天草四郎は、さまざまなメディアで映像化されたりキャラクター化されている
歴史上でも人気の高い人物です。
「島原の乱」の総大将として知られていますが、
天草四郎とはどんな人物なのでしょうか。
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天草四郎はどんな人?
- 出身地:天草諸島の大矢野島(現在の熊本県天草市)
- 生年月日:1621(1623年とする説もあり)
- 死亡年月日:1638年4月12日(享年17歳)
- 「神の子」として「島原の乱」の総大将になる
天草四郎 年表
西暦(年齢)
1621年(1歳)天草諸島の大矢野島に生まれる。本名は益田四郎。
1637年(16歳)「島原の乱」勃発。総大将となる。
1638年(17歳)幕府の鎮圧軍との戦いで戦死した。
「島原の乱」の総大将となり徹底抗戦するも、戦死
島原の乱は日本の歴史上、最大規模の一揆です。
その一揆の総大将が、当時わずか16歳の天草四郎時貞でした。
島原の乱は重税と圧政に苦しむ島原藩と唐津藩の人々が起こしました。
この2つの藩では、天候不良により作物が収穫できず飢饉に陥っていても、一切関係なく年貢の取立てが行われました。
年貢が納められない農民や、キリスト教徒に対して拷問や処刑まで行っていました。
農民の不満や怒りは爆発し歴史上最大の一揆、島原の乱へと繋がりました。
天草四郎は幼い頃から教養があり、カリスマ性があったことから
「神の再来」として人々から高い人気がありました。
そのため天草四郎は、一揆の総大将に祭り上げられたと言われています。
一揆軍は原城に立てこもり、3ヶ月にも及ぶ篭城戦を行いますが、
幕府軍に敗れて一揆に参加した者は老若男女すべて皆殺しにされました。
天草四郎にまつわるエピソードや伝説
天草四郎にまつわるエピソードや伝説をご紹介したいと思います。
驚きのエピソードもありますよ。
生まれることが予言されていた?
なんと天草四郎が生まれることは予言されていたと言うのです。
驚きですよね?
天草で活動していたママコスという宣教師が日本から追放されます。
その時に
「25年後に16歳の少年が現れ、人々を苦しみから救う」
というような言葉を残したと言います。
そして25年後に生まれたのが、天草四郎だったのです。
教養とカリスマ性を持った、美少年だった四郎はまさに「人々を救う」とされた少年のイメージにピッタリと当てはまったのでしょう。
数々の奇跡を起こす
天草四郎は数々の奇跡を起こしたという伝説も残っています。
その伝説をご紹介します。
・雀が止まっている竹の枝を折っても、雀は逃げずにじっとしていた
・盲目の少女に触れると、目が見えるようになった
・天草と島原の間にある湯島という島まで、海の上を歩いて渡った
など、人間業とは思えない数々の奇跡を起こしたと言われています。
にわかに信じがたい話ですが、圧政に苦しむ人々にとっては
それだけ天草四郎という少年が希望の光だったのでしょう。
天草四郎は生き延びた?
一揆軍が幕府軍に敗れた後、幕府軍は天草四郎の首を捜します。
すると、天草四郎の首だとするものが複数運び込まれました。
どれも天草四郎と同じ年頃の少年のものだったと言いますが、
誰も天草四郎の顔を知りません。
困った幕府側は、捕らえられていた四郎の母親に首を見せ、
母親が狂ったように泣き崩れたものを天草四郎の首と断定しました。
たったこれだけで天草四郎だと断定されたのです。
そのため天草四郎は密かに脱出し、ルソン(フィリピン)に逃げ延びたという説があります。
三方を海に囲まれた原城だったからこそ、「もしかしたら」と思ってしまいますね。
きょうのまとめ
天草四郎についてのまとめ、いかがでしたでしょうか。
天草四郎とは?
① 「島原の乱」の総大将となり徹底抗戦するも、戦死
② 天草四郎は、生まれることが予言されていた
③ 数々の奇跡を起こしたという伝説がある
④ 生き延びてルソンに渡ったという伝説がある
16歳の少年が、自分の意思で一揆の総大将になったのか、
祭り上げられて成らざるを得なかったのか、今となっては分かりません。
しかし16歳と言う若さで亡くなったと思うと、どこかで生きていて欲しいと思ってしまいますね。
その他の記事についても天草四郎にまつわる色々な記事を書いています。
よろしければどうぞ御覧ください。
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