松尾芭蕉とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

俳句。

17音にとぎすまされた宇宙。

旅に生き、旅に亡くなったある一人の求道者の足跡をここにたどってまいりましょう。

俳聖、松尾芭蕉まつおばしょう

 

松尾芭蕉はどんな人?

プロフィール
松尾芭蕉

松尾芭蕉
出典:Wikipedia

  • 出身地:伊賀国(今の三重県伊賀市)
  • 生年月日:1644年
  • 死亡年月日:1694年(享年50才)
  • 江戸時代前期の俳諧の大成者

 

松尾芭蕉の年表

年表

1644年(0才)松尾芭蕉、農民松尾与左衛門の子として生まれる

1662年(18才)芭蕉、津藩藤堂家侍大将藤堂良忠の家臣となる。良忠とともに京都の北村季吟に弟子入りし、俳諧を始める。

1666年(22才)藤堂良忠亡くなり、芭蕉致仕ちし(お勤めを辞めること)

1672年(28才)芭蕉、北村季吟より『俳諧埋木』を伝授され卒業し、江戸へ下る

1684年(40才)芭蕉、『野ざらし紀行』の旅に出る

1687年(43才)芭蕉、『笈の小文おいのこぶみ』の旅に出る

1688年(44才)芭蕉、『更科紀行さらしなきこう』の旅に出る

1689年(45才)芭蕉、『奥の細道』の旅に出る

1694年(50才)芭蕉亡くなる

 

『奥の細道』と松尾芭蕉の名句

まずは松尾芭蕉の代表作『奥の細道』から彼の名句の数々をご覧いただきましょう。

「草の戸も 住み替わる代ぞ 雛(かり)の家」

草の戸も 住み替わる代ぞ かりの家

わたしのこのごくつましい家も、

住人の替わる時がやってきましたね。

ここに住むだろう新しいご主人様は

ひな人形でもかざるのかな。

「行く春や 鳥啼魚(とりなきうお)の 目は泪(なみだ)」

行く春や 鳥啼魚とりなきうおの 目はなみだ

この春も行こうとしているね。

どこからとウグイスは鳴き、

川に泳ぐ魚の目からも涙がこぼれているようだよ

「夏草や 兵(つわもの)どもが 夢のあと」

夏草や つわものどもが 夢のあと

生い茂る夏草よ。

かつて、ここで戦った武者たちもみな、夢のあとだよ。

「閑(しずか)さや 岩にしみ入る 蝉(せみ)の聲(こえ)」

しずかさや 岩にしみ入る 蝉のこえ

後世に夏目漱石の弟子と斎藤茂吉が、句中の蝉の種類をめぐって論争を引き起こしました。

彼らの結論は

「ニイニイゼミ」

だそうです。

「五月雨を あつめて早し 最上(もがみ)川」

五月雨を あつめて早し 最上川

最上川といえば、東北を代表する急流です。

しかも、この梅雨時ですから……。

「荒海や 佐渡によこたふ 天の河」

荒海や 佐渡によこたふ 天の河

季節は七夕です。

荒海の波音。

この夜闇の彼方にはあるはずの佐渡島

そんな広大な自然のキャンバスに、

おしげもなく横たえるのは、

無数の星々さんざめく天の川。

「むざんやな 甲(かぶと)の下の きりぎりす」

むざんやな かぶとの下の きりぎりす

芭蕉は『源平合戦』の折、

ここで戦い散っていった平家方の老将斎藤実盛の形見の兜を目の当たりにし、

その下で鳴くキリギリス(今でいうコオロギ)は実盛の霊かもしれない

と、いたんでおります。

関連記事 >>>> 「「閑さや~」松尾芭蕉の俳句で知られる山寺とセミの声論争」

 

松尾芭蕉の弟子河合曾良(そら)

松尾芭蕉には弟子がたくさんおりますが、

その中にただ一人だけ

『奥の細道』

の長い道中を付きしたがった男がおります。

河合曾良です。

曾良は普段の暮らしから芭蕉の身の回りをかいがいしく世話し、

『奥の細道』においては、

持ち前の地理や歴史などの豊富な知識や、

旅費や日記付けなどのものすごくきっちりした管理によって、

芭蕉の旅を縁の下から支えました。

曾良は
この旅の途中で病にかかり、

やむなく単身リタイヤしてしまいますが、

旅の最終目的地”大垣”へと師に先んじて入り、

ほかの弟子たちといっしょに師のやってくるのをむかえ、ねぎらいました。

その後、師の死に目に立ち会うことは残念ながらできませんでしたが、

曾良自身は九州への”旅先”の壱岐島で、その生涯を閉じました。

「旅に生き、旅に死す」

まさに師の生き方とともにあった最期ではないでしょうか。

関連記事 >>>> 「松尾芭蕉、名俳句とともにたどる『奥の細道』」

関連記事 >>>> 「松尾芭蕉の弟子河合曾良(かわいそら)は師匠になくてはならない縁の下の力持ち!」

 

きょうのまとめ

松尾芭蕉という人は

ほかにも

男色家だった

とか

忍者だった

とか

いろんな仮説やエピソードが語られております。

いわゆるふつうの人ではない生涯を送った方なので、

そういったいろんなお話が出てくるのも自然なことでしょう。

ただ私、

今回、

江戸時代の多くの文化人の記事執筆をさせてもらって思うことは、

この時代、

意外と多種多様な文化と人材を生んだふところの深い時代ですね。

① 松尾芭蕉の代表作『奥の細道』には素晴らしい名句が盛りだくさん!もちろん、ここに書かれていないところにも……

② 松尾芭蕉の弟子の一人河合曾良は『奥の細道』における芭蕉ただ一人の付き人であり、その最期は旅の中にあった

③ 松尾芭蕉はここに語られるほかにも、”男色家””忍者”など、いろんな憶測やエピソードがある

いかがだったでしょうか。

この人はその暮らしにおいても、

清貧をモットーとしました。

そぎ落とす。

あるいは、

しぼりこむ。

そうしてしあがった

ほんのかすかなるものから豊かに広がる宇宙を体現しようとした偉大なる芸術家の業績は、

いまやはるか海を越えた彼方にまで知れ渡ろうとしております。

最後に、
彼の死のまぎわに残した名句を。

「旅に病んで 夢は枯野かれのを かけまわる」

関連記事 >>>> 「松島や~」の句は松尾芭蕉作ではありません!その真相と古来の名勝松島の歴史」

 

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