「松島や ああ松島や 松島や」
日本三景の一つ松島を詠んだ句です。
季語、
どころか、
俳句の俳句による俳句らしいテクなど、
ほぼ一切かえりみられません。
『〇レバト』のあの辛口先生ならどんな評価を付けるのでしょうか?
ただひたすらこみ上げてくる感動をそのまんま。
このいさぎよさがかえって味わい深い、
として、今もたくさんの人に詠み継がれております。
ただ、
ここにあら困った事実です!
これ作ったの、松尾芭蕉じゃありませんよ!!
デマです。
本当に作ったのは……
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歴史はこうしてウソをつく……
ああ、またやっちゃいました。
歴史というのは本当に気まぐれさんです。
ああ、こうしてまたウソをつくのですね。
わたし、こどものころから
学校の先生も
塾の先生も
△研の教材もみんなみんなあれは
「松尾芭蕉先生が詠んだもの」
って言ってたじゃありませんか。
そうなんです。
歴史において
起こったことは事実ひとつしかなく、
いくら時代が変わっても変わるはずがないのですが、
なにせ、後世の人間はそれを”推測”するしかない。
だから、新たな”発見”があると、すぐにそれは書き換えられるのです。
「松島や~」の歌の作者とは?
さて、
「松島や~」
の歌ですが、
オリジナルは
「松島や “さて”松島や 松島や」
でした。
で、
“さて”がいつしれず”ああ”として人に知られるようになったということです。
なるほど。
では、気になりますね。
このオリジナル作者はいったいだれなのでしょうか?
なんと、
その正体は……
「田原坊」
だれだそれっ!!
江戸後期の狂歌師だそうです。
狂歌というのは和歌の細かい作法を取りはらい、字数だけ合わせて自由に詠ってやれ、というノリです。
確かにアレは狂歌っぽいです。
ちなみに
松尾芭蕉。
『奥の細道』中、松島では句を一つも詠んでおりません。
なんせ、
その美しさにあまりに感動しすぎたからか
「句を詠めず、夜も眠れない状態だった」
と記しております。
替わりに弟子の河合曾良(そら)が、
「松島や 鶴に身をかれ ほととぎす」
と詠っております。
歌の意味は
「今鳴いているホトトギスよ。松島にはやはり鶴がふさわしいから姿を変えてくれ」
ということです。
松島は修行の聖地
今、松島と言えば
湾に大小260あまりもある島の複雑にいりくんだ”絶景”で知られております。
が、ここにはほかの顔がありまして、
実は”信仰の場”でもあります。
松島群島の中にある雄島をご存知でしょうか。
昔から
ここにたくさんのお坊さんや修験者がやってきて、修行に明け暮れていたようです。
「奥州の高野」
という異名もあるほどです。
高野とはあの真言密教を日本に広めた弘法大師空海が修行場として開いた聖地”高野山”のことです。
松島に訪れる際にはそんな”聖地”としての遺風にふれてみる、
のもいかがでしょう。
松島と伊達政宗の娘五郎八姫(いろはひめ)
この松島は戦国の英雄とも無縁ではございません。
江戸に入って、この辺りを治めた人と言えばだれでしょう。
そうです。
あの独眼竜です。
仙台藩主伊達政宗ですね。
伊達政宗には五郎八という娘さんがおりまして、
たいそう美人でかしこかったそうです。
この五郎八がまだわずか12才の時、
政略結婚で徳川家康の息子忠輝のもとへ嫁ぐことになりました。
ただ、この徳川家康という人、
確かに公には公明正大な感じなのですが、
家庭ではものすごくえこひいきの多い人です。
逆に言うと、あれだけ人の好き嫌いが激しいのに、よくもまあ、表立って出さなかったものだ、と感心します。
家康は
忠輝のことが、
「嫌い」です。
生まれてすぐによそ様にあずけ、
大坂冬の陣
という忠輝にとってやっと回ってきた大舞台では
”留守居役”
をおおせつけました。
そんな忠輝が「よっしゃ!こんどこそは!!」の夏の陣でやってしまいます。
遅参です。
怒った家康は面会謝絶です。
そうして会えぬままほどなくして
高齢の
家康は亡くなってしまいます。
するとたちまちです。
父の跡を継いだ
兄の秀忠(君も遅参してるよね。しかももっと超重要局面で)によって、
改易、流刑
を申しつけられてしまいます。
さて、
五郎八です。
忠輝との夫婦としての年月は10年。
大変仲睦まじかったといわれます。
ところが、
このやるせない経緯によって離縁のやむなきです。
五郎八は
やがて実家仙台に戻って尼さんになりました。
そしてそのお墓は松島海岸にほど近い天麟院というお寺にあります。
きょうのまとめ
この松島という地にはほかにも、
芭蕉先生によるリスペクトやまない”西行法師”
や、
世界的物理学者”アインシュタイン”
など、
歴史的偉人とのつながりはもりだくさんです。
やはりこの地には
たくさんの人々を惹きつける”なにか”が大いに秘められているのでしょう。
① 「松島や~」の俳句は松尾芭蕉作ではなく、狂歌師田原坊作。
② 松島は修行場の聖地でもある
③ 伊達政宗の娘五郎八姫の墓が松島にある
月に、
遊覧船に、
新鮮な海産づくし、
も魅力です!!
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