古代イスラエル第2代の王として、エルサレムに都を築き、国を大きく繁栄に導いた
ダビデ。
彼は数々の戦に勝利し、最終的にイスラエル全域へその領土を拡大。
政治面でも中央集権国家の確立などで、次代へと続く基礎を作っていきました。
このように王としては華々しい経歴を持っているダビデですが、実際のところどんな人だったのでしょう。
今回は彼の生涯を通して、その人物像に迫っていきます。
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ダビデはどんな人?
- 出身地:ベツレヘム(パレスチナ)
- 生年月日:紀元前1040年
- 死亡年月日:紀元前971年(享年70歳)
- 古代イスラエルの王となり、エルサレムに都を築く。中央集権国家の確立、軍事力の強化などで国を繁栄に導いた
ダビデ 年表
西暦(年齢)
前1040年(1歳)ユダ地方のベツレヘムにて、羊飼いのエッサイの息子として生まれる。
前1027年(13歳)悪霊に憑かれたサウル王を癒す目的で、竪琴の名手として雇われる。
前1021年(19歳)ペシリテ人の勇者ゴリアテを討ち、一躍名声を上げる。このときサウルの娘・ミカルと結婚する。
前1020年~前1010年(20~30歳)ダビデの人気に嫉妬したサウルに命を狙われ、逃亡生活を強いられる。
前1010年(30歳)サウルが死亡したことにより、ダビデがユダ地方の王に即位する。
前1003年(37歳)ペシリテ人からエルサレムを奪還し、イスラエルの王となる。
前998年(42歳)ペシリテ戦争にて、長年の宿敵だったペシリテ人に勝利。イスラエル全域を手中に収める。
前993年(47歳)中央集権君主制の確立や、傭兵部隊の強化で王国を繁栄へ導く。
前990年(50歳)この頃から子供を儲け始め、合計11人の子を含む家族での生活が始まる。三男アブサロムの謀反などに苦しめられた。
971年(70歳)四男アドニヤが王位を狙って反乱を起こす。これによりソロモンに王位を継承。その後老衰によって生涯を終える。
ダビデの逃亡生活
紀元前1003年、晴れてイスラエルの王となったダビデですが、そこまでの道のりは決して易しいものではありませんでした。
前王のサウルに仕えたものの、その人気から目の敵にされてしまい、なんと10年以上も逃亡生活を強いられていたのです。
その期間のダビデの行いを見てみると、王の華々しさとはかけ離れた、泥をすするような日々だったことが伝わってきます。
祭司アビメレクに嘘をつく
サウルから逃れたダビデは、空腹を満たすため、祭司アビメレクを頼ります。
しかし王の従者であるはずのダビデが、一人でやってきたことに対して、アビメレクは不信感を抱きました。
そこでダビデは「王から命じたことを誰にも気付かれるなといわれていて、他の者とは後で合流することになっている」と、とっさに嘘をついたのです。
これを信用したアビメレクはダビデに食料や、出向く先のことを考えて武器を与えました。
後にサウルにそのことが知られてしまい、アビメレクは死罪に、なんと一族まで滅ぼされることになったのです。
ダビデがアビメレクを騙したことで多くの犠牲者が出たとし、このことは彼の数少ない失態として数えられています。
ガドへの亡命が失敗すると狂人の振りをして逃げた
ダビデはサウルと敵対する国の王なら、かくまってくれるかもしれないと思い、ガド国を訪ねました。
しかしサウルの部下だとバレてしまい、亡命する前に捕えられてしまいます。
そのまま王の前に突き出されたダビデでしたが、その危機を脱するべく、気が狂ったふりをしたのです。
よだれを垂らしたり、扉を掻きむしったり…とても次代の王とは思えない、プライドを捨てた装い。
アキシュ王はこれを見ると「こんな頭のおかしい男を私の家に入れようというのか」と、拒みました。
これを経てダビデは無事ガド国から逃げることに成功したのです。
洞窟で暮らすダビデの元には400もの人が集まった
ガド国から逃げたダビデは、洞窟の中に身を隠して暮らすようになります。
するとその噂を聞き付け、ダビデを慕う者や、サウルに不満を持つ国民たちが集まってきたのです。
その数はなんと400人にも上り、ダビデはこの洞窟を拠点に、徐々に勢力を蓄えていきます。
追われる身になってその地位は地に落ちたといっても、サウルはダビデの人望までは、奪うことはできなかったということですね。
繁栄を迎えた後の家族間のトラブル
ダビデは中央集権君主制の確立や、軍事力を強化することで、王としてイスラエルを大きく繁栄させていきました。
このように王としての政治手腕は申し分なかったのですが、その中で彼を悩ませたのは家族間のトラブルです。
三男アブサロム
そのトラブルの大部分は、三男のアブサロムによるものでした。
アブサロムは元々が問題児だったわけではなく、兄弟の中でも美しい見た目をしており、男気のある性格もあって評判が良かったといいます。
そんなアブサロムを問題児に変えてしまったのは、長男のアムノンです。
アブサロムは妹のタマルに恋をしていたのですが(兄妹間の恋愛は珍しくなかった)、あるときアムノンがタマルを無理矢理襲うという事件が起きました。
アブサロムは怒り狂い、ダビデに対してアムノンに相応の処置を下すことを望みます。
しかしダビデは怒りこそしても、アムノンには特に罰を与えなかったのです。
これを受けてアブサロムは、自分の手でアムノンを殺害することを企てます。
偽の宴会を開いて兄弟を招き、宴会終盤で油断していたアムノンを部下たちに殺害させたのです。
王に取って代わろうとしたアブサロムの謀反
アブサロムは兄を殺してしまった罪に問われるかと思われました。
しかしダビデは家臣のヨアブから「アムノンの行為を考えると、アブサロムを罪に問うのは可哀想だ」ということを訴えられます。
これを経てアブサロムは許されることになるのですが、ダビデは城に戻ってきたアブサロムをすぐには中へ入れようとしませんでした。
事情があったとはいえ、自分の子が一人死んでいるのですから、ダビデとしてもしばらく距離を置きたい気持ちだったのでしょう。
しかしアブサロムはダビデのその態度に不信を抱き、今度はダビデに対して謀反を企てるのです。
アブサロムは国民に近付き、王の三男という地位を利用して、秘密裏に支持を集めていきます。
約4年間、そういった周到な準備を行った末、アブサロムは自身を王と称し、ダビデに対して反旗をひるがえすのです。
これを経てダビデも一時は国外へ追いやられるほどの痛手を受けますが、最終的にアブサロムは捕らえられ、謀反は失敗に終わりました。
そしてアブサロムはダビデの部下の一存で殺されてしまい、ダビデは大いに悲しみます。
アムノンに引き続いて、二人の息子を亡くしてしまったわけですから、その心中も想像に容易いでしょう。
しかし兄殺しに謀反と、立て続けに悪事を働いたアブサロム。
アムノンの一件では味方をしたヨアブでさえも「国よりもアブサロムが大事なのですか」と、悲しむダビデに投げかけたといいます。
また晩年は四男のアドニヤまでもが、王位を狙って反乱を起こすなど、ダビデは家族の問題を巡って、気苦労の絶えない生涯を送っていくのです。
きょうのまとめ
ダビデは神の導きによって、イスラエルの王となったとされていますが、かといって彼の人生は順風満帆というわけではありませんでした。
神様に気に入られたからといって、良いことばかりが巡ってくるというわけではないのですね…。
今回の内容を簡単にまとめると…
① ダビデはイスラエルの王となるまで、前王のサウルに追われ、逃亡生活を強いられた
② 逃亡生活は過酷を極めたが、最終的に数百人の支持者が集まるようになった
③ 王としての政治は上手くいっていたが、三男のアブサロムの謀反に悩まされた
過酷な逃亡生活を強いられたのは、神がダビデの王としての資質を試していたのかもしれません。
しかし息子たちを巡る一連の事件については、ただただ気の毒としかいえませんね…。
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