日本でもとても人気の、蜀の軍師であり政治家でもある
諸葛亮(字は孔明)。
劉備とその子、劉禅に忠実に仕えた人物です。
今回はそんな諸葛亮について、どんな人物であったか分かるエピソードを紹介していきます。
諸葛亮の生涯
諸葛亮は忠実に劉備に仕えた家臣です。
劉備は困ったことや進軍の方法を諸葛に相談することもありました。
劉備が死去してからも、その子劉禅を献身的に支えとても信頼されていました。
諸葛は公平に政治を行っていた人物としても知られています。
彼は部下の失敗によって魏への侵攻が失敗した際には、自らも丞相の地位から降格し公平さを保ったのです。
高い地位を持っていたにもかかわらず、財産や土地は必要最低限以外持たなかったということからも、諸葛亮の人柄を想像することができます。
軍師としてもですが、諸葛亮は政治家として特に優れた才能を発揮していました。
『三国志』の著者、陳寿は諸葛亮の政治家としての能力について、
・どんな小さな善いことも評価して、どんなに小さな悪でも罰を与えた
・多くのことに精通していて、人々は諸葛亮を畏れつつも愛していた
・政治の才能は、管仲、蕭何に匹敵する
という最大の評価をしています。
最後は病気で死去してしまいますが、
死去した後も敵軍に影響を与えたほどの力を持つ人物でした。
諸葛亮にまつわるエピソードや伝説
ここからは、諸葛の才能が分かるエピソードを紹介します。
蜀の治安の改善と国力の増強
劉備が死去し、劉禅が若くして皇帝の座に就きます。
しばらくすると、諸葛は異民族の王である孟獲を自分の配下に入れました。
孟獲が諸葛の配下に加わるまでは、益州の豪族で密かに呉と内通し、孟獲と組んで度々反乱を起こす人物がいました。
諸葛は孟獲を配下に入れることで、呉との表面上の同盟を守りながら、反乱を治めることに成功したのです。
このことにより、反乱で軍の兵を割かれることもなくなり、蜀の治安も改善しました。
諸葛が劉禅の下で南征に繰り出したとき、蜀には魏の4分の1ほどの人口しかいませんでした。
国力も魏と比べると弱く、侵攻するにはとても不利な状況にありました。
諸葛は南征に成功し、1万余りの兵を蜀軍に編入することによって、国力を高めることに成功します。
兵力を増したことで、北伐に備えた準備も可能になったのです。
死去しても影響力を残す
諸葛が病に倒れた時、
彼と戦っていた敵軍の武将、司馬懿は、諸葛が死去したときに大きな流星が見えたことから諸葛の死を悟り、蜀軍に攻めてきます。
しかし、蜀軍の中にはいるはずのない諸葛の姿がありました。
司馬懿は諸葛の姿を目にして慌てて引き上げたのです。
このことを
「死せる孔明、生ける仲達を走らす」
と言うようになりました。
仲達とは、司馬懿の字です。
きょうのまとめ
諸葛亮についていかがでしたでしょうか。
諸葛亮とは?
簡単にまとめると
① 劉備と劉禅に忠実に仕えた軍師であり、政治家
② 政治家としての才能が特に優れていた
③ 死後も敵の武将を恐れさせるほどの強い影響力を持っていた
と言えるのではないでしょうか。
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