動で総辞職。)と外務省の間で連絡役を果たしていました。
そして寺内正毅は次の総理大臣に決まると、吉田茂に総理秘書官にならないかと持ち掛けます。
ですが、吉田はこれを断ります。
そのときに言ったとされる言葉がこちらです。
総理大臣は勤まるかと思いますが、総理大臣秘書官は勤まりません
なんと生意気な!
でも実際に言われたら、笑っちゃいますよね。
街頭演説で親父ギャグ
次は吉田茂が総選挙の際、高知市内で街頭演説をしていたときのことです。
外套(防寒のための衣類)を着たまま演説をしていると、
「外套を取れ」と聴衆から野次を飛ばされたました。
そんな野次に対し、吉田はこう言い返します。
外套を着てやるから街頭演説です
すると、聴衆から拍手喝采を浴びたんだとか。
笑うかどうかは別として、切り返しが上手ですね。
それ言われたら困る!居留守の言い訳
最後は、私が一番お気に入りの名言を紹介します。
あえてこちらは迷言ではなく、名言と言わせてください。
こちらも吉田が外務省時代、奉天(現在の中国、遼寧省瀋陽)の総領事だった頃の話です。
とある政治家が訪ねてきたそうですが、会いたくなかった吉田は居留守を使いました。
ですが、運悪くその政治家と鉢合わせてしまいます。
政治家が総領事はどこにいるのか、問い詰めたときの吉田の言葉がこちらです。
本人がいないと言っているのだから、それ以上確かなことはないだろう
一度くらい使ってみたい名言ですよね。
くれぐれも、相手は冗談のわかる人にしてください。
きょうのまとめ
今回は、吉田茂の思わず笑ってしまう名言についてご紹介しました。
吉田茂は、
② 聴衆からの野次にも親父ギャグで切り返して喝采を浴びた
③ 居留守の言い訳が思わず笑ってしまう
こちらのサイトでは他にも、吉田茂にまつわる記事をわかりやすく書いています。
より理解を深めたい方は、ぜひお読みになってくださいね。
吉田茂の年表を含む【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
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