支倉常長と遣欧使節団の本当の目的は?

 

支倉常長(はせくらつねなが)と言う人を知っていますか?

伊達政宗がノビスパニア(現在のメキシコ)との直接貿易を目的として派遣した、

遣欧使節団(けんおうしせつだん)を率い、日本人で初めて大西洋を渡った人物です。

先ほど、メキシコとの直接貿易を目的とした、と言いましたが、

どうも他にも目的があったようなのです。

今回は支倉常長と遣欧使節団について調べてみました。

 

支倉常長と遣欧使節団の目的とは

支倉常長と遣欧使節団の本当の目的とは何だったのでしょうか。

一緒に見ていきましょう。

遣欧使節団って?

そもそも遣欧使節団とは何なのでしょうか。

伊達政宗はメキシコとの貿易のために使節派遣することを幕府に願い出ます。

遣欧使節団が派遣されたのは1613年ですから、江戸幕府が成立していました。

なぜ徳川家康は、この遣欧使節団を許したのでしょうか。

家康はメキシコの金銀の採掘と製錬技術に強い関心を持っていました。

しかしスペイン領だったメキシコとの関係は豊臣秀吉が、

長崎で26人の宣教師や信者を処刑した「フェリペ号事件」で断絶していました。

また常陸(ひたち)漂着したスペイン船が帰郷することになった時に、

田中勝介(たなかしょすけ)という商人をメキシコに派遣しますが、

キリスト教禁止令が出ていた国ということもあって交渉には至りませんでした。

なので政宗がやってくれるなら、という思いがあったのかもしれません。

遣欧使節団は支倉常長を正史とし、船乗りや武士150人と

宣教師ルイス・ソテロを含むスペイン人約30人を併せた180人余りでした。

支倉常長が選ばれた理由

支倉常長は伊達家の中でも中級に位置する藩士でした。

なぜ支倉常長が、遣欧使節団の正史という重役に選ばれたのでしょうか。

これには諸説あります。

① 朝鮮出兵の際の海外渡航の経験や、足軽・鉄砲組みの頭として人をまとめる能力が認められたから

② 失敗したときのことを考えて、重臣ではない常長が選ばれた

③ 常長の父が罪を犯し、常長も同罪とされ裁かれる所だったので、失敗した場合や幕府から咎められた場合に責任を負わせるのに適任だと政宗が任命した

どれも史料がないため真実は分かりません。

しかし、政宗はこの遣欧使節団に並々ならぬ熱意を持っていたようなので、

③のような理由だけで使節団を任せるとは思えません。

きちんと常長を評価して正史に選んだのでしょう。

遣欧使節団の本当の目的は・・・

遣欧使節団が日本を発ったのは1613年です。

この時は大阪の陣の前で、徳川幕府の力も確固たる物ではないと政宗は見ていました。

徳川幕府の体制が揺らぐようなことがあれば、天下を取るチャンスがあると言うことです。

その時に備えて、スペインと同盟を結ぶことが政宗の本当の目的だったと言われています。

スペインと同盟を結べば、最先端の武器や戦術が手に入ります。

あわよくばスペインの軍事力を利用することも考えていたかもしれません。

政宗はキリスト教の布教を許すかわりに、スペインと友好を図りたい、

自分はキリスト教の守護者であると言った書状を常長に持たせています。

またその書状には「奥州王伊達政宗」と書き花押を押しています。

「王」と言う言葉に深い意味があるのかと、つい考えてしまいます。

 

きょうのまとめ

支倉常長と遣欧使節団について、いかがでしたか?

遣欧使節団の本当の目的が天下を取るためだったかは今も意見がわかれています。

しかし、江戸時代前半に一人の武士が海を渡ったことは事実です。

それだけでもすごいことですよね。

支倉常長の功績は幕府のキリスト禁止令により、表舞台には出ませんでした。

明治時代の岩倉使節団がヨーロッパを訪問した際に常長の書状を発見し、

一躍脚光を浴びるのです。

 

支倉常長の【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
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