世界史上もっとも広かった国はどこでしょう。
1)スペイン王国
2)モンゴル帝国
3)大英帝国
答えは3)の大英帝国です。
そして、2)位が2のモンゴル帝国。
ちなみに、1)のスペイン王国はロシア帝国に続いて第4位です。
そんな史上第2位の広さを誇るモンゴル帝国で特に有名な2人の王様と言えば、
●フビライハーン
●チンギスハーン
この二人の似ている点ってどれだけ思い浮かべられます?
すぐ思いつきそうなものから、トリビア的なものまで5つ取りそろえました。
モンゴル帝国らしい個性というものがこれらに色濃く表れております。
ぜひ、その理解の助けとしてください。
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フビライハンとチンギスハンの似ている点5つ
① 呼び名
まず、呼び名が似ています。
二人とも「ハーン」。
「ハーン」の意味はもうお分かりかもしれません。
「皇帝」という意味です。
「ハン」や「カン」とも記されているものも散見されますが、こちらは誤りで「部族のボス(皇帝より格下)」のような意味です。
二人とも「国のボス」なので「皇帝」です。
② 同じ一族
フビライハーンはチンギスハーンの四男の四男です。
つまり、フビライハーンはチンギスハーンの孫です。
③ 下積み時代
実は二人とも下積み時代がなかなか過酷です。
まず、チンギスハーンはモンゴル帝国を建てた人。
いわゆる創業者です。
チンギスハーンのお父さんイェスゲイはモンゴル高原の有力な部族長でした。
ところが、イェスゲイがまだチンギスハーンが子供の時に亡くなってしまいました。
そのため、モンゴルの部族の多くがその後継ぎであるチンギスハーンの言うことを聞かなくなります。
生死すらあやうかった中で何とか成長し、だんだん周りに言うことを聞かせるようになってついには世界帝国のハンとまでなりました。
これに対し、フビライハーンはどうだったのでしょう。
フビライハーンにはたくさんの兄弟がおります。
一番上のお兄さんモンケはとても優秀です。
ハンにも即位しました。
しかし、同じく優秀な弟フビライを警戒。
モンケはフビライを
「南宋(当時中国南部にあった漢人系王朝)への戦い方で不審なところがある」
として指揮官をクビにしてしまいます。
まもなくモンケは病死。
すると今度は、アリクブケが「おれが正統な跡取りだろ」と名乗りを上げます。
アリクブケはフビライの父と正室との間にできた末の弟。
本来、モンゴルでは末の弟が跡を継ぎます。
フビライとアリクブケは主導権争いをしてフビライが勝利。
こうしてフビライは新たなハーンに即位します。
この壮絶な環境が
●ピンチにあっても動じない我慢強さ
●いろんな有能な人々が集まってくる人気
●次々と敵を打ちたおしてゆく勇猛さ
を育んだのでしょう。
④ 異民族への向き合い方
二人は反抗した敵に対してはとことん容赦がありません。
チンギスハーンは町ごと皆殺しというとんでもないことをします。
フビライハーンの軍は元寇において対馬(九州と朝鮮半島の間にある島)をおそった時、大量の住民をさらう、あるいは、虐殺(ぎゃくさつ)しました。
ただ、これは騎馬遊牧民族の特徴なのでしょうか。
いったん「仲間になる」となると、人種や宗教にかかわらず大事にします。
フビライハーン・チンギスハーンの部下は中国人・アラブ人・ヨーロッパ人・朝鮮人・女真人など、それはそれは様々です。
そして、彼ら民族の長所をうまく使いわけて、帝国の経営に役立たせます。
●イスラム系には財務や経済
●チベットにはチベット仏教や帝国内で共用できる独自文字開発
などというように。
そもそもモンゴル人たちは「自分たちが軍や放牧に特化していること」をかなり自覚しているのでしょう。
なので、自分たちの苦手なことはその手の得意な人たちにすんなり預けてしまう、そういった姿勢がいろんな人種や宗教をたばねる世界帝国には向いていたのでしょう。
⑤ 墓
そして、二人の共通点は墓のありかです。
実は、この二人の大王とも墓のありかがいまだにわかっておりません。
これは当時のモンゴル族の伝統として、墓のありかをわからなくしてしまうのです。
チンギスハーンのお葬式やら埋葬にかかわった人たちはみんな口封じのために殺されてしまったといわれます。
伝説では二人ともモンゴル高原の起輦谷というところに眠っているといわれております。
きょうのまとめ
① フビライハーンもチンギスハーンも厳しい下積み時代から成り上がった
② フビライハーンもチンギスハーンも歯向かう敵にはとことん容赦がないが、仲間になると人種や宗教にかかわりなく重用する
③ フビライハーンもチンギスハーンも墓の正確な場所がいまだにわからない
世界帝国とひとえに言ってもやり方は実に様々です。
大英帝国やスペイン王国などはわりと自国民や同じ宗教の人たちを大事にしました。
しかし、モンゴル帝国やオスマン帝国はおたがいに遊牧騎馬民族という共通点のためでしょうか、異民族や宗教の人々の個性を積極的に利用しようとします。
それぞれの個性、長所、短所、成りゆき、結果などを洗い出してゆくと、歴史はさらに立体的にせまってきます。
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