系図に見る後白河法皇のしたたかさ

 

日本の歴史に登場する天皇は、直系で繋がらない場合もありますが、

結局、現代の今上(きんじょう/当代)天皇に続いていることが明らかです。

そこで、ここでは子孫捜しではなく、後白河天皇がどのように天皇になったか、

そして後白河天皇の影響下にあった後続の天皇数代を追ってみましょう。

 

後白河法皇の系図見る際のポイント

後白河法皇は、天皇、上皇、法皇を経験した人物です。

生存期間中には保元・平治の乱、治承・寿永の乱、二条天皇、平清盛、木曽義仲との戦いや力のせめぎ合いなどがありました。

その中、後白河法皇はあらゆる手段を使って政権の維持・強化に努めたのです。

上皇、法皇の違いと院政

上皇とは、元天皇の譲位した後の呼び方で、院とも呼ばれる人物のことです。

上皇になった時点で、天皇は御所を出て、別宅へと移ります。

そこで政治の世界から隠退してしまうこともあれば、院御所にて政務を続ける場合もあります。

法皇とは、仏門に入った上皇のことです。

そして、天皇を退いた後に上皇や法皇によって院庁で行われる政治のことを院政といいます。

後白河法皇はまさに天皇(1155年)→上皇(1158年)→法皇(1169年)のフルコースを制覇した人物です。

 

後白河天皇を巡る系図

まず、雅仁(まさひと)親王が後白河天皇となるまでの流れ、上皇、法皇へとなっていくのを追っていきます。

棚ぼた式に位を得たラッキー天皇

第74代天皇鳥羽天皇の後を継いだ、第一皇子の顕仁(あきひと)親王は、第75代崇徳天皇となりました。

崇徳天皇の父親は自分ではなく、祖父の白河天皇だと信じていた鳥羽院は、だますようにして崇徳天皇を譲位させ、躰仁(なりひと)親王を76代近衛天皇に据えます。

ところが近衛天皇は短命でした。

近衛天皇崩御の後、まさか天皇になると誰もが考えていなかった、今様に夢中の無能だと思われた雅仁親王が、1155年に即位しました。

これこそ、77代後白河天皇です。

ただし、これは次の天皇即位までの暫定と考えられていました。

院政を守るためなら子でも孫でも使う!

後白河天皇と平清盛は親戚関係です。

天皇の妃は平滋子(たいらのしげこ)で、平清盛の妻・平時子の妹です。

また、後白河天皇の息子・高倉天皇の妃は清盛の娘・平徳子。

二人の間に生まれた言仁(ときひと)皇子(後の安徳天皇)は、後白河天皇と平清盛の孫でした。

安徳天皇を巡った後白河天皇と清盛の利害関係は明らかです。

さらに、後白河天皇の息子には、あの打倒平氏をうたい、源氏蜂起を促した以仁王(もちひとおう)もいます。

源氏と平氏の間でしたたかに時代を生きた後白河天皇が、系図を通しても現れているようですね。

鳥羽院崩御の後、後白河天皇は、1158年に守仁親王に譲位して上皇となり、78代二条天皇が誕生。

二条天皇の親政と後白河院の院政という二頭政治となりました。

のち、病のため二条天皇は順仁(のぶひと)親王に譲位して、79代六条天皇誕生へ。

しかし、母親の身分が低い不安定な六条天皇は、1168年には数え年5歳(満3歳)で退位し、後白河上皇の第7皇子、8歳の憲仁(のりひと)親王が80代高倉天皇となりました。

のちに清盛の娘、徳子との間に将来の安徳天皇が誕生します。

めまぐるしく変わる天皇ですが、その間、後白河上皇は政治の世界から離れることはありませんでした。

死ぬまで現役

1169年、後白河上皇は出家して法皇となります。

1180年に高倉天皇は81代安徳天皇に皇位を譲って院政を開始し、のちに病気で崩御すると、幼い孫の安徳天皇の代わりに後白河院が院政を行います。

1181年に平清盛が死没すると、後白河院は重圧から解放されて自由に力をふるいます。

後白河院の皇子以仁王の令旨に促されて源氏は挙兵し、1185年には壇ノ浦にて平氏が滅亡。

同時に失った安徳天皇に代わってその弟が第82代の後鳥羽天皇として即位しました。

しかし、源頼朝との駆け引きを経ながら続けた院政も終盤を迎え、1192年、66歳で崩御したことで、後白河法皇による院政は終了しました。

おわりに

たまたま暫定的な天皇として期待されない即位をし、幽閉されたり、命の危険がありながらも、一貫して院政を続けた後白河法皇。

自らに続く二条、六条、高倉、安徳、後鳥羽という五代の天皇全てが子供か孫という、

濃い血筋を全部使いながら系図を巡っていくようにして34年間の院政を続けたしたたかな人物でした。

 

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歴史ライター、商業コピーライター 愛媛生まれ大阪育ち。バンコク、ロンドンを経て現在マドリッド在住。日本史オタク。趣味は、日本史の中でまだよく知られていない素敵な人物を発掘すること。路上生活者や移民の観察、空想。よっぱらい師匠の言葉「漫画は文化」を深く信じている。 明石 白(@akashihaku)Twitter https://twitter.com/akashihaku 明石 白(akashihaku)Facebook https://www.facebook.com/akashihaku