20世紀を代表するフランスのファッションデザイナー、
ココ・シャネル。
洋服や化粧品、ジュエリーや香水など、
彼女が手掛けたシンプルでエレガンスなデザインは、
現代でも世界中に多くのファンを抱えています。
そんな美のカリスマと言えるココ・シャネルですが、
実は第二次世界大戦時、フランス人でありながら、
ナチスのスパイとして活動していたことが明らかになっています。
そこで今回は、ココ・シャネルとナチス両者の関係性とその真実に迫ります。
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第二次世界大戦とココ・シャネル
ここからは早速、第二次世界大戦時のココ・シャネルについて、
ナチスドイツとの関係に注目してご紹介していきます。
戦時中のフランスとナチスドイツ軍
ナチスのポーランド侵攻によって始まった第二次世界大戦。
1940年にはフランスにも侵攻し、パリはドイツ軍に占拠されてしまいます。
そしてその後に起きたドイツの軍事占領に対するフランス人のレジスタンス運動では、
多数の人々が捕らえられ拷問の末に処刑されてしまいます。
さらに食料や生活必需品などが略奪され、多くのフランス国民が苦しむこととなりました。
コードネームは“ウェストミンスター”
しかしこの間、ココ・シャネルの暮らしは豊かで安定していました。
というのも彼女はこのとき、ドイツ軍の将校や外交官などナチス側の有力者たちに接近し、
愛人関係などにより彼らから恩恵を受ける代わりに、協力者として行動していたのです。
彼女は「アプヴェーア」という、ドイツ国防軍最高司令部の情報機関に所属する
スパイだったことが、近年フランスの国営テレビを通じて公開されました。
彼女にはスパイとしての固有番号が与えられ、
「ウェストミンスター」というコードネームも与えられていたことが判明しています。
シャネルの創設者として様々な著名人との交流があったココ・シャネルは、
ナチス軍にもその広い人脈を重宝されていたのです。
スパイになった訳
第二次世界大戦時という過酷な時代のなか、ナチス側のスパイになることで
自らの安全と生活を維持していたココ・シャネル。
しかし彼女の狙いはそれだけではありませんでした。
彼女はナチスに協力することでシャネルの看板を守り、
そのビジネスを拡大することを考えていたのです。
この当時ナチスに占領されていたパリでは、
ユダヤ人の所有する企業や資産はドイツ側に没収されていました。
そしてそれらの候補のなかには、「パルファム・シャネル」という、
シャネルの有名な香水「シャネルNo.5」を製造、販売している会社も含まれていました。
この香水はもともとシャネルが開発したものでしたが、
当初のココ・シャネルはそれを製造、販売するための経営権を持つことができず、
パルファム・シャネルはヴェルテメールというユダヤ人の一族が経営していました。
このことにずっと不満を抱いていた彼女は、
ナチスのスパイとして活動するようになるとそれをナチス側に訴え、
経営権を奪い取ろうとしていたのです。
ナチスドイツ敗戦後のココ・シャネル
「シャネルNo.5」の経営権を巡るココ・シャネルの計画は、
ヴェルテメール一族が一足先に別のフランス人実業家にその権利を渡していたことで
失敗に終わります。
その後、ドイツ軍の敗北により第二次世界大戦が終結すると、
ココ・シャネルはナチスに協力していたことで「売国奴」として非難の対象となり、
フランス国内で追い詰められてしまったのです。
しかしこのときも、彼女の広い人脈が彼女自身を救うことになります。
行き場の無くなった彼女を救ったのは戦前から交流のあったイギリスの首相、
ウィンストン・チャーチルでした。
彼の計らいで釈放されたココ・シャネルは、その後にできた新たな愛人と共にフランスを脱出し、
戦時中に中立国だったスイスへと渡り、数年間の亡命生活を送ったのです。
きょうのまとめ
今回は高級ファッションブランド、シャネルの創設者、
ココ・シャネルのもう一つの顔として、
彼女がナチスのスパイだった事実をご紹介していきました。
いかがでしたでしょうか。
今回の内容を簡単にまとめると
① 第二次世界大戦時、ココ・シャネルはナチス側の有力者たちに近づき、スパイとして協力する代わりに彼らから援助を受けることで、自身の生活や自社ブランドの看板を守っていた
② ココ・シャネルが以前から広く強力な人脈を築いていることを知っていたナチスは、彼女を情報機関に所属させ、固有番号やコードネームを与えて彼女自身を重宝していた
③ ココ・シャネルはナチスに協力することで、自身や自社を守るだけでなく、あわよくばそのビジネスを拡大させる可能性まで考えていた
広い人脈やそこから得られる情報を駆使し、
第二次世界大戦という過酷な状況を切り抜けたココ・シャネル。
そのしたたかさの裏には、自身のブランドを抱えた彼女の、
先を見据えた選択能力や逞しさを感じることができます。
一度はスイスに亡命せざるを得なくなった彼女は、その後再びフランスの地に返り咲くのです。
ココ・シャネルの年表を含む【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
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