1920年代エジプト。
ツタンカーメン王の墓を発掘していたカーナボン卿をはじめとする人々が突然次々と急死をとげました。
人々はそれをこう呼びます。
ファラオ(王)の呪い。
歴史と呪いというのはなかなかに密接です。
日本では姫路城のおさかべ姫や玉藻の前(※)、平将門などの話が有名です。
(※)九尾のキツネ伝説。鳥羽上皇にとても愛されたという姫。死後も祟り、那須の殺生石になったと言います。
そして、ここで紹介するのは中央アジアの大征服王ティムール。
人々の学術的な好奇心をよそに。
大いなる野望とアクの強い知恵はその時を待ち。
歴史の動く、まさにそのフタは今開かれようとしています。
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“青の都”サマルカンド
大征服王ティムールの眠る場所はどこにあるか知っていますか。
中央アジアはウズベキスタンにある“青の都”サマルカンド。
そこにあるグーリ・アミール廟というティムール一族の集団墓地です。
ちなみにサマルカンドとは昔からシルクロードの中継地として栄えた町。
東西交易がとても盛んでした。
そして、ティムール建国以来帝国の首都でもあります。
町のあちこちで見受けられる目にもまばゆい青タイルの装飾は中央アジアの真っ青な空によく映えますね。
ティムールの棺に記された言葉
グーリ・アミール廟内は青・白・金にあふれる万華鏡宇宙です。
冷たくおごそかに居並ぶ大理石の棺の数々。
その中のひとつにこう記されています。
「私が死の眠りからさめた時、世界は恐怖に見舞われるだろう」
1941年6月19日、ソ連調査隊はその重いフタを開けると、その内側にまたこう記されておりました。
「墓を暴いた者は、私よりも恐ろしい侵略者を解き放つ」
埋葬された人骨
中に埋葬されていた人骨は172cm。
生きている当時のことを考えたらなかなかの大がらです。
そして、右足は確かにひきずっている様子。
言い伝えの通りです。
ティムールは右足に障害を抱えておりました。
興奮冷めやらぬ調査隊。
ですがその時……。
バルバロッサ作戦発動
「土台の腐った納屋は入り口を一蹴りしただけでたおれさる(※)」
(※)ある男が当時のソ連を評価しての一言です。
その男は確かに大いなる野心を秘め、まさにその世界の動く時を待っておりました。
調査の2日後、ついに牙をさらす時がやってきます。
1941年6月22日まだ日の明ける前のことです。
ナチスドイツ総勢300万といわれる兵員でもってバルト海から黒海へといたるとても長い戦線から一斉同時侵攻を始めました。
アドルフ・ヒトラー総統によるバルバロッサ作戦の発動です。
1939年以来ドイツとソ連の間に取り交わされていた不可侵条約は一方的に破り捨てられました。
ソ連の歴史に刻まれる悪夢の4年間の始まりです。
ちゃんと遺体を葬りなおすと……
ソ連軍はナチスドイツ序盤の圧倒的な攻撃を何とか持ちこたえながらも、泥沼の苦戦が続いております。
完全にヒトラーにしてやられました。
そして、よっぽどあの呪いが身に染みていたのでしょう。
1942年11月ソ連はティムールらの遺体をもとあった場所にイスラム式でちゃんと葬り直します。
すると、大激戦地スターリングラードでソ連側優位に好転。
大ピンチを切り抜けたソ連は攻め手へと転じ、1945年5月7日ついにドイツは無条件降伏をします。
きょうのまとめ
古墳というのはどこでも盗掘がつきものです。
ティムールの棺にあった言葉は「盗掘予防」と考えるのが自然。
まあでも、世の中にはそういった理屈では説明のつかないことがいっぱいありますからね。
出来ればそういった不幸に見舞われぬまま人生を過ごしたいものです。
① ティムールの棺の外と内にそれぞれ恐ろしい呪いの言葉が記されている
② ソ連調査隊がティムールらの棺の中をあらためた2日後、ナチスドイツによるソ連侵攻が始まった
③ ソ連調査隊がティムールらの遺体を棺に戻すと、ソ連の反撃が始まった
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