源義経の天狗伝説とは?

平氏との戦いで縦横無尽の活躍をして、平氏滅亡の立役者となったものの

兄の源頼朝と袂を分かち、京都から追放されたのちに追い詰められ

わずか31歳の若さでその生涯を閉じた悲劇のヒーロー、源義経。

義経は数々の伝説を後世に残しており、幼名である牛若丸を名乗っていた頃の伝説も有名です。

そのうちの1つに義経と天狗とのエピソードがあります。

では、義経と天狗はいったいどのような関係があったのでしょうか?

今回は源義経の天狗伝説について解説していきます。

どうぞ最後までお読みください。

平家に命を助けられ、鞍馬寺に送られる

1160年、義経の父である源義朝は平治の乱で平家との合戦に敗れ、討ち死にします。

平家の棟梁であった平清盛は義朝の息子たちを後の災いとして殺そうとしますが

清盛は義朝の側室であった常盤御前(ときわごぜん)と出会った時にその美しさに魅了され

自らの妾になることと引き換えに常盤御前の3人の息子である

今若丸、乙若丸、そしてのちに源義経となる牛若丸を助けたといいます。

3人の兄弟はそれぞれが別々の寺に送られて育てられることになり

牛若丸は京都にある鞍馬寺(くらまでら)に送られることになりました。

天狗との出会い

ある春の日、鞍馬寺の僧が平家の縁者や稚児(寺で修行する幼児)を連れて花見に出かけました。

桜の木の下で彼らは花見を楽しんでいましたが、いつの間にか山伏(山で修行を行う者)が1人紛れ込んでいました。

この知らない山伏に気味悪がった一行は稚児を1人残して立ち去ってしまいます。

残された稚児は山伏に近づいていき、こう言いました。

「私以外の稚児は皆、平家の子であるのだが、私は源氏の者であるから、何をするにも敵視されて辛い思いをしている。」

この取り残された稚児は牛若丸だったのです。

山伏は辛い思いをしながら気丈に生きる牛若丸を慰めるために

鞍馬山の道案内をしたり、近くの名所に牛若丸を連れて行って彼を元気付けます。

今まで見たことのない景色に感激している牛若丸に山伏はこう言います。

「 実は私は山伏ではなく、この鞍馬山に住んでいる大天狗なのだ。 」

大天狗は牛若丸に武芸を伝授するから、その武をふるって平家を打倒してみせよと

幼い牛若丸に平家打倒の道を歩むことを勧めます。

「もし武芸に励みたいのであれば、明日、薙刀と鉢巻を用意してこの場に来るのだ。」

大天狗はそう言い残し立ち去ります。

次の日、牛若丸は薙刀を携え、鉢巻を巻いて約束の場所で大天狗を待っていました。

すると、大天狗は各地にいる天狗たちを引き連れて牛若丸の前に現れました。

そして牛若丸はこの日から平家を打ち倒すために大天狗の下で武芸と兵法の修行に励み、

鍛錬の日々を送ることになるのです。

天狗伝説はどのようにして生まれたのか?

この天狗伝説は後世の創作だと考えられていますが

天狗の正体については様々な説があります。

天狗の面をかぶった源氏にゆかりのある男、鞍馬寺の僧侶など

義経が鞍馬寺で修行をしていたときに、その手助けをした者が天狗として語られるようになったのではないか?と言われています。

義経の幼少期について確実な史料は現在まで見つかっておらず、実際のところは良く分かっていません。

ただ、軍記物によれば、義経は2人の兄と同じように僧侶として育てられるはずだったのですが

義経はそれを拒否し、鞍馬寺を抜け出して兄である頼朝の軍に加わり、平家との戦いに身を投じたと言われています。

きょうのまとめ

いかがでしたでしょうか。

義経が天狗に武術を教わったというのは、あまり現実的な話ではないかもしれませんが

義経が神がかり的な戦術で平家に大勝し続け、平家滅亡の最大の功労者となったことは事実です。

いずれにせよ、義経が幼い頃から鍛錬の毎日を送っていたことは事実だと言えるでしょう。

源義経については他にも様々な記事を書いています。

興味がある方は是非ご覧になってください。










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