日本を代表する詩人・北原白秋の破天荒エピソードを紹介!

 

『雨降り』『この道』『待ちぼうけ』…教科書でもおなじみの童謡の作者として知られる

北原白秋きたはらはくしゅう

明治~昭和初期にかけて多様な詩歌を残し、日本を代表する詩人と名高い人物です。

一度聴けば耳に残って忘れない節回しの数々は見事としか言いようがありません。

そしてやっぱりそこまでの才人となると、性分も普通の人とは違うよう。

白秋はちょっとびっくりしてしまう破天荒なエピソードをたくさんもっています。

今回はそんなエピソードの数々を通じて、白秋の興味深い人物像を覗いてしまいましょう!

 

北原白秋の破天荒エピソード①生涯3回の結婚

白秋は生涯で3回結婚しています。

当時は大正という、日本に「離婚なんてけしからん!」という風潮もかなり浸透していた頃合い。

現代の感覚にしても少し多いですが、当時として生涯に3回というのは珍しいです。

しかしそんなことより注目すべきは、白秋がいずれもちょっぴりマズイ理由で離婚をしているということでしょう。

不倫の末の結婚…でもすぐ離婚

たとえば一人目の奥さん、俊子はそもそも人妻で、白秋は彼女と不倫をして姦通罪に問われ、投獄されています(戦後まで不倫は普通に逮捕される重罪でした)。

その後、弟たちの尽力でなんとか出所し、俊子とは結婚するのですが…翌年には離婚。

俊子が白秋の両親とうまくいかなかったとのことですが…不倫の末の結婚ですから、そりゃあね…という感じです。

贅沢癖が災いして離婚

俊子と別れた2年後の1916年には、二人目の奥さん、章子あきこと結婚しますが、この人とも4年の夫婦生活の末、離婚しています。

この理由もまあ酷くて…

白秋が新築祝いに、芸者を呼んで贅沢三昧の宴会を開く

貧乏な時代に援助していた弟たちが「俺たちはこんなことのために援助していたんじゃない!」と激怒し、妻の章子を責める

嫌になった章子が家を飛び出し、白秋が不倫を疑って離縁

という流れです。

この時期、白秋は児童書作家の鈴木三重吉みえきちの誘いで童謡を作るようになり、その名も世間に知られ始めて、ようやく貧乏を抜け出せたころでした。

要するに実入りがよくなったはずなのに、貧乏な時代を支えてくれた弟たちに恩を返す気がさらさらなかった…ということですね。

そもそも章子も自分の着物を売るなどして、白秋の貧乏時代を支えていたといいます。

それなのに弟たちから贅沢するなと責められるわ、白秋からは不倫を疑われるわ…もう踏んだり蹴ったりじゃないですか。

めっちゃ可哀想…。

ちなみに三人目の奥さん、菊子は1921年~晩年の1942年まで添い遂げています。

一度目、二度目の離婚はかなり勝手な理由ですし。

20年も支えた菊子さん、大変だっただろうな~。

 

北原白秋の破天荒エピソード②超大酒呑み!

白秋は実家が酒造だったこともあってか、お酒にまつわるエピソードもいくつか残しています。

身内だけで酒樽を空けてしまう

ひとつめは1941年に白秋が「福岡日日新聞文化賞」を受賞したときに、酒樽を門下生と一緒に飲み干してしまったというもの。

酒樽の容量は少なく見積もっても18リットル。

枡で数えると150杯分です。

その場に門下生が何人いたかはわかりませんが、常人が飲み干せる量ではないですよね…。

ちなみにこのとき飲んだお酒は、白秋の姉の嫁ぎ先の酒造「薩摩屋」が作っている「菊美人」というお酒で、銘柄名は白秋が考えました。

偶然かもしれませんが、妻の菊子さんの名前も入っていますね。

仕事をサボって飲み歩き

1935年のこと、白秋は茨城県水戸市から、市歌の作詞を依頼されます。

しかしこのときの白秋の仕事ぶりは相当に奔放なもので、作詞のために水戸市にやってきたはずなのに、ろくに手をつける様子がなく、毎晩飲み歩いていたというのです。

その様子に「どうなってるんだ!」と憤慨する水戸市役員のみなさん。

しかしこの北原白秋という男、やっぱりただの飲んだくれではありません。

かなり頭に来ていた役員たちですが、ある日、白秋が完成した市歌を提出すると、見事過ぎて何も文句を言えなくなってしまったというのです。

どれだけ飲み歩いてサボっているように見えても、与えられた仕事は完璧にこなす!

ただ飲み歩いているように見えて、白秋は水戸市の情報を集めていたのかもしれません。

 

北原白秋の破天荒エピソード③ケンカっ早い

白秋はプライドがとても高い人で、仕事相手と衝突してしまうことがけっこうあります。

まず彼が詩人としての地位を手にできたのは、1918年に鈴木三重吉に誘われ、雑誌『赤い鳥』にて、童謡を担当したことがきっかけです。

しかし三重吉とは仕事上の価値観が合わず、衝突の結果、1931年に関係を断っています。

ふたつめの有名な話だと、白秋は文藝春秋の創始者・菊池寛とも大ゲンカをしたことがありました。

1927年3月27日のこと、白秋の弟・北原鉄雄が経営する出版社アルスが『日本児童文庫』という書籍の発売を新聞紙面にて発表。

当時の文学界には子ども向けの企画が少なく、アルスが発表したこれは時代柄、斬新なアイデアでした。

しかしなぜかこれと同日、同じ紙面上に菊池寛率いる興文社の『小学生全集』という書籍の発売が発表されたのです。

弟が打ち立てた企画は時代の流れを逆手に取ったもので、類似の書籍が同時期に出るなんて偶然はあり得ない。

そう感じた白秋は激怒し、

白秋
私は怒っているぞ!菊池寛、お前何様だよ!

とケンカを吹っ掛けるのです。

種を明かせば、両社と通じていた広告代理店・博報堂から情報が伝わってしまったとのこと。

しかしそもそも寛としても、小学生全集の出版は兼ねてから考えていたものでした。

アルスの日本児童文庫とは時期を合わせただけで、完全なパクリではありません。

事態は裁判にまで発展しましたが、結局不起訴となりどちらも発売されているので、これに関してはケンカ両成敗で終わった…と捉えていいでしょう。

菊池寛との一件は仕方ないようにも感じますが、こんな感じで白秋はよく揉め事を起こすトラブルメイカーでもあったのです。

 

きょうのまとめ

素晴らしい詩歌をたくさん残している北原白秋ですが、その人物像は破天荒そのもの。

まさに「感情のまま生きている」と感じさせるエピソードの目白押しでした!

最後に今回のまとめです。

① 生涯3回の結婚には少々難あり。一度目は不倫・二度目は贅沢癖が原因で離婚している。

② 北原白秋は大酒飲みで、酒樽も身内だけで飲み干す。水戸市の市歌を依頼された際も、仕事そっちのけで飲み歩いていた。

③ 恩人の鈴木三重吉とはケンカ別れ。菊池寛とも大ゲンカ。

自身の思うままに、奔放に生きた白秋。

素晴らしい作品の数々は、自分の感情に正直なその感受性から生まれたものだったのでしょう。

 

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