ショパンとはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

ピアノ曲がまだ発展途上だった19世紀前半、その表現の可能性を追求し、

多くの作品を生み出したポーランドの作曲家、

フレデリック・ショパン

『英雄ポロネーズ』や『子犬のワルツ』、『木枯らしのエチュード』などなど、

時を越え、国境を越えても愛され続ける数々の名曲を残しています。

今回はそんな天才、ショパンがどんな人物だったのか、見ていきましょう。

 

『英雄ポロネーズ』

『子犬のワルツ』

『木枯らしのエチュード』

 

ショパンはどんな人?

プロフィール
ショパン

出典:Wikipedia

  • 出身地:ポーランド ワルシャワ近郊、ジェラゾヴァ・ヴォラ
  • 生年月日:1810年
  • 死亡年月日:1849年10月17日(享年 39歳)
  • ロマン派代表の作曲家。ピアニスト。ピアノの詩人。

 

ショパン 年表

年表

西暦(年齢)

1810年(0歳)ポーランドのジェラゾヴァ・ヴォラに生まれる。

1814年(4歳)母や姉からピアノを習い始め、すぐに才能が開花する。

1817年(7歳)『ポロネーズ ト短調』を作曲。

1818年(8歳)ワルシャワで演奏会開催。「モーツァルトの再来」と話題に。

1826年(16歳)ワルシャワ音楽院に入学。

1829年(19歳)ワルシャワ音楽院を首席で卒業。ウィーンで演奏会を開き大成功。

1830年(20歳)ワルシャワで演奏会開催。ウィーンに移住。

1831年(21歳)ウィーンを去りドイツで演奏会開催。後にパリに移住。

1832年(22歳)パリで演奏会開催。翌年、喀血(かっけつ)。重態説が流れる。

1836年(26歳)小説家ジョルジュ・サンドと出会い後に恋に落ちる。

1838年(28歳)結核療養のためサンドとマジョルカ島に4ヵ月滞在。

1840年(30歳)サン・クルー宮殿で御前演奏。

1841年(31歳)プレイエル・ホールで演奏会開催。翌年も開催する。

1844年(34歳)インフルエンザで重態。春に回復する。

1845年(35歳)健康状態悪化。以降喘息の発作やインフルエンザ、喀血などが頻繁にみられるようになる。

1847年(37歳)サンドの娘や息子とのいざこざから破局。

1848年(38歳)パリで最後の演奏会。ロンドンでヴィクトリア女王の御前演奏。イギリス各地での演奏会を経てパリに戻る。

1849年(39歳)冬の間病床に就く。8月姉と再会。10月状態悪化。10月17日、死去。

 

ピアノの詩人

音楽好きな一家の元に生まれたショパンは、幼い頃からさまざまな音に触れて育ちました。

そして6歳の頃からピアノを教わっていたチェコ出身のピアニスト、

ジヴニーによってピアニストとしての才能を見出されます。

7歳になると作曲を始め、8歳で行った演奏会では「モーツァルトの再来」

と絶賛されるほどの天才ぶりを見せるようになります。

その後も作曲や演奏を続けるなかで、その優雅さや繊細さ、

時に大胆さを含む豊かな表現力で人々を魅了し、ショパンは別名

「ピアノの詩人」と呼ばれるようになりました。

 

生まれつき病弱だったが・・・

ショパンといえばやはり、繊細で病弱早死にしてしまったか弱い人、

というイメージが強いのではないでしょうか。

実際に彼は生まれつき体が強い方ではなく、長年喘息のような症状に苦しみ、

インフルエンザにかかるたびに重症になるほどの繊細な人でした。

そんな彼はきっと、幼い頃から音楽の世界でしか生きられなかったんだろうな、と、

天才だったけどどこかかわいそうなイメージを抱いてしまいがちです。

しかし実際は、子供の頃には他の子供たちと同じように一般的な教育を受け、

友情を大切にし、ピクニックやお祭り、ときには狩りにも友達と一緒に参加するなど、

活発な一面もあったのです。

ワルシャワ音楽院に通い始めると、当時流行していたカフェに通って知人たちと交流し、

凍った川でスケートもしていました。

更に彼は生涯に4度恋をし、そのうちの3人とは恋仲になるなど、

人並みに幸せな経験をしています。

このように病弱ゆえに行動に制限はあったものの、

ショパンはいつも笑顔を忘れず多くの人に好かれる人でした。

 

故郷への愛

成人したショパンはその後の人生をほとんどパリで過ごします。

しかし彼の心にはいつも生まれ育った故郷、ポーランドの景色がありました。

彼の作曲するもののなかには、マズルカやポロネーズといった、

ポーランドの民族音楽がよく出てきます。

ポーランド人などのスラブ系民族が持つ、

独自のアンニュイな感受性がよく表れたこれらの民族音楽は、

ショパンの曲のなかで感じられる、「哀愁」「切なさ」といった繊細な感情の表現に影響を与えています。

晩年をほとんど病床で過ごした彼は、遂に故郷に戻ることなくその一生を終えています。

しかし彼が残した遺言によって、その心臓だけは死後ポーランドに持ち帰られました。

 

きょうのまとめ

今回はポーランドが生んだ天才、ショパンについてご紹介しました。

ショパンについて簡単にまとめると

① 発展途上にあったピアノ表現を追求し、その豊かさから「ピアノの詩人」と呼ばれた。

② 生まれつき病弱で繊細だったが、恋も友情も楽しみたくさんの人に好かれていた。

③ パリで息を引きとったが、心にはいつも故郷ポーランドがあり、曲にも民族的な特徴が表れていた。

姉、ルドヴィカによって持ち帰られたショパンの心臓は、

ワルシャワの聖十字架教会に現在も安置されています。

故郷を想い続けた心はその鼓動を止めた今、

ポーランドの景色の一部として静かに溶け込んでいるのです。

 

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