ガウスとはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

ドイツが生んだ偉大な数学者、

ヨハン・カール・フリードリヒ・ガウス

人類史上最強の数学者とされる彼の功績は、近代以降の数学でほぼすべての分野に影響を与えているとも言われています。

ガウスとは一体どのような人物だったのでしょうか。

今回はその生涯について、功績と共に探っていきましょう。

 

ガウスはどんな人?

プロフィール
ガウス

Christian Albrecht Jensen による肖像画
出典:Wikipedia

  • 出身地:ドイツ ブラウンシュヴァイク
  • 生年月日:1777年4月30日
  • 死亡年月日:1855年2月23日(享年77歳)
  • ドイツの数学者、物理学者、天文学者。「数学の大天才」、「数学王」

 

ガウス 年表

年表

西暦(年齢)

1777年(0歳)ドイツのブラウンシュヴァイクでレンガ職人の家庭に誕生。

1792年(15歳)「素数定理」の成立を予想。

1795年(18歳)ゲッティンゲン大学に入学。「最小二乗法」を発見。

1796年(19歳)「平方余剰の相互法則」を証明。定規とコンパスのみで正十七角形の作図が可能なことを発見。

1799年(22歳)「代数学の基本定理」を証明。

1801年(24歳)『整数論の研究』を出版。「円周等分多項式」の研究。

1807年(30歳)ゲッティンゲンの天文台長に就任。以後40年務める。

1809年(32歳)『天体運行論』を出版。

1811年(34歳)「複素積分」、「ガウス平面(複素数平面)」を発表。

1827年(50歳)『曲面の研究』を出版。「微分幾何学」を創始。

1855年(77歳)ゲッティンゲンで死去。

 

ガウスの生涯

ここからは早速、ガウスの功績や生涯について見ていきましょう。

突如誕生した天才

現在でも右に出る者がいないとされているほどの大数学者である、ガウス。

その才能は幼い頃から既に発揮されており、諸説ありますが少なくとも2歳~6歳までには両親を驚嘆させる大人顔負けの数学的才能を見せています。

そんなガウスですが、レンガ職人の家に生まれたこともあり、ギムナジウム(現在の中学)に通うことすら容易ではありませんでした。

しかし、職人に教育は必要ないと考えていた父親をガウスの才能を見込んだ教師が説得し、大学へは奨学金を借りることでなんとか学問の道へと進めることになりました。

15歳で「素数定理」を予想し、19歳の時にはコンパスと定規のみ正十七角形を作図できることに気づきます。

ちなみにコンパスと定規で作図可能な正多角形が新たに増えたのは、古代ギリシア時代以来のことです。

ごく一般的なレンガ職人の家庭に誕生したガウスは、十代にして既に後の数学王としての頭角を現していたのです。

隠されていた功績

そんなガウスでしたが、実は生前に発表した発見はごく一部にすぎませんでした。

当時、数学者として生計を立てている人物はほとんどおらず、彼自身も数学はあくまで個人的な趣味だったのです。

また、彼の才能を妬む人々からの批判を避ける目的もあり、ガウスが証明したものは手記や友人宛の手紙などに書かれ、長年保管されてきました。

生前から「彼は何か隠している」と言われてきたガウスでしたが、その功績の全貌が世に出たのは、彼の死後数十年経ってからのこと。

次々に出てきたその遺稿はなんと、当時ようやく証明された数々の公式たちが、ガウス一人によってとっくに証明されていたことを裏付けるものたちばかりなのでした。

その内容の秀逸さは遺稿整理に携わった数学者たちの想像をはるかに上回り、ただただ驚嘆させるばかりでした。

もしガウスがそれらの発見を生前にひとつひとつ全て行っていれば、数学の歴史は50年早く進んでいたとも言われています。

ガウス自身、数学が世の中にそれほど役立つとは考えていなかったことがうかがえます。

「ガウス」にちなんだ用語

ここで、ガウスの名にちなんで名づけられた、数学や磁気学における定理法則をいくつかご紹介します。

・ガウス平面
・ガウス記号
・ガウス整数
・ガウス関数
・ガウス曲率
・ガウスの定理
・ガウスの法則
・ガウス・ボンネの定理
・ガウス=ザイデル法
・ガウス(磁束密度の単位)  etc…

他にもまだまだありますが、これだけでも彼がいかに多くの発見をし、後世の数学及び理系分野に影響を与えたかがお分かりいただけると思います。

最後に至っては、そのまま単位の名前になっているくらいですからね。

理系とは縁遠い方でも、名前は聞いたことがあるという方も多いのではないでしょうか。

天文学者としての顔

数学者としての功績が大きく目立つガウスですが、彼は天文学者としても重要な功績を遺しています。

1801年、彼が24歳の時に発見された

・小惑星ケレス

・第2の小惑星パラス

この2つの軌道決定とその軌道決定理論を発表したことは、彼の天文学者としての大きな業績です。

その後、30歳の時にゲッティンゲンにある天文台の天文台長に就任した彼は、以後40年以上にわたってその職を務めました。

天文学者としての彼もまた研究熱心であり、発見されたばかりの海王星を探すため、よく望遠鏡を覗いていたというエピソードもあります。

さらに彼の業績の範囲は測地学、地磁気学にまで及んでおり、いずれも重要な研究成果を遺しました。

 

ガウスにまつわるエピソード

ここでは、ガウスの人物像にもう少し迫ったエピソードをご紹介していきます。

数学か言語か

大学に入学した当時、既に数学的な才能を遺憾なく発揮していたガウス。

しかし彼はこの時、数学と同じくらい言語にも興味を持っていて、将来は数学者か言語学者かと迷っていました。

その後に数学者の方を選んでからも、毎日時間を見つけては外国語を勉強する習慣を持ち、根っからの知的好奇心旺盛な勉強家であったことが分ります。

ガウスによる犠牲者

生前から既にその才能が有名だったガウスでしたが、彼は大学などの教育機関で教鞭を執ることにはあまり熱心ではありませんでした。

彼にとっては、見込みのない学生に教えることは時間の無駄というわけです。

しかし彼は、学者の発表した論文の書評も行っています。

有名なエピソードとしては、ゼーバーという学者の話があります。

その学者は、ある数学の問題を証明するために250ページ近くある論文を書きましたが、結局途中までしか証明できずに発表しました。

この論文に対し、ガウスはこの無名の学者の説を完成させることを宣言し、40行ほどの計算式を書いただけで完璧にそれを成し遂げてしまったのです。

当時書評は匿名で行うものでガウスの名は出ていませんでしたが、これほどの天才は彼以外に存在しなかったため、すぐにばれてしまいました。

そして気の毒にも無名な学者だったゼーバーは、「ガウスのかませ犬」として有名になってしまったのでした。

 

きょうのまとめ

今回はドイツが生んだ数学の大天才、ガウスについてその生涯を功績と共にご紹介してきました。

いかがでしたでしょうか。

最後に、ガウスとはどのような人物だったのか簡単にまとめると

① ドイツ出身の数学者、物理学者、天文学者。

② 近代以降の数学における、あらゆる分野に影響を与えた数学の大天才。

③ 実は生前は天文学長という肩書で過ごしており、数学は趣味の一環だった。

好きが高じて数々の大発見を遺したガウス。

しかしその功績が後の数学的分野にこれほどまでに大きな影響を与えることになるとは、本人は予想もしていなかったというから驚きです。

名誉を得ることよりも、純粋に探究することに打ち込んでいた姿勢こそ、彼が大天才と呼ばれるにふさわしい所以なのかもしれませんね。

 

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