アラブ奇跡の名君サラディン、第3次十字軍との死闘を語る
アラブ中世にあらわれた奇跡の救世王サラディン。 彼の一生における死闘の数々においても最大のハイライト。 それが第3次十字軍との決戦です。 私たち地球上の生命に必ずある“ケンカをいとわない”“他人を好きなよう…
アラブ中世にあらわれた奇跡の救世王サラディン。 彼の一生における死闘の数々においても最大のハイライト。 それが第3次十字軍との決戦です。 私たち地球上の生命に必ずある“ケンカをいとわない”“他人を好きなよう…
「教皇は太陽であり、皇帝は月である」 これはローマ教皇インノケンティウス3世その人による発言です。 中世ヨーロッパはキリスト教の影響がとても強いです。 そんな中、国王や皇帝以上の権力を持ち始めたのがローマ教…
キリスト教の聖人と聞いてどんな人の名前が浮かびますか。 聖母マリア。 キリスト十二使徒のペテロ、パウロ。 フランスを救った英雄ジャンヌ・ダルクもそうです。 最近ならマザー・テレサ。 しかし、この人も世界的に…
鎌倉幕府の滅亡後、後醍醐天皇は天皇自らが政治を行う、建武の新政がスタートさせました。 天皇が政治を行うことを「親政」といいますが、建武のシンセイは「新政」と書きます。 つまり、新しい政治であることが強調され…
「教皇は太陽であり、皇帝は月である」 1215年、ここにローマ教皇インノケンティウス3世の権力は歴史上のピークをむかえました。 ローマ教皇といえば今はキリスト教のえらい人です。 しかし、中世のころはヨーロッ…
キリスト教を破門。 それは中世ヨーロッパ世界において「お前はこの社会で生きてはいけない」とされたことにほぼ等しいことです。 そんな時代、いろんな人々に「破門」を連発したローマ教皇がおります。 中世、ローマ教…
11世紀日本では、藤原氏全盛期から院政・武士の時代へと移り変わっていっておりました。 ちょうどこのころ、ヨーロッパではローマ教皇と神聖ローマ皇帝による主導権バトルがものすごく激しいことになっておりました。 …
東ローマ帝国のユスティニアヌス帝は次々と領土を拡大。 一時はかつてのローマ帝国の栄光をすら取りもどす勢いを見せます。 優秀な人たちに支えられ、国内の制度を新しく整えなおし、ライバルとは激闘を繰り広げます。 …
後醍醐天皇は足利尊氏や新田義貞らの協力を得て、鎌倉幕府を倒すことに成功しました。 その後「建武の新政」を行いましたが、足利尊氏が叛(そむ)いたため、わずか3年で建武政権は終わります。 そもそも両者は、始めか…
木曽義仲の対平家の戦さの中で、 一番知られたものがこの倶利伽羅峠(くりからとうげ)の戦いでしょう。 1183年に越中(富山)・加賀(石川)国の国境にある砺波山(となみやま)の倶利伽羅峠で繰り広げられた木曽義…