松尾芭蕉の弟子河合曾良(かわいそら)は師匠になくてはならない縁の下の力持ち!

 

みなさん。

河合曾良かわいそらという人物をご存知でしょうか。

松尾芭蕉ファンにはなじみがありますね。

松尾芭蕉の弟子の一人で、あの『奥の細道』の旅の行程の大半をともにした人です。

今回は、そんな”いぶし銀”な人の活躍を紹介させていただきます。

 

河合曾良、”運命の師匠”松尾芭蕉と出会う

松尾芭蕉

松尾芭蕉
出典:Wikipedia

曾良は今の長野県諏訪市にて、高野七兵衛の長男として生まれます。

その後、幼くして両親が亡くなったりしたため、いろんな人に養われ、転々としてゆきます。

やがて、19才で伊勢長島(三重県桑名市長島町)の藩士となりますが、
32才で自ら辞めて、江戸に出、
神道や地理、歴史、国学(『古事記』など日本の古典の研究)、和歌の勉強をしてゆきます。

そんな最中、出会ったのが当時、俳人(俳句を作る人)として有名になっていた松尾芭蕉。

そんな芭蕉先生の弟子として俳句を学ぶ一方、

芭蕉先生の家の近くに住んで、

そのそば回りをかいがいしくお世話するようになってゆきました。

 

河合曾良、『奥の細道』に行きしたがう

元禄2年(1689年)。
平安時代末期の旅の歌人として知られる西行法師(芭蕉先生がリスペクトしてやまないお方です)が亡くなってちょうど500年の節目の年。

芭蕉先生はついに大いなる”ある旅路”へと出発することになります。

江戸から奥羽、北陸を抜けて大垣までそのじかの足をたよりに向かう。

そうです。

『奥の細道』です。

芭蕉は、数ある弟子やほかのだれでもなく、曾良をそのたった一人の付き人に選びました。

曾良はなんせ、『地理』や『歴史』にくわしいです。

しかも、『神道』や『国学』にもたしなみがありますから、

どこどこにどんな観光名所があって、どんな由来があって、とかはお手の物です。

しかも、よほどきっちりした性格だったのでしょう。

旅の経費の計算をまかされ、まるでたった”お一人様”のための旅の添乗員さんです。

 

『曾良旅日記』後世に一大センセーションを起こす

曾良のきっちりさはこれだけではありません。

こうして旅について行ってちゃんと自分の日記も付けているんですね。

これが、後の世に大変な功績となってあらわれます。

曾良の残したその日記の存在は長い歴史のうちに埋もれていたのですが、明治になって見つけ出されます!

すると、今まで知られていなかった事実が出てきたりして、一大センセーションを巻き起こします。

それまで、『奥の細道』に書かれていたことは”全部本当”という説がありました。

しかし、『曾良旅日記』と見くらべますと、びみょうなちがいがあちらこちらに見つかります。

つまり、『奥の細道』というのは”ある程度事実”をもとにした”架空”の物語、ということになるのです。

 

河合曾良、無念のリタイヤをしても……

そんな曾良ですが、芭蕉先生との『奥の細道』を最後まで同行することはかないませんでした。

というのも、曾良は途中体調を崩し、石川県の山中温泉でリタイヤせざるをえなくなります。

最後まで、芭蕉先生とごいっしょし、お世話できぬ無念といえばどれほどのものだったでしょうか。

しかし、芭蕉先生のこの旅の最終目的地「大垣」に先回りし、芭蕉先生の無事の到着をほかの弟子たちとむかえ、祝いました。

 

河合曾良、旅先にて亡くなる

元禄7年(1694年)。
芭蕉先生は生まれ故郷伊賀上野へと旅立ち、

曾良はその途中箱根までついてゆき、見送りました。

そして、その先で芭蕉先生は亡くなり、曾良はその死に目に立ち会えませんでした。

やがて、
宝永6年(1709年)。

曾良は幕府の巡見使(諸藩の様子などを見てくる役目)として九州へと旅立ち、その途上壱岐島(いきのしま。九州北方に浮かぶ島)勝本町にて亡くなります。

「旅に生き、旅に死す」

最後までその生涯は芭蕉先生に寄り添っていたと言えなくはないでしょうか。

 

きょうのまとめ

歴史の偉人だけでなく、

何かを成しとげる人には、

それをよくサポートする人が付いていることがよくあります。

一見は地味ですが、こういう縁の下の力持ちの人がいないと、

彼らはみな本当にあれだけのことを成しとげることができたのでしょうか。

何かのスーパースターを見る時、

そこには見えない無数のだれかを想像すると、

さらにドラマがふくれあがりますね。

① 河合曾良は松尾芭蕉の弟子となり、師匠の身の回りのいろんな世話をした

② 河合曾良は松尾芭蕉のただ一人の同行者として出発し、途中リタイヤしたが、最終目的地でほかの弟子たちとともに師匠の到着を待ち、むかえ、祝った

③ 河合曾良はまるで師匠の生き方をなぞるように旅先で亡くなった

いかがだったでしょうか。

彼ら二人の師弟関係にはどことなく“水魚の交わり”という言葉がほうふつとされます。

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