長宗我部元親とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)は土佐の大名です。

大河ドラマで主役をやって欲しい人物ランキングでは、毎年上位にランクインするくらい

人気の戦国武将なんですよ。

女性ファンも多い、長宗我部元親とはどんな人物なのでしょうか?

簡単にまとめてみました。

 

長宗我部元親はどんな人?

プロフィール
  • 出身地: 土佐(現在の高知県)
  • 生年月日: 1539年
  • 死亡年月日: 1599年7月11日(享年 61歳)
  • 土佐の小領主から四国統一を目指した

 

長宗我部元親 年表

年表

西暦(年齢)

1539年(1歳)土佐に生まれる。(幼名、弥三郎)

1160年(22歳)長浜の戦いで初陣。父の急死により家督を相続。

1563年(25歳)美濃の斎藤利三の娘と結婚。

1574年(36歳)土佐を平定する。

1582年(44歳)信長と対立。四国攻撃軍が編成されるも本能寺の変が起こり危機を免れる。

1585年(47歳)四国全土をほぼ統一するが、秀吉の四国攻めに敗退。土佐一国を残し、土地を没収される。

1586年(48歳)戸次川の戦で嫡男・信親が戦死。

1597年(59歳) 「長宗我部元親百箇条」を制定。

1599年(61歳)伏見で死去。

 

四国を統一するも秀吉に敗れる

長宗我部家は、元々土佐の小さな領主にすぎませんでしたが、

元親の時代に勢力を広げ、土佐を統一し悲願であった四国統一を成し遂げます。

しかし、天下統一を目前にまで進めていたのが織田信長(おだのぶなが)です。

信長は元親が四国を統一することを良しとしませんでした。

信長が本能寺の変で急死すると、その後を継いだのが羽柴秀吉です。

元親は柴田勝家(しばたかついえ)や徳川家康(とくがわいえやす)らと手を組んで、

秀吉と対立し、押しつ押されつの戦いを繰り広げますが、

10万を超える軍勢が派遣されると長宗我部軍の城は次々と落とされ、元親は秀吉に降伏します。

せっかく四国統一を成し遂げたのに、長くは続きませんでした。

元親としては、相当悔しかったでしょう。

 

長宗我部元親にまつわるエピソードや伝説

長宗我部元親にまつわるエピソードや伝説をご紹介します。

姫から鬼へ

一代で土佐を統一し、さらには四国までほぼ統一を果たした元親は、

勇猛果敢なイメージがぴったりです。

しかし、幼少の頃の元親は部屋にこもって本を読んでいるのが好きな子供だったそうです。

色白で大人しい性格だったことから「姫若子(ひめわこ)」つまり、女の子のような子

と呼ばれ馬鹿にされていました。

跡継ぎは元親で大丈夫なのか、という声もあるほどでした。

ところが初陣では槍を持って敵に突撃する勇猛さと、総大将としての的確な指揮を見せます。

これにより、元親の武将としての評判は上がり「姫若子」と呼ばれることはなくなり、

変わって「鬼若子(おにわこ)」と呼ばれました。

家臣想いで度量が深い

元親が家臣想いだったことが伺えるエピソードを紹介したいと思います。

秀吉が船遊びを行った時に、饅頭が配られました。その場にいた大名はそこで食べましたが、

元親は少しちぎって食べただけで紙に包んでしまいました。

秀吉がその饅頭をどうするのか、と聞くと

太閤殿から頂いたありがたい饅頭なので、持って帰って家来にも食べさせます

と答えました。

その答えに感動した秀吉は、用意した饅頭をすべて元親に与えたと言います。

さらに戦においては、下級の者の意見を聞き入れることもあったそうです。

家臣想いで、下のものの意見を取り入れる度量もあったんですね。

 

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息子が死んで性格が変わった?

溺愛していた嫡男・信親(のぶちか)が戸次川(へつぎがわ)の戦いで戦死すると、

それまでの性格が一変したと言います。

次男・三男が存命であったにもかかわらず、四男であった盛親(もりちか)に家督を相続させます。

当然家臣たちは反対しますが、反対する家臣は容赦なく粛清(しゅくせい)するなど

家臣想いだった元親の姿は見る影もなくなってしまいます。

信親の戦死は元親を逃すために、最後まで戦場に留まったためです。

信親の戦死を知った元親は、自害しようとしたところを家臣に止められています。

自分のために子供が死んだとなれば、親としては相当辛いことです。

現実を受け止め切れなかったのかもしれませんね。

 

関連記事 >>>> 「長宗我部元親の子孫が辿った悲運」

きょうのまとめ

長宗我部元親についてまとめてみましたが、いかがでしたでしょうか。

長宗我部元親とは?

① 四国を統一するが、秀吉に敗北

② 姫若子と馬鹿にされるが、初陣では「 鬼若子 」に

③ とても家臣想いで度量が深かった

④ 嫡男を亡くすとすっかり性格が変わってしまった

勇猛果敢なイメージが先行してしまう元親ですが、いろいろなことが分かりました。

その他にも長宗我部元親にまつわる色々な記事を書いています。

よろしければどうぞ御覧ください。

 










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