18世紀、ヨーロッパではイギリスとフランスが抜きんでて世界中で植民地を激しく奪い合っておりました。
しかし、彼らに負けてばかりはいられません。
プロシア王国(今のドイツ北部ポーランドあたりにあった国)の王様フリードリヒ2世は、
「私たちも近代化して強国の仲間入りをするんだ!」
と息巻き、見事それをなしとげました。
今の統一ドイツの礎となった重要人物。
ただし、いろんなものがとっても苦手。
あんなものも、こんなものも、Ahhhhh……!
繊細な彼をだれか助けてやってください。
フリードリヒ2世はどんな人?
- 出身地:ドイツのベルリン
- 生年月日:1712年1月24日
- 死亡年月日:1786年8月17日(享年74才)
- プロシアの啓蒙専制君主(絶対的権力を握りながら、国の目指す近代化の見本を国民たちに自ら示す君主。)。祖国の強大化に貢献。
フリードリヒ2世の年表
1712年(0才)フリードリヒ2世生まれる
1730年(18才)逃亡事件
1740年(28才)プロシア国王に即位。オーストリアを相手に第一次シュレジエン戦争を開始。
1756年(44才)七年戦争始まる
1763年(51才)七年戦争終わる
1772年(60才)第一次ポーランド分割で西プロイセン獲得
1778~79年(66~67年)オーストリアを相手にバイエルン継承戦争
1786年(74才)フリードリヒ2世亡くなる
DV父との激しすぎる少年時代
フリードリヒ2世はプロシアを強く豊かな国にした大王です。
じゃあ、若いころの彼がどんな青年だったかというと……。
とっても芸術系男子です。
フルートを吹いたり、本を読んで哲学を勉強したりするのが大好き!
ところが、それを許せない人がおります。
フリードリヒ2世の苦手その①
父、フリードリヒ・ヴィルヘルム1世です。
お父様は「芸術?ケッ、くそくらえ!」という人です。
お父様のお父様が芸術家肌。
自分がとても体育会系肌だったのを全然理解してくれなかったので、その反動はかなり大きそうですね。
息子フリードリヒ2世には
「そんな軟弱なものはするな!」
とツエでフリードリヒ2世少年の体をたたきまくります。
お母さんは芸術家肌だから守ってくれるのですが。
……。
!
しまいに、フリードリヒ2世は
「こんな家出て行ってやる」
と本当に出て行ってしまいます。
ところが、すぐに捕まって連れ戻され、正直、お父様がかなり危険な状態になっておりました。
お父様はフリードリヒ2世といっしょに計画したフリードリヒ2世の側近カッテ少尉を裁判にかけてしまいます。
そして、判決は強引にも死刑に。
さらに、お父様はカッテ死刑の現場をフリードリヒ2世に見せつけ、フリードリヒ2世はショックのあまり失神してしまいました。
……。
列強との激闘
ところが、これをきっかけにフリードリヒ2世はビシッと「強い国王」を目指し始めます。
お父様も
「もうだいじょうぶだ。あいつならちゃんとやってくれる」
と亡くなり、フリードリヒ2世があとを継ぎました。
そんな矢先、オーストリアの王様カール6世も亡くなり、フリードリヒ2世はプロシア国王として早速とんでもない行動をとります。
カール6世との約束を破って攻め込み、オーストリアからシュレジエン地方を取り上げてしまいました。
腹が立って収まらないのはオーストリアの女帝に立ったばかりのマリア・テレジアです。
マリア・テレジアはやがて、フランス・ロシアの女性リーダーらと
「あのクズ男をやっつけろ!」
とばかりに語らって同盟を結び、ほかの国まで取り込んでおおいにやりかえしてきました。
七年戦争。
この時、フリードリヒ2世はかなり追いつめられ、自殺すら覚悟しました。
フリードリヒ2世の苦手その②
女性です。
彼女はそもそも女性に興味がありません。
しかも、この危うい仕打ち(原因は思いっきり彼自身にあるんですが)。
トラウマになったかも……。
ところが、運よくロシアの女帝が亡くなったりして、プロシアは国土をきっちり守りぬかれます。
きょうのまとめ
「国王は国家第一のしもべ」
これぞ啓蒙専制君主!という心意気です。
弱気も道徳もうち捨てて、合理主義に突き進みました。
おかげでプロシアはヨーロッパ指折りの強国にのし上がりました。
あっちでカッテ少尉も笑って待っていてくれたのでしょうか。
ただし、なんでも国が強引に囲いこんでしまうやり方に、違和感をちょっと感じるのは私だけでしょうか。
その後ドイツが歩む第一次世界大戦・第二次世界大戦への歴史をにおわせます。
まあ、彼の後の世界史自体がそんな「国民国家を目指そう!」という風になっていくんですが。
① フリードリヒ2世はお父さんによるDVが強烈すぎて家出したことがある
② フリードリヒ2世はオーストリアとの約束を破って攻め込み、きっちり敵の領土の一部を自分たちのものにした
③ フリードリヒ2世は女性が苦手
ちなみに、フリードリヒ2世はフルートがとっても上手でした。
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