江戸時代の浮世絵師といえば、まず一番に名前が上がる
葛飾北斎。
富士山をさまざまな視点から描いた『富嶽三十六景』などの作品が、世界的に評価される天才絵師です。
そして北斎には、その才能を受け継ぐ娘・葛飾応為がいました。
応為はそもそもそれほど知られた絵師ではありませんでしたが、2017年にNHKドラマ『眩~北斎の娘~』の題材となったことでその存在を知った人も多いでしょう。
彼女が父親ゆずりの腕をもっていたことにも興味を惹かれますが、ふたりの親子関係にしても、また非常にユニークなんです!
今回はそんな北斎と応為について、いくつか逸話を紹介していきましょう。
葛飾北斎の年表を含む【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
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三女・応為
父・北斎の血を引く天才
北斎は生涯に二度の結婚をしており、男2人に女4人の子を残しました。
そのうち二度目の結婚で生まれた三女が応為で、晩年まで北斎と共に暮らした唯一の家族でもあります。
本名はお栄といい、応為は画号。
その由来は北斎の画号のひとつであった為一から、「為一に応える」という意味で付けられたとも、北斎が彼女を呼ぶときに「おーい」と呼んでいたからだともいわれます。
後者は適当すぎる気がしますが…現代でもふざけたペンネームを使うマンガ家先生はいますし…それと同じような感覚なのかも?
北斎がそうであったように、応為は幼少から絵を描くことが好きで、なんと10歳のころには北斎の著書『狂歌国尽』にも挿絵が採用されるなど、その才能を認められています。
主に美人画・春画・枕絵などを得意とし、その腕前は北斎でさえ
などと言い出すほど。
女性らしい繊細さが突出した作品が多く、豪快な作風が売りの北斎とはまた別のオリジナリティをもっていました。
影武者であり続けた応為。自作を名乗った作品は10点ほどしかない?
応為は北斎の晩年、20年ほどの間、いわゆるアシスタントのような役回りを担っていました。
そして北斎が88歳で亡くなるとその数年後には出家して尼さんになっているため、自身名義の作品はわずか10作品ほどしかありません。
類まれな才能をもつ彼女の存在を知る人が少なかったのは、長年、飽くまでも北斎を影で支える存在だったからなのです。
応為の作品でも版元(出版社のようなもの)の意向で、北斎作として売り出すことも多かったといいます。
江戸時代の浮世絵界って、意外とビジネスっ気があったんですね…。
そんな数少ない応為の作品で特に有名なものは明暗の使い分けが見事な『吉原格子先之図』や、暗闇に浮かび上がる女性が華やかな『夜桜美人図』など。
鮮やかな光の表現が特徴といえます。
またアメリカのボストン美術館やクリーブランド美術館にも応為の作品は飾られており、海外人気が高いのも父親ゆずりです。
男勝りでズボラな性格も父親ゆずり
北斎が生涯に93回も引っ越しを行った話は有名ですが、その理由のひとつはズボラで片付けられない性格にあります。
とにかく絵を描くことに夢中で掃除をせず、家がゴミ屋敷になってしまうため、仕方なく引っ越しをすることがあったのだとか。
そしてゴミ屋敷になってしまうのは、一緒に暮らしていた応為も同じくズボラだったからです。
また北斎は酒やタバコはやりませんでしたが、応為は酒もタバコも大好きで、まるで男のような性格。
一度、北斎の作品にタバコの火種を落としてしまったことがあるといい、その際は禁煙を誓ったものの、すぐにまた吸うようになっていたといいます。中毒っぷりもいかにも男っぽい…。
また化粧もろくにしなかったのでしょう。
アゴの出っ張った不細工な見た目から北斎に「アゴ」などというニックネームで呼ばれることも。
どんな呼ばれ方をしても応為は気にしなかったのでしょうね…。
無遠慮な性格が離婚の原因にも…
北斎が亡くなるまで共に暮らした応為も、実は一度だけ結婚して家を出たことがありました。
なかなか貰い手がつかない娘を心配した北斎の伝手で、町絵師の堤等明の元に嫁に行ったのです。
しかしこの結婚生活でも男勝りで無遠慮な性格は炸裂します。
応為は絵を描くことに夢中でろくに家事もしないどころか、夫の絵が自分より下手だと指さして笑いだす始末。
…夫婦仲が上手くいくはずもありません。
これによって等明に離婚を申し立てられ、応為は結局北斎の元へ舞い戻ることになるのです。
…まあ、結婚だなんだというより、北斎の元で絵を描き続ける人生のほうが彼女にとっては幸せだったでしょう。
きょうのまとめ
葛飾北斎には応為という、自身の才能にも迫る実力をもった天才的な娘がいました。
その変人っぷりもしっかり受け継いでおり、この親にしてこの子ありという言葉がよく似合う親子です。
最後に今回のまとめをしておきましょう。
① 葛飾応為は北斎の血を引く天才絵師。美人画なら北斎以上の実力をもっていた
② ほとんどが父親の影武者だったため、応為名義の作品は10作品ほどしかない
③ 絵以外には興味がなく、ズボラで男勝り。その性格が離婚の原因にも…
応為が側で支え続けたことも、北斎が世界的な功績を残せた理由のひとつです。
北斎の絵が好きだという人はぜひ、太田記念美術館や東京国立博物館などで、応為の作品にも触れてみてはいかがでしょうか。
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