ヴァスコ・ダ・ガマはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

スペイン後援のコロンブス

ポルトガル後援のヴァスコ・ダ・ガマ

なぜ二人はああやって同時期競い合うようにしてはるか遠くの大海原へとこぎ出していったのでしょう。

そして、今回の主役ヴァスコ・ダ・ガマのインド航海は実際どんなものだったのか、知っています?

そして、その成果とは?

コロンブスの記事と比べてみると、よりおもしろいかもしれません。

 

ヴァスコ・ダ・ガマはどんな人

プロフィール
    ヴァスコ・ダ・ガマ

    出典:Wikipedia

  • 出身地:ポルトガル・シーネス?
  • 生年月日:1469年ごろ
  • 死亡年月日:1524年12月24日(享年55才ごろ)
  • ポルトガルの探検家。西回りインド航路を開拓。

 

ヴァスコ・ダ・ガマの年表

年表

1469年ごろ(0才)ヴァスコ・ダ・ガマ生まれる

1497年(28才ごろ)第1次インド航海出発

1498年(29才ごろ)カリカット到着

1499年(30才ごろ)リスボンに帰還

1502~03年(30代前半)第2次インド航海

1524年(55才ごろ)第3次インド航海。ヴァスコ・ダ・ガマ亡くなる

 

ヴァスコ・ダ・ガマの生い立ち

ヴァスコ・ダ・ガマの父親はポルトガルの王族フェルナンドに仕えたことのある騎士です。

後にシーネス町長も務めました。

ちなみにフェルナンドはヨーロッパに大航海時代を切り開いたエンリケ航海王子の甥に当たります。

 

インド航路を先に手に入れろ!

時は大航海時代です。

ヨーロッパで値段がとても高くなっている香辛料を手に入れてお金持ちに!

なら、インドでしょ!

当時、インドではコショウやナツメグ、クローブなどの香辛料がたくさん採れたり、各地から集まったりしておりました。

「何としても先にインドへの航路を開く!」

と海洋国家のスペインとポルトガル両国は必死に競争。

1492年にはコロンブスが西インド諸島を発見しました。

当時コロンブスの見つけたのはアジアだと信じられていましたので、ポルトガルとしては

「先を越された……」

です。

「こうなりゃ、とにかく先にインドだ!」

として、その艦隊の総司令官に選ばれたのがヴァスコ・ダ・ガマでした。

 

<西インド諸島>

 

第1次航海

なお、当時スペイン・ポルトガル両国の間で「トルデシリャス条約」というのが結ばれていました。

つまり、新たな発見地において西経46度37分を境として西をスペインが東をポルトガルが手に入れる、という取り決めです。

だから、

●スペイン後援のコロンブスは西回りのアメリカ大陸から

●ポルトガル後援のヴァスコ・ダ・ガマは東回りのアフリカ大陸から

目指しているのです。

ヴァスコ・ダ・ガマの艦隊は首都リスボンを出航。

途中だいぶ大回りしてアフリカ大陸南の端の喜望峰に到着。

そのせいもあり、船員たちの多くが栄養不足に。

さらにそれを悪化させて壊血病になってしまいました。

死の恐れもある危険な病気です。

ついにアフリカの東岸まで出ると、そこはヨーロッパの宿敵であるイスラム教徒のテリトリー。

ヤバい衝突がありながらもなんとかインドのカリカットまで到着します。

しかし、問題はここから。

地元カレクトの国王に交易品をお披露目です。

しかし、国王は、

「おい、ずいぶん貧相な品じゃないか。こんなもんほかのどのイスラム商人でもしないぞ」

いっしょにいたイスラム商人らも大笑い。

したたかなヴァスコ・ダ・ガマは

「いえいえ、次からもっと素晴らしい献上品を持ってきますんで」

と適当にあしらいつつ事態はさらに険悪に。

なんと、ポルトガル船団の仲間がカレクト側に捕まりました。

すると、ぶちぎれたヴァスコ・ダ・ガマも人をさらい返します。

このようにとても“いやー”な雰囲気ながら「また来ますよ♡」と捨てゼリフを残し、ヴァスコ・ダ・ガマはポルトガルに帰国。

ポルトガルでは「インド航路を開いた英雄」として大変にもてはやされ、またインドへの艦隊総司令官の任務をおおせつけられました。

 

<首都リスボン>

<カリカット>

 

第2次・3次航海

2回目の航海ではカリカットを砲撃。

さらに、カレクト王国の属国でありながら、その統治を快く思わないコチン王国と貿易。

ヴァスコ・ダ・ガマ・ダ・ガマはたんまりと香辛料を満載し、晴れてポルトガルへと帰ってゆきました。

その後、ヴァスコ・ダ・ガマ・ダ・ガマは3回目の航海にも旅立ちます。

しかし、途中で病死。

今はリスボンにある立派なジェロニモス修道院に葬られております。

 

<ジェロニモス修道院>

 

きょうのまとめ

ヴァスコ・ダ・ガマの功績をベースにアジアに利権を広げてゆくポルトガル。

しかし、それも長続きはしませんでした。

やがて、オランダ・イギリスといった新たな勢力が……。

当時ものすごく厳しかったヨーロッパの競争社会、そして、時のはかなさを感じます。

① ヴァスコ・ダ・ガマはインドへの第1次航海で無事カリカットまでたどり着いたが、地元の王国政府ととても険悪な関係になった

② ヴァスコ・ダ・ガマはインドへの第2次航海でカリカットを砲撃して大損害を与え、コチン王国などと交易し、大量の香辛料を本国に持ち帰った

③ ヴァスコ・ダ・ガマはインドへの第3次航海の途中、病気で亡くなった

 
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