マルチン・ルターはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

この時代はどこか日本の幕末を思わせます。

というのも“現実主義者(井伊直弼や島津斉興など)”と“理想主義者(坂本龍馬や高杉晋作など)”とのぬきさしならぬ、すれちがい。

そこに農民や商人、諸侯といった、世間それぞれのいろんな現実がからみあい、時代を大きく動かしてゆきます。

ローマカトリック教会vsプロテスタント運動家

さあ今回は、“中世ヨーロッパの宗教志士”マルチン・ルターを紹介してまいりましょう。

 

マルチン・ルターはどんな人

プロフィール
マルチン・ルター

ルーカス・クラナッハ画(1529年)
出典:Wikipedia

  • 出身地:ドイツ・ザクセン州アイスレーベン
  • 生年月日:1483年11月10日
  • 死亡年月日:1546年2月18日(享年62才)
  • ヨーロッパ宗教改革の旗振り役。キリスト教ルター派を創設。

 

マルチン・ルターの年表

年表

1483年(0才)マルチン・ルター生まれる

1501年(17才)エルフルトの大学文学部に入学

1505年(21才)アウグスチノ会修道士となる

1508年(24才)ヴィッテンベルグ大学の教授になる

1510年(27才)ローマに向かう

1517年(33才)『95箇条の論題』を発表

1521年(37才)破門。ヴォルムス帝国会議。賢公フリードリヒ3世にかくまわれる。

1524~25年(40前後)ドイツ農民戦争

1534年(50才)ドイツ語旧約聖書完成させる

1546年(62才)マルチン・ルター亡くなる

 

マルチン・ルターの生涯

マルチン・ルターの生い立ち

宗教改革の先駆けとなったヤン・フスやジョン・ウィクリフなどは高野長英や吉田松陰などをオーバーラップさせると、わかりやすいかもしれません。

ヤン・フスが火刑で亡くなって70年近く後、マルチン・ルターは貧しい鉱夫(農夫説もあり)の次男として生を受けました。

しかし、マルチン・ルターの父はかなりのしっかり者。

そんな苦しい身の上からでも資金をコツコツ貯め、事業を興し成功します。

すると、子に求めるのは安定した社会的成功

父も、ついた先生も、暴力ありありのスパルタ教育バリバリ。

しかも、マルチン・ルターはもともととても繊細で凝り性な性格なのに……。

彼がやたら自己評価低く成長してしまった原因は多分ここでしょう。

マルチン・ルターの悟り

父はマルチン・ルターに法律家をやらせる気満々。

でも、マルチン・ルターは雷に打たれ、死にそうになった経験から、急にプロテスト(反抗)。

「オレは修道士になります!」

こうしてアウグスチノ会に入会したマルチン・ルターはだれよりも率先して厳しい修行に日々明け暮れます。

それでも「どうせオレなんか、神に恵んでもらえないんだ」とさいなまれ続けるマルチン・ルター。

しかし、ある時、

「神は“行い”じゃなくて“信仰”を見ているんだな」

という悟りに当たり、運命は大きく変わります。

「なら、神が恵みをお金で売り買いするはずがない(※)!」

(※)当時、ローマ・カトリック教会は「買えば天国に行ける」贖宥状なる超便利グッズを手当たり次第に売りさばき、資金集めに奔走しておりました。

こうして、今までうさんくさいとは思ってはいた、当時ローマカトリック教会の俗世丸出し路線に堂々プロテストするようになります

(ローマ教皇レオ10世・富豪メディチ家出身「わからんか。我々のやり方がもっとも多くの者たちが神の恵みに浴せる方法なのだ。」)。

ルター「神は花々しい飾りやブランドを求めてらっしゃるのではない。聖書に書かれている原点に立ち返ることこそが大事なことなのだ!」

こうして書き上げた『95箇条の論題』を教会の門に貼り付けると、世にとんでもない波紋はもんを呼びます。

時代の流れとマルチン・ルター

ちょうど時代が「ローマカトリック教会なにやってんだ」という風潮でした。

あの手この手で税金をむしり取り、それでいてその存在感はビミョー

(ルター「私自身はじめてローマにおもむいた時、ショックでした。宗教商法を町ぐるみでやりたい放題。キリストはああいうのを罰しようとして十字架にかけられたはずでは?」)。

もうマルチン・ルターの理想は彼一人のものではありません。

カルヴァンやエラスムスなど、いろんなタイプのイノベーターと影響をあたえあいます。

農民たちはルターの教えをよりどころに、レジスタンス戦争を引き起こし。

さらに諸侯などの思惑まで入り乱れ……。

ただ、ルターはこういう熱情主義的な動きに対して疑わしい思いもいだいておりました。

やたらと暴力に訴える農民戦争には反対を唱えるようになります。

一方で、「だれにでもわかるように」と、わかりやすい言葉で人々に教え伝えるよう努め、それが今のルター派の盛んなのにもつながっているでしょう。

 

きょうのまとめ

① マルチン・ルターは若いころとても自己評価が低かった

② マルチン・ルターは「神は“信仰”に恵みをくださる」という悟りから、ローマ・カトリック教会にも堂々プロテストするようになった

③ マルチン・ルターの思惑とは裏腹に、彼が世に投じたさざ波はいよいよ大きなうねりとなっていった

 

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